第2話 試験

 ベルリン中央駅に着くと早速時刻表でアムステルダム行き急行列車を確認して二等車に乗り込む。コンパートメントは既に確保されてある。列車は定刻に発車したが私以外は誰も入って来なかった。


 二等車の通路でコンパートメントの様子を見ている男2人組がいた。彼等はゲシュタポの隊員だった。

「おい、あの娘手配書に載っていただろう?」

「ああ。そうだな」

 そこに車掌が通り過ぎる。ゲシュタポの片方が車掌を呼び止めた。

「おい、車掌」

「何でしょう?」

「外部に連絡を取りたいのだが、次の停車駅は?」

「ハノーファーです」

「分かった」

「どうも」

 走行中でも列車から連絡を取る手段はあるが、車掌はゲシュタポには伝えなかった。車掌は車掌室に戻って通信用紙にメッセージを書き込み、通過中の駅にそれを丸めて立哨中の駅員に目がけて投げ込む。それに気がついた駅員は拾い上げて右手を挙げる。

「よし、拾ったか」

 車掌は安堵する。投げ込んだ駅はの駅だった。

 通信用紙を拾った駅員は事務室に戻って電信係に丸まったまま渡す。電信係は丸まった通信用紙を拡げて通信文を確認する。

「OPG」

 と鉛筆で書かれてあった。電信係は消しゴムで通信文を消して、再び丸めて灰皿に乗せ、マッチで火を点けて燃やしてしまう。それから電信係は電報を打つ。宛先はドイツ国有鉄道本庁輸送管理課長。電報を受け取った課長はゲーリング調査局に電話をして通信文の内容を伝える。それから該当する区間の運行図表を調べる。

「よし、これで行こう」

 課長はとある小さな駅に鉄道電話をかけた。

「貨車の入れ替えを少しだけゆっくりやってくれ」

 次は急行の停車駅に電話する。

「先行の貨物列車が、貨車の入換で遅れる。急行もその分遅れる。ハノーファーの入線番線も変更となる……」

 具体的に指示を出す。それからハノーファー中央駅にも詳細な指示を出す。ハノーファー中央駅の駅長は特に疑問を感じる事無く了解した。


 発車して随分経ってから車掌が検札に来たが私服警官の姿は無く、私はトランクを開けて中身を点検する。中身はほぼ着替えでびっしりだったが、その中に書類や少額現金が入った財布などが紛れてあった。手紙にはの物を詰め込んであるので、スイスで足りないものを調達するようにと書かれてあった。その為の手筈も整えてあるとも書かれてあった。


「おい、車掌」

 ゲシュタポは再び車掌を呼び止めた。

「何でしょう?」

「あの乗客の切符はどこまでだ?」

「ハノーファー経由ハンブルクです」

「ダンケ」

「どうも」

 ゲシュタポはゲーリング長官とヒムラー長官代理からの相反する指示が出されていてエミリアの身柄を直ちに拘束する事ができなかった。その為ゲシュタポ本部に確認する必要があったのだ。

「ハンブルクなら船で国外に出るつもりじゃないのか?」

 相棒が口走る。

「うるさいなぁ。黙ってろ」

「ちぇっ、分かったよ」

「取り敢えず、あの娘を取り押さえる」

「ああ。そうだな」


 私は予定通りにハノーファーで降りる。ホームは乗り継ぎのバカンス客でごった返していた。

「よし、行くぞ」

 三等車で発生したスリの処理をさせられたゲシュタポの2人組はやや遅れてホームに降りてエミリア王女を拘束すべく行動を開始する。が、人が多い。

「アハトゥング、アハトゥング……」

 駅の案内アナウンスはホーム番線変更を乗客に知らせる。列を作って列車を待っていた人々は溜息交じりにぞろぞろと移動を始める。私が乗る予定のミラノ行きも変更だった。私は上手く人の波に入って目的のホームに向かう。列車が遅れている為にホーム番線が変更になったとアナウンスは告げていた。

