黒いおじさん


 ハールの住む村の隣町に住むベッカー。黒よこよなく愛する彼の耳にも、じわじわとハールに関する噂が入って来ていた。

「ふん。白を愛する少年がいる……? 白ものなど笑止千万。そんな子供にはお仕置きをしてやらねばならないな」

 彼は隣町にて、モザイク画を作成するギルドの親方を務めている。しかし今は彼が作品を手掛けることはもうない。これは年齢的なものではなくて、その作品が――当然といえば当然だが――ほぼ黒い石と墨しか使わないものであるからだ。一部マニアがいることはいるのだが、確かに神に祈りを捧げる教会なんかにそんなものが飾ってあったら悪魔崇拝と誤解されそうではある。

 そんな親方としての収入をいかしてハールを懲らしめることを決意した彼は、まず手始めにとびきり上質で透き通った水晶を二つ買った。そしてその宝を翌日、ハールのところへと持って行ったのだ。さすがに人気というだけあって、暇な老人が今日も十人ほど並んでいた。

「お前がハールか。ちょっと聞いてくれ。この水晶は、どちらのほうが白いのだろうか?」

 やっと来た自分の番。飛び切りの悪者笑顔でそう問うた。それはさすが高級品というだけあって、そこら辺の宝石ならばまるで泥水のように思えるほどの透明さを誇っていた。白に対抗して黒いもの濃淡を鑑定させるのならまだしも、色のないものの色の濃淡を見極めさせるのだから、このおじさんはかなり腹黒い。

 一方で、可哀想に白が専門分野なのに、色すら超越したものを手前に出されて四苦八苦するハールは、試しに二つの水晶を持ってみることにした。それはその場しのぎの行動でしかなかったのだが……、

「な、なんと、透明なはずの水晶が、一瞬にして白く濁ってきているだと!?」

 そう、透明なはずの水晶が、一瞬にして白く濁ってきていたのだった! これには当の本人も驚きを隠せないでいたのだが、少ししてから我に返り、「左手に握ったほうがより白いですよ、旦那」と、笑顔で分かり切った診察結果を報告する。まあ、なにせ彼は主人公である。私が主人公補正でえこひいきしておいた彼の隠れた才能が、今開花しただけのことだった。

「あ、でも水晶白くしてしまって、ごめんなさい」

 そんなこと言われてももはやピンとこないベッカーおじさんであったが、ここは自らの負けを素直に認める。もはやただの安っぽい大理石みたいになってしまった三か月分の給料を置き去りにして(無事だった水晶はきちんと回収して)、

「くそ、釣りは取っとけ泥棒!」

 という捨て台詞を吐いて走り去っていった。ついでに言っておくと、この台詞は某人気戯曲の主人公のもので、アルモンド県に住む二千人に対して行ったアンケート調査によると第十四位の人気を博していた。だが驚くなかれ。なんとベッカー・セバスレイン一人に対して行われた調査では、今年度見事第三位に返り咲いた。



「いったい何がどうなってるっていうんだ? あんな小僧に策で負けるなど」

 すごすご家に帰ってきた彼は、そういうと広間の窓に暗幕を垂らし、人工的な暗黒を作り出した。これだから、日中だというのにわざわざロウソクに火をともさなければならない。

「おい、今日はジルフィが来ているはずだぞ!」

 いら立つベッカーは自分の召使を呼びよせる。主人の不機嫌を察知したジルフィは、うろたえながらもすかさず赤い布をベッカーの後ろに掲げる。人間をすっぽりと覆うくらい大きなそれは、黒についで彼には必需品なのだ。と言うのも、ベッカーは黒が好きなのに、影であろうが墨であろうが、黒いものに自身の服飾が同化してしまうのを極度に嫌う。それを回避するのが召使たちの役目である。通称「色持ち」というこの仕事は、高い給料を得られる代わり、それなりの労力も要求される。彼の機嫌にあわせて色を変えていく必要がある上、布を長時間挙げるという行為は意外と重労働なのだ。

「ベッカー様。失礼致しました」

「遅いじゃないか。まあ、今日のところはきちんと赤い布を持ってきているから、その点は評価してやる」

 彼が自室に入ると色持ちの仕事は一段落つく。だから彼らはできるだけ自室へ籠るよう、さりげない誘導をしていく。

「はあ。今日は散々だ。ハールとかいう少年が、私の収入を一瞬でつぶしてくれた」

「ご主人。もし気分が浮かないようであれば、ご自身の部屋に行くというのはいかがでしょう?」

「いや。今はそんな気分ではない。だいたい、あの部屋には私を元気づけてくれる楽しくて飛び切り明るい本がないじゃないか!」

「そんなことはございません。こういったことがあるだろうと思っていたので、先ほど童話作家を十人呼んでおきました! いまごろご主人の部屋は、お伽話の宴会場でございましょう」

