第13話
その日の夜、初めての航海というものに興奮して眠れなかった私は、風を浴びに甲板へと降りてきていた。
「気持ちいい……」
潮の香りと生暖かい風に吹かれながら、物思いにふけっていると、ほんのりと鼻に突き刺さるような刺激臭を感じた。
(お酒の匂い?)
そうと気がついた時、風の吹く方から声が聞こえてきた。
「どうしたんだ?こんなとこで」
その人は、木で作られたジョッキを持った大男だった。
「風に当たってたんです。眠れなくて」
「じゃあ、俺と同じだな」
豪快に笑ったその男からは、先程よりも強い酒気を感じた。
「俺はチルム。あんたは?」
「リリです」
「そうかそうか。リリは研究者なんだろ?」
「はい……拙い助手ですが」
チルムさんは私の頭に手を置いて、ぐりぐりと撫でまわした。
「こんなチビが研究者たぁ、よく頑張ったんだなぁ」
「身長は関係ないですから……」
チルムさんは、いつまでも笑いながら私の頭を撫でてきた。
首が痛かったが、私は初対面の大男に強気に文句を言うほどの度胸を持ち合わせていなかった。
「……チルムさんは、どうして風に当たりにきたんですか?」
気を逸らさせるために話題を振ると、チルムさんはすぐに撫でるのをやめて驚いたように私を凝視した。
「……こいつは驚いたな……」
私に聞かせるつもりだったのか、チルムさんはボソッと声を漏らした。
「えっと……私、何か変なこと言いましたか?」
「ああ、いや、何でもない。風に当たりにきた理由だったか?……ちょいと、酔い覚ましにね」
そう言いながら、ジョッキをあおる。
「それ、お酒じゃないんですか?」
「こんな気持ちいいとこで、酒を飲まんわけにもいかんだろう?」
そう言って豪快に笑うチルムさんは、とてもいい人のように見えた。
それと同時に、チルムさんのような人がなぜここにいるのか、という疑問がわいてくる。
私は無意識のうちに、口が開いていた。
「チルムさんは、なんで護衛に志願したんですか?」
そう言った後になってから聞いていいことだったのかと不安になったが、チルムさんは少し驚いたようなそぶりを見せただけで、ぺらぺらと事情を語りだした。
「実は俺はもう三回目の護衛でな」
「三回も!?」
「ああ。悪運は相当強いらしくてな。……まあ、複雑な事情があるわけじゃない。火事で家族みんな死んじまってな。自暴自棄になって、金も全部使い果たして、死に場所にこれを選んだってだけさ」
そう語るチルムさんの表情は、今日のラディーナさんが浮かべていた表情にとても似ていた。
「俺みたいなやつは、他にも結構いる。大半は俺みたいなやつか、本当に金がなくて働き口も見つけられなかったやつだな。俺も知り合いじゃない他の護衛とは話すことなんてないから、詳しい事情は知らん」
チルムさんの話を聞いて、私は悲しい気持ちになっていた。
チルムさん一家は、きっと幸せな家庭だったに違いない。それがたった一度の火事で崩壊し、チルムさんの人生を変えてしまった。
もう過ぎ去ったことだし、私が同情してもチルムさんは煩わしく思うだけだろう。それが、とても悲しかった。
空になったジョッキを片手に船内へ戻っていくチルムさんの背中は、とても小さいもののように思えたのだった。
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