「どいてくれ‼」

「シャイセ!見失った!」

 人の波を掻き分けてエミリア王女を追跡していたゲシュタポはホームを移動する人の波に遮られてエミリア王女を見失った。

 私はホームを移動しミラノ行き急行列車に乗り換える。ベルンを経由するミラノ行きの客車はマンハイムで進行方向が変わる為に後ろの方に連結されていた。この急行列車はスイス国内が夜行列車でベルン到着は深夜であった。


「ゲシュタポだ‼電話を貸してもらいたい‼」

 駅事務室に駆け込んだゲシュタポは報告の為に本部に電話を借りたいと申し出た。応対した駅員は無言で机の上にある黒電話を指差す。ゲシュタポは受話器を取ってダイヤルを回す。

「ハロー。交換台です」

「ゲシュタポ本部を頼む」

「お待ちください」

 電話は案外すんなりと繋がった。

「ゲシュタポ本部」

「反動課所属シュタイナー警察大尉だ。ヒムラー長官代理を頼む」

「用件は?」

「エミリア王女をハ……」

 突然、電話はブチッと切れた。

「ハロー?ハロー?シャイセ‼盗聴しやがって‼」

 シュタイナー警察大尉は憤ったが、ドイツで盗聴されていない一般電話は既に存在しない。例外は鉄道や軍用といった専用電話だけだった。

「仕方ない。電報を打ってくれ」

「では、通信文をここに記入して」

 駅員は通信用紙をシュタイナー警察大尉に手渡す。シュタイナー警察大尉はいそいそと文章を書き込む。

「エミリアプロイセン王女をハノーファーで発見。ハンブルクに手配されたし」

 書き終えると通信用紙を駅員に手渡す。

「2ライヒスマルク」

 シュタイナー警察大尉はポケットから硬貨を取り出して料金を払う。

「毎度」

 ゲシュタポは駅事務室から出て行った。

「何がゲシュタポだ、だ。へっ!偉そうに」

 駅員は通信用紙をくしゃっと丸めて灰皿に放り、マッチで火を点けて燃やしてしまった。



 列車はバーゼル・バディッシャー駅に日付が変わる前に到着する。ここで出入国審査と税関検査が行われる。ここはスイス領内だが、ドイツ人に関してはドイツ領と同じ扱いを受ける国境駅だった。なお、審査と検査は列車に乗ったままで行われる。

「グーテンナハト」

 ドイツ側審査官2人がやって来た。前方の一等車なので順番が早いらしい。態度も割と低い。

「パスポートを」

 私はパスポートを審査官に手渡す。審査官は簡単にチエックしただけでパスポートにスタンプを押して私に返してくれた。

 その次は税関検査である。税関吏2名がやって来た。

「トランクを開けて、パスポートを出して」

 高圧的な税関吏は命令口調で指示をする。パスポートは簡単に見ただけであったが、トランクの中身は随分と厳重な検査だった。洋服のポケットや袖口、隠しポケットが無いかまで調べられた。書類も全て目を通す。

「どうも」

 はあ。やっと出て行った。服を畳み直すのが面倒だなあ。随分時間が経った後、列車はそろりとスイス側に移動する。服を畳み直す時間は十分にあったが。今度はスイス側による審査と検査がある。スイス側審査官二人がコンパートメントに現れた。

「スイスに入国の目的は何ですか?」

 審査官に必ず聞かれる質問だ。

「ロットソルトオルデンの霊導騎士検査を受検する為です」

 間違ってもこの時「亡命です」などと言ってはいけない。面倒な事には巻き込まれたくない審査官の心証を悪くするような事は絶対に言ってはいけない。

「では、受験票を提示してください」

 私はトランクを開けて手帳に挟んでおいた受験票を審査官に提示する。

「ふむ」

 スイス側審査官は珍しがって眺める。それからスイス側審査官はパスポートとビザにスタンプを押して私に返して次のコンパートメントに移動した。税関検査も無事に済んで列車はゆっくりと動き出してスイス領内に入っていた。こうして、私は何事も無くスイスに入国できた。ホッとした。しかし、緊張はまだ解けなかった。


 結局、ベルンに到着して時計の針は3時を回っていた。ここで郊外電車に乗り換えだが始発は7時近くなのでどうしようかと思案していた所、駅舎内で不意に妙齢と言うべき美しい金髪中年女性から声をかけられた。