「うーん、やっぱり今はそんな気分ではないな。そうだ、楽しい音楽が聴きたい気分だ」

「それならより一層部屋へ入る方が良いでしょう。なにせその童話作家は皆、バイオリンを嗜むという話ですから」

「ふむ。いやだがしかし、音楽なぞ所詮刹那的な娯楽だ。もっとこう、これからしばらく続くような幸せが欲しいな。よし決めた、飼い猫を買いに行こう。ジルフィ、隣町にいくぞ!」

「いえ、それは必要ございません」

「なんだ、その童話作家とやらが、猫を飼っているとでも言うのか? 私は他人の猫なぞ欲してはない!」

「先ほど十人と申しましたが、実際のところは九人と一人です。一人は猫なのですよ。動物の視点から物語を描く、人呼んでネコのアージャ――」

 目を見開き、力強い目でギラギラと自分の召使いを睨む。いくら人望がある彼でも、ここまで荒唐無稽な話を信じるお人好しではない。

「馬鹿者! そんな話があるか! お前はいつもだらしないな。クビにしてやる」

 ベッカーは怒りに怒ったため、もう少しで何人かのいたずら小僧が頭の上で目玉焼きを作りに来そうなくらい頭に血が上った。

「まったく、どうも最近の若者は嘘が下手だ」

 言いながら彼が自室の扉を開けると、童話作家らしき風貌の男が九人、そして猫が一匹。そのうち三人はトムレッティ作曲の「弦楽三重奏曲ホ短調」を見事な音色で奏でている最中であった。

「まったく、嘘のような事実にも程度というものがあるぞ! とにかく、あいつはクビだな」



 あの猛烈ないかりを収め、さらに罪なきジルフィの解雇手続きを済ませたベッカーは、しばらく部屋に居座る詩人たちの奏でる豊かな三重奏曲に包まれ、また猫を愛でながらも着々と次なる策を練る。

「よし。こうなったら“あれ”を使うしかないな! そうと決まれば早速向かわなければ」

 聞こえよがしの独り言によれば、とうとう「あれ」を使うようだ。そう、実は彼、何を隠そうモザイク画ギルドの親方であるだけでなく、ハールの町から見て隣町の探偵事務所を牛耳るボスであった。つまり「あれ」の指しているのは、よく浮気探知やつきまとい事件解決にこき使われる探偵たちである。

「おい」 

 ただならぬ声色と探偵事務所の扉を叩く音に反応して、その一員が窓からこっそり来訪者の確認をする。

「なんてこった……! みんな、ダース・ベッカーが来たぞ! 色布を用意しろ」

 まるで魔王が来たかのような騒ぎである。手に持つ布は、色とりどり。対して探偵たちの顔面は決まって青一色。

「ダース・ベッカーだ。頼みごとがある」

 このダース・ベッカーというのは彼の暗号名なのだが、暗号と言っているのに本名を入れ込むところ、やはり彼のセンスは常人とはかけ離れている。こういった少しお茶目な部分が、案外彼を二つの集団の経営者たらしめる理由かもしれない。

「私が身を隠している村で、ハールという少年がいる。そいつは“白”を信奉するばかりか、私を侮辱してすらいる」

 うんうんと、極彩色の集団が必死にうなずき、ベッカーもといダース・ベッカーの依頼を聞く。こうなるともう黒が同化しないようにとか言う目的がかすれてしまっているような気がしないでもない。

「(前略)……奴の弱点を探し出せ! 発見者には、好きな褒美を取らせる。よいな? くれぐれも追跡を勘付かれるなよ」

 説明をすべて終えると、彼はそそくさとその町から立ち去ろうとする。しかし町を出るまでが色持ちの仕事なので、彼らは急いでその後を追う。黒い柱頭に、色とりどりの花弁。まさにそう形容するしかない奇怪な集団が町を練り歩く。

「おい、見ろよ! またあの虹おじさんが来てやがるぜ」

 村人たちがクスクス笑う。やはり。その行進を見たものは、決して「黒」に目がいかない。虹おじさんなどという本末転倒な渾名まで付けられる始末であった。

 

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