第2話
前世の記憶を思い出してから数日。私は、実に楽しい時間を過ごした。家族とピクニックに行ったり、お姉ちゃんとおままごとをしたり、家の中を探検したり。
私の家は、どうやらディアマンテ家と言う貴族らしい。道理で家がやたら広いわけだ。らしい、というのは、この世界における身分の違いがわからないから。子どもの私には、まだ理解できないようである。娘の専属メイドを雇うくらいだから、それなりの地位はありそうだ。
「お嬢様」
庭にある花畑、その花の葉を貪る芋虫を眺めていると、後ろからメイドのアカネが声をかけてきた。
私の専属メイドのアカネ。メイド喫茶にいるような可愛らしい感じではなく、クールビューティーと言った方がしっくりくる女性だ。メイドだけではなく、家庭教師もしてくれている。彼女はいつも私の側にいて、名前を呼んでも呼ばなくてもすぐに駆けつけてくれる。今だって、私は一人でいたはずなのに、彼女はいつの間にか背後にいた。他のメイド達の話によると、アカネはとあるシノビの一族なのだとか。シノビとかいるんだ、この世界。
「そろそろ勉強のお時間です。お部屋に戻りましょう」
「…………」
「そんな心底嫌そうな顔しないでください」
勉強すること自体に文句はない。むしろ、やらせて欲しいくらいだし、目の前の彼女が分かりやすく教えてくれるから、全然苦にならない。
問題があるのは、その時間。遊びの時間と比べると、圧倒的に勉強の方が長い。座学だけではなくマナーについても学ぶため、外に出る時間が少なくなってしまうのだ。
子どものうちは、たくさん動いて体力をつけるつもりだったのに。このままでは、俺の理想の肉体を手に入れるのに後々苦労することになる。程よく引き締まった身体になるためにも、今から運動に慣れておきたい。
そうじゃなくても、五歳の子どもにとってこんなに体を動かせないのは、あまりにストレスだ。ここはなんとか遊びの時間を延ばしてもらえるよう、説得しよう。
「でもアカネ、きょうはこんなにはれているのに、あそばないなんてもったいないわよ!」
「日射しが強くてお嬢様の肌と髪が傷んでしまいます。早く屋敷に入りましょう」
「いまはおはなをみていたいし、むしさんともあそびたいわ!」
「それでは、両方私が一つずつ屋敷にお持ちいたしましょう」
「で、でもわたしはこのはなばたけがみたいのよ!」
「お嬢様のお部屋からでも見ることはできます。勉強の休憩時間に眺めましょう」
「で、でも、でもわたしはまだあそびたくてぇ」
「お嬢様、それでも勉強のお時間ですよ」
「あ、あうぅ」
……あっさり負けてしまった。まあ、勝てるなんて思わなかったけど。
やはりいくつになっても、言い負かされるのに慣れることはない。いやまだ五歳だ。
「……ぅぅ」
涙が自然と溢れてくる。こんなことで泣いてしまうとは。子どもの精神はあまりに脆い。元成人男性にとって、これ程屈辱的なことはない。
「ほら、お嬢様。さっさと行きますよ」
アカネは、ひょいっ、と私のことを片手で持ち上げた。地面から離れた私の足が、ぶらぶらと揺れる。親猫に咥えられる仔猫の気分だ。
「今日は楽しい歴史と面白い文学、その後は将来役立つテーブルマナーを学びますよ」
「…………」
「あっ、ちょっ、無言で暴れないでください」
手足をじたばたしても、彼女の腕はびくともしなかった。むしろ私の服が破れそうだ。
てか、ホントに力強くない!?
五歳の子どもって結構重いと思うんだけど!?
「無駄ですよ。私、お嬢様をお守りするために、毎日体を鍛えているので」
私の身の回りの世話もしてくれているのに、体まで鍛えているのか。朝から晩までずっと一緒にいると思うんだが、一体いつ鍛えているのだろう。彼女がシノビだというのは、あながち間違っていないのかもしれない。
「どのくらい?」
涙が引っ込んでしまったので、ちょっと訊いてみた。するとアカネは、少し悩んだ素振りを見せてから、こう言った。
「ナイショです♡」
お茶目か。
私は結局地に足がつかぬまま、屋敷に連れて行かれるのだった。
・・・
「ねぇ、アカネ」
今日の勉強が終わり夜の食事をした後、私はアカネと一緒にお風呂に入っていた。本来なら、メイドである彼女は主人である私の体を洗うだけで、一緒に体を洗ったり湯船に浸かったりする事はないらしい。しかし、前世の記憶を思い出す前の私が「一緒に入りたい」と駄々をこねてからずっと、私達は風呂を共にしている。
「何ですか?」
アカネは私の髪を洗いながら、そう応えた。
「あのね」
「はい」
「からだ、さわらせてくれない?」
「流しますねー」
二重の意味で流された。だが、ここで引くわけにはいかない。
「からだ!」
「洗いますねー」
「さわらせて!」
「流しますねー」
「くれない!?」
「入りましょうねー」
両脇を掴まれて、湯船に連れて行かれる。
くっ、手際が良すぎる!
「なんでさわらせてくれないの!?」
「むしろなんでそんなに触りたいんですか?」
ごもっともである。誰だって、「体を触らせて欲しい」なんて言われたら嫌がるだろう。しかし、その質問に対する答えは、すでに用意してある。
「だって、アカネみたいなおんなのひとになりたいんだもん……」
「…………はい?」
アカネが首を傾げる。未だ両脇を抱えられているので目線は一緒だ。そろそろ下ろして欲しい。
「わたしもつよいおんなのひとになって、いろいろなひとをまもりたいの! アカネは、つよいメイドさんなんでしょ? だからアカネみたいにつよくなるために、どこをどうきたえてるのか、しりたくて」
本音は、俺の好みの女性になるためにある程度筋肉をつけたいだけ。でもどうせ体を鍛えるなら、何かに役立てるのも悪くないだろう。
それに、生前の俺は何も成し得ていない。思い出すとあまりの情けなさに涙が出てくる。ならばこうして新しく生を受けた以上、何かをしないと落ち着かない。またなにもしない人生を送るのは嫌だ。
「どうせなら、わたしをつよくしてほしいんだけど。……だめ、かな?」
正直、一回目のお願いで叶うとは思っていない。これで駄目でも、またお願いするつもりだ。だが貴族の娘が、強くなりたいから鍛えて欲しい、なんて言えば最悪怒られてしまうかもしれない。その場合、私の心は折れてしまうだろう。だから出来れば、この一回で承諾して欲しいのだが。
「…………………………」
さすがに無理か。そもそも五歳の私が、強くなりたいと願うことが早かったのかもしれない。せめて十歳頃に教えを乞うべきだった。
あぁ、今更後悔の波が押し寄せてきた。どうして私はこんなことを。
「お嬢様」
「……うん」
「いいですよ」
「………………えっ!?」
いいの!?
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