「貴女、エミリア フォン ノイエンブルクさんですか?」

「そうですけど?」

 私は訝しげに肯定する。

「私はエリーゼ マンシュタイン。ロットソルトオルデンの団長よ」

「えっ⁉」

 私は思わず聞き返してしまった。

「ウフフ。貴女を迎えに来たわ。王女様」

 不意に現れたエリーゼ マンシュタイン霊導騎士団長はニコニコ微笑んだ。



 駅の側で止めてあった黒塗りの乗用車に乗せられてロットソルトオルデン本営があるベルン郊外に向かう。運転者は日本人女性だった。暗くて良く見えないがどこかで見た覚えがある顔だった。

「試験は明日から行います。今日はお昼まで寝てていいわよ」

 団長はいたずらぽっく笑いながら話しかける。

「ダンケシェーン」

 ちょっと調子狂うが有難い配慮だった。市街を抜け、車は猛スピードで夜道を飛ばす。やがて踏切と橋を渡って飛行場みたいな所に入って行く。3階建ての建物の前に停まるとクラクションを2回鳴らす。

「やっと来た」

 玄関が開いて中から金髪の少女が眠そうにして現れた。

「じゃあ、後はあの子が案内するわ」

「ヤボール」

 私は車から降りてドアを閉める。すると車はサッサとどこかに行ってしまった。

「じゃあ、中に入って」

「ヤボール」

 私は建物の中に入った。



「私はヴェルヘルミーナ マンシュタイン」

 金髪の少女は眠そうに名乗った。

「私はエミリア フォン ノイエンブルク=プロイセンです」

「プロイセン…ああ。貴女が噂の王女様ね」

「噂?」

 私は聞き返すがヴェルヘルミーナは大あくびをしながら無視して一方的に最低限の案内をする。

「食堂はここ。トイレは階段の隣。バスルームはその奥。貴女の部屋は3階の305。詳しい事はまた明日。じゃあ、おやすみ」

 早口でそう言うとヴェルヘルミーナはさっさと階段を昇って行ってしまう。私は仕方なくその後をついて階段を昇った。


「305か」

 階段は建物の真ん中にあるので左右どちらかに行けば自分の部屋に辿り着ける単純な構造だった。私は左側を選択して廊下を進む。違っていれば戻ってくればいいだけだ。

「良かった」

 305は割と階段に近い場所にあった。鍵は開いていてドアの脇にあるスイッチをONにして部屋の明かりを点ける。部屋は相部屋だったが相手がいないので事実上個室みたいだ。机の上に手紙が、机の脇に大きなトランクが一つ置かれていた。私も眠いので開けるのは明日にして寝る事にする。懐中時計の針は4時になっていた。


 11時過ぎに目が覚めて身支度する。置かれていた手紙を開封する。便箋はゲーリング直筆で書かれ、今後の事について書いてあった。殆どは手続きに関するものであったが、家族の預金を私が相続して全額スイス銀行に私名義の口座を開いて送金してあるとの一文があった。生活費は当面これで食べて行けるだろう。ギムナジウムについても触れられており、必要書類は団長に送ってあるのでよく相談して編入するようにとも書いてあった。続いて大きなトランクをベットの上に置いて開ける。中身はベルリンから持って来たトランクみたいにガチガチに詰まってはいなかったが、学用品や身の回りの品々の他、ノイエンブルク家の紋章のペナントが筒に入れられて入っていた。私自身、すっかり忘れていたが…。改めてゲーリングの心遣いに感謝する。


 12時を回った所で1階の食堂に行く。入口でヴェルヘルミーナが壁に寄りかかって待っていた。

「やっと来たわね。こっちよ」

 私はヴェルヘルミーナの後ろについて行く。ヴェルヘルミーナは食堂とは別の部屋に私を通した。その部屋には数人の少女達が居た。

「あそこに座って」

「ヤボール」

 私はヴェルヘルミーナが指差した席に座る。

「私はヴェルヘルミーナ マンシュタイン。ロットシルトオルデン団長、エリーゼ マンシュタインの娘で今は航空霊導騎士中尉。よろしく。では、そちらから順に名前と出身国のみ自己紹介して」

