第4話

 エレナ・ディアマンテ。エルザより五歳年上の姉である。いわゆる天才というやつで、二十歳頃に習得できる中級魔法を、彼女は八歳で習得した。初めて見た魔法が姉によるものだった私は、それが当たり前だと思っていたが、そもそも十歳以下の子供は魔法を使えないらしい。実際、私も使えなかった。

 学業においても優秀で、彼女はすでに中等部の三年(学校の進級のしかたは、俺の記憶にあるものと同じだ)に通っている。人当たりはいいらしく、時々友人をこの屋敷に呼んでは女子会みたいなことをしている。

 もちろん、私もエレナが好きだ。妹の私をとても可愛がってくれるし、それに私が頭を打った時も、痛みを治してくれたのはお姉様だった。

 とても尊敬できる、素敵なお姉ちゃん。ただ、少しだけ欠点を挙げるなら、それはたまに表れる雑な言葉遣いと、その顔に張り付いた、真意の見えない笑顔だろう。


 ・・・


「いいじゃないですか、やらせてあげても。本人がやる気なんですから」

 エレナが私達の隣に並ぶ。身内が一人味方になったことで、私は少し安堵した。

 なにせ、味方はあの天才のお姉様だ。ディアマンテ家の長女にして、様々な魔法使いをギャフンと言わせてきたあのエレナお姉様なら、お母様のことも説得してくれるに違いない。

「……エレナは、エルザが怪我をしてもいいと言うの?」

「そこは、先生となるアカネさんがなんとかするところでしょう。ねぇ、アカネさん?」

「えぇ、もちろん。エルザお嬢様の安全を第一にして、最強に仕上げたいと考えております」

 アカネが真面目な顔して応える。いや、別に最強にしなくていいのだけれど。

「お母様だって、アカネさんの強さはご存じでしょう? なのに、いったい何が不安なのですか?」

「わ、私は、エルザが心配で」

「私のことは学校に任せているのに?」

 エレナが、お母様に一歩近づく。

「私だって、学校で怪我をするかもしれませんよ。成績が振るわずに、心が折れてしまうかも。先生にボコられ、生徒にイジめられ、何もかもが嫌になってしまうかもしれません。それでも貴女は、私に学校を通わせるのですか?」

 言いたいことはなんとなくわかる。精神で傷つくか、肉体で傷つくかの違いを問いたいのだ。

 そしてマリアはエレナの問いに、迷い無く答える。

「もしそうなら、私は貴女に学校を辞めさせます。そんな思いをしてまで通うぐらいなら、ずっと家に居てくれた方がマシです」

 当然の答えだ。彼女は誰よりも家族思いの母親である。これくらいの質問なら即答できるだろう。

(死にたくなるくらいなら、引きこもりなさい)

 ふと、前世の母親のことを思い出す。俺の母親も、お母様みたいではなかったけど、とても優しい人だった。

 そんな母の面影を感じるからか、だんだん申し訳ない気分になってきた。

 もしもここで全てを撤回すれば、彼女が心配する必要は無くなる。母親の言う通りにすれば、きっと私は

「では、お母様」

 エレナが毅然とした態度で、また一歩前に出る。

「何の怪我もしてねぇエルザを引き止める理由は?」

「だからそれは!」

「では、怪我をするかもしれねぇのに、私を学校に送り出した理由は? 私が教師に学ぶのと、エルザがアカネさんに学ぶのに対するリスクの違いは何ですか?」

「そ、それは、」

「私には学ばせるのに、エルザには学ばせないのは何故? やっと自分のやりてぇことを口に出すようになった子の、やりてぇことを阻む理由はなん」

「おねえさま!」

 私は思わず姉の服を掴んでいた。さすがに、ここら辺で止めるべきだろう。というか、エレナの笑顔がだんだん怖くなってきたので止めて欲しかった。なにより、

「…………ぅう」

 母が泣きそうになるのは、目も当てられない。

「さ、さすがにやりすぎですよ、おねえさま。そんなコテンパンにしなくてもいいじゃないですか」

「あぁ?」

 彼女は笑顔のまま、器用にこちらを睨んだ。めっちゃ怖い。

「貴女はいいの、エルザ? やりてぇことが出来なくて」

 顔はそのままなのに、声色がやたら優しい。妖怪に会ったときって、こういう感じなのだろうか。

「わたしは、おねえさまとおかあさまがケンカするくらいなら、べつにいいかなって。そ、それにことわられたらことわられたらで、あとでこっそりやろうかなって……おもってたし…………」

「……それ、言っちゃったらダメでしょう」

 はぁ、とため息を吐くと、エレナは私の頭を優しく撫でた。少し落ち着いてくれたようだ。

「エルザ……」

 母も冷静になったらしく、いつもの優しい声に戻っていた。

「あ、いや、いまのはちがくてぇ」

「貴女は、私が駄目と言ってもやるのね?」

 もはや誤魔化す必要も無いか。確かに、マリアが拒否したところで、アカネが協力すると言ってくれた以上、こっそり修行するつもりではあった。むしろ、アカネさえ居ればそれでいい。

「うん、やる」

「エレナが駄目と言っても?」

「やる」

「お父様が駄目と言っても?」

「やります」

 だからおかあさま、と言って私はお母様の前に立ち、深々と頭を下げた。

「おねがいします。わたしに、やりたいことをやらせてください」

 前世でも、こんなにお願いすることなんてなかった。妙にプライドが高かったから、頭を下げるなんてことをしてこなかったのだ。

 だけどエルザは違った。この子は、やりたいことがあれば素直に言うことができる。行動を起こすことができるのだ。前の俺では考えられないことである。

 こうしてみると、自分はもう大崎智ではなく、エルザ・ディアマンテであることを思い知らされる。

「…………わかりました」

 しばらく逡巡したあと、マリアは諦めたように言った。

「エルザの特訓を許可します」

「! ほんと!?」

「ただし、条件があります」

 彼女は途端に真面目な表情になる。

「一つ、怪我をしないこと。

 二つ、止めたくなったら止めること。

 三つ、必ず強くなること。

 四つ、学業を怠らないこと」

 いや多い多い。そんないっぺんに言われても覚え切れない。

「五つ、その力で必ず誰かを救うこと。

 …………ええっと、あとはーーー」

「ストップ、多いですよ、お母様」

 見かねた姉が母を止めてくれた。

「で、でもあと五つぐらいなら」

「そんなに決めたら、強くなるもんもなれませんよ」

 先ほどとは違って、とても穏やかに会話している。身内がケンカするところを見るのは、存外しんどいものである。

「とにかく、今言ったことを守れれば、エルザの特訓を認めます。それでいい?」

「わかりました! ありがとう、おかあさま!」

 一時はどうなることかと思ったが、これで堂々と体を鍛えることができる。これもお姉様のお陰だ。

「おねえさまも、ありがとう!」

「ふふっ、別に大したことしてないわよ」

 エレナはそう言うと、メイドを引き連れて自分の部屋へ戻っていった。

 私達も部屋へ戻ろうとしたとき、マリアがアカネを呼び止めた。

「アカネさん」

「……はい」

「エルザのこと、お願いしますね?」

「もちろん、最強のお嬢様にして見せます」

 だから、別に最強にはしなくてもいいのに。

 そんな訳で、私は無事アカネに強くしてもらえることになった。果たして、理想の身体にはどのくらい近づくのか、どれほどの強さになれるのか、今から楽しみである。

 ……まあ、やり過ぎない程度であればいいが。

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