「アデル ライラ スラットリー。アメリカ出身」

「グローリア ジェシカ キャンプス。イギリス出身」

「リゼット エグランティーヌ エモン。フランス出身」

「ボーナ シモンチーニ。イタリア出身」

「クリスティーン ヨーフス。スウェーデン出身」

「ラリサ ボリーソヴァナ エルショヴァ。ソビエト連邦出身」

「ジュリー ロランス ルカ。スイス出身」

「エリーザベト シュタウピッツ。スイス出身だ」

「エミリア フォン ノイエンブルク=プロイセン。ドイツ出身」

 9人の少女達は名前と出身国のみ自己紹介した。

「では、食堂に行って昼食をとるように。食事が終わったら13時半までにここに戻って来る事。解散」

 中尉が指示を出すと少女達はパッとクモの子を散らすかのように食堂へ向かった。


「なあ君、王族か?」

 食事中。私にさっき、エリーザベト シュタウピッツと名乗った少女が話しかけて来た。

「それが何か?」

「姓がプロイセンってついてたからマンシュタイン団長達と繋がりがあるのかなと思っただけさ」

「確かにマンシュタイン家はプロイセンの名門軍人の家だけど、ホーエンツォレルン家とは関係が無いわ。しかも、今のマンシュタイン家の当主は養子だし」

「そうなのか」

「そうよ」

「ダンケ…」

 何だか、何となく気まずい雰囲気の中で昼食を食べた。


「では、明日の試験について説明する」

 食事が終わり全員が戻ると中尉は試験説明を始めた。

「初日はドイツ語試験。なお、ドイツ語圏出身のシュタウピッツ候補とプロイセン候補は私の補佐をして貰う」

「ヤボール」

「二日目は霊導力試験。今度のは正式な試験であるから本気で全力を出すように。三日目は航空適性試験で、午前が筆記、午後は運動となる。結果は即日発表する。不合格者にはその都度指示を出す。起床時間は特にないが朝食は7時から8時半まで、昼食は12時から14時まで、夕食は18時から20時まで、消灯時間は23時。何か質問は?」

 誰も挙手しない。

「よし。何かあれば207まで来い。解散」


 ロットソルトの公用語とはいえ、まさかドイツ語試験があるとは。語学力が無くとも霊導力を使えば何とかなる筈だが…。そう思っているとシュタウピッツが部屋に戻る前にみんなに呼びかけた。

「ドイツ語に不安がある人は306に来て!指導してあげる」

 それでもって…。みんな306に来た。スイス出身のルカまでいる。名前からしてフランス語圏出身なのかな?


 人数が多いので私も指導する羽目になった。


「じゃあ、ドイツ語でまずは自己紹介してみよう。手始めにエミリアから」

 エリーザベトは仕切り始める。みんなの視線が私に注がれる。私は発音に注意を払いながら自己紹介をする。

「私はマルガレーテ シャーロッテ マリア エミリア フォン ノイエンブルク=プロイセン。れっきとしたプロイセン王家であるホーエンツォレルン家の一員よ。日本語とロシア語、フランス語、英語は霊導力無しで理解できるわ」

 みんなそれぞれの自国語で感想を言う。

「ちょっと!ドイツ語指導なのだからドイツ語で話しなさい」

 私に怒られるとみんな黙ってしまう。

「あははは。じゃあ、僕が感想を聞くよ。ドイツ語で答えてね」

 シュタウピッツは順に質問をした。



 試験初日。午前は筆記、午後は口述試験である。この日の不合格者はいなかった。みんなよく勉強してたからね。因みにドイツ語のアクセントは前の方にあるのです。聞き慣れないと怒っているかのように思われてしまう。ドイツ語の癖が抜けなかった日本時代は苦労した事思い出がある。ついでに言うとフランス語は逆で後ろの方にアクセントがある。


 試験二日目。霊導力試験。簡易検査では細石をコントロールするだけだったが、実際に霊導力兵器を操作するとは思わなかった。

「では、各自、霊導力を行使して霊導力兵器を操作して貰おう」

 最初は小銃だったが機関銃、大砲。標的も紙から本物の戦車へとグレードアップしてゆく。

「では、この大砲であそこの戦車を狙ってもらう。戦車にはシールドがあるので安心して全力でやるように」

 フランス製の大砲でフランス製の小さな戦車を撃つ。各々霊導力を使って装填、照準、砲撃をする。


 ドーン‼


 砲声と炸裂音がこだまする。大砲の試験は発射速度も試験の対象なので気が抜けない。体力気力が消耗して来てへとへとになるまでやらされた。


 全員簡易検査を受けている事はあってか不合格者は出なかったがランク付けはこの時行われる為差はハッキリと生じる。霊導力ランクは上からS、A、B、CでありS級は2人、A級3人、B級4人だった。因みにC級は不合格で霊導力を吸い取られてご帰宅となる。この結果に中尉はご満悦だった。

「今期はになりそうだ」

 S級は世界的エースであり最上級霊魔と戦える力があるとされている。A級は主力戦力と成り得る力を持ち、B級は二線級若しくは支援要員とされる。なお、霊導力は先天的能力である為、個人努力は介入の余地が無かった。そして、S級は私とシュタウピッツことエリーザベトだった。


 試験三日目は航空霊導騎士適性試験という事もあってS級に選ばれた私とエリーザベトの2人だけであった。午前中の筆記試験は英語と知能テストだった。午後は中尉が操縦する飛行機に乗って航空適性試験を受ける。錐揉みや宙返りなどの特殊飛行を繰り返す。その結果、航空霊導騎士見習いとなったのは私だけだった。エリーザベトは錐揉みで失神してしまい、はねられた。


 試験結果の発表と講評が中尉からなされた。

「諸君、おめでとう。君達は晴れてロットシルトオルデンの騎士見習いとなった。9月からは併設されているギムナジウムや実技学校に通いながら訓練を受ける事となるが、霊導騎士としての訓練は明日から開始する。日曜日とスイスの休日のみ訓練は休みとなる。なお、エミリアは航空霊導騎士としての訓練となるので別メニューとなる。後程日課表を食堂に掲出するから各自確認しておくように」

 それから各人に正式ランクが伝えられる。

 Sランクは私とエリーザベトだったが、私はEXランクだと告げられる。S級でも上から二番目のランクだと中尉に褒められる。(最上位はURランク)

「よし。エミリア、私が直々に来週からしごいてやる。覚悟しとけよ」

 と猛訓練を中尉に予告されてしまった。


 夕食は入団式を兼ねたパーティとなり団長をはじめ他の現役騎士が多数揃っていた。団長は私を見ると、団長の方から私の所にやって来た。

「月曜日までに書類を用意しておきなさい」

「ヤボール」


 週明けの月曜日。私だけ訓練が休みとなる。団長も同行して私はベルンを統括するカントンの役場に書類を持って行く。ここで亡命申請をする。

「亡命申請ですか。連邦政府の審査もありますが、7月末には許可が下りるでしょう」

 申請書類を見た役場の担当者はあっさりと断言するが、私は短い審査期間に不安を覚えた。同行している団長はニコニコしている。


 そして7月31日。役場から連絡を受けて団長と一緒に役場に赴く。

「おめでとうございます。亡命申請は無事許可されましたよ。ここにサインをお願いします」

 それから役場での手続きが終わるとチューリッヒに移動して銀行口座の手続きをする。

「お話は伺っております。殿下の預金通帳はこちらになります」

 支店長から預金通帳を手渡された。私は通帳に記載された金額を見て驚く。

「250万スイスフランも入ってる⁉」

 これはほぼ家族のドイツでの預金額に相当する金額だった。ゲーリングは没収された銀行預金をスイスフランに替えて全額送金したようだ。これで、亡命に必要な手続きは終わった。


 手続きを終えてロットソルトの宿舎に戻るとエリーザベトと出くわした。

「やあ、エミリア。何処に行っていたんだい?」

 私は話をする代わりに目から涙が湧き出してこぼれ落ちる。

「え?え?どうしたの?」

 私は困惑しているエリーザベトに構う事無く彼女の身体を抱きしめた。

(柔らかいなぁ//////)

 エリーザベトは私の身体を堪能する。彼女は自室に招いて私の話を聞いてくれた。私は堰を切ったかのように身の上話をエリーザベトに話した。エリーザベトは全く嫌な顔をせずに私の話に耳を傾けてくれた。

「エミリア。君はプロイセン王家の一員だがスイスに縁がある。私はスイスの国民としてプロイセン王女がスイスを頼って来た事を歓迎するし、何よりも私はエミリアと親友になりたい」

「ダンケ。エリーザベト」

 私は何も考える事無く笑う事ができた。廊下でヴェルヘルミーナが立ち聞きしていた。

「そう言う事か」

 中尉は黙ってその場を離れた。


 それから、航空霊導騎士見習いとなった私と霊導騎士見習いになったエリーザベトとは訓練課程が異なるものの、親しい友人となった。



 8月に入ると、これまでも病気がちだったヒンデンブルク大統領がいよいよ危篤状態となった。そしてヒンデンブルクが死ぬと、彼の遺言によって後継指名を受けていたヒトラーが大統領職と首相職を兼ねた指導者、所謂「総統フューラー」に就任した。そしてナチスドイツ誕生の瞬間だった。

 当時ドイツの政治は皇帝専制政治から脱却し民主的な資本主義だったが、依然として共産主義が大戦前から伸張し、共産主義が大戦敗戦の原因と考える政治勢力が、以前からある反ユダヤ主義と合体しナチズムが誕生した。そして、ベルサイユ条約によって軍備を制限された軍部は政党の私兵組織をワイマール共和国軍の予備兵力に利用しようと考えていた事がナチスによる粛清事件を可能としたのだ。


「閣下‼これ以上はドイツの為になりません‼」

「……分かった。ここはゲーリングの言う通りにしよう」


「ケッ‼小心者のゲーリングめ‼」

「よせ。今はヤツの方が総統閣下に顔が利く」

 ヒムラーは憤るハイドリヒを諌めた。

「はあ……」

「それに我々の目的は一応達成できた。これで良しとすべきだ。権力の地盤固めは急いてはならぬ」

「はい」

「案ずるなハイドリヒ。目指すべき頂点はすぐそこだ」

 ヒムラーは穏やかな表情で窓の外に視線をやった。



 ゲーリングはヒトラーにやり過ぎだと苦言を呈したそうだが、当のヒトラーは余り考えていなかったらしい。ヒトラーがゲーリングの苦言を聞き入れたのはゲーリングがナチ党では希少な上流階級出身者で第一次世界大戦の英雄として名が知れていたからであり、スポンサーをかき集めて党の金庫を潤したからに他ならなかった。因みにゲッペルスによるプロパカンダ効果はヒトラーが総統になって大分経ってからである。

 さらに言えば、ヒトラーがゲーリングの苦言を聞き入れたのはこの時が最初で最後だった。ナチ党で穏健派だった彼は強硬派の台頭と自身の健康モルヒネ問題に左右され、さらにその後の失策によって次第に発言力を失って行く。


 私が知った限りでは、当初の粛清計画は、ヒトラーに対立する勢力となりつつあったナチ党左派及びSSとライバル関係にあったSAを排除してヒトラーとヒトラーに忠実なヒムラーをはじめとするSSの権力基盤を確保するのが主な目的だったが、ヒムラーとハイドリヒはナチ党のをついでに排除する事にして、私の家族はその障害物に認定されたのだった。


 私はナチズムを選択した祖国ドイツに対して大いに失望した。権力の無い王家など全く意味が無かった。しかし、ナチの牙はまだこんなものでは無かった。暴力で問題解決を図ったドイツは世界中から非難されたが称賛したのはヒンデンブルクだけでは無かった。


 ソ連・モスクワ。

「これだ‼」

 クレムリンの執務室で『プラウダ』を読んでいたスターリンは喜々として賞嘆の声を上げた。

「これはいける‼」

 ソ連における大粛清のヒントをヒトラーはスターリンに献上したのだった。


                                 つづく

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