第156話 天蓋の速力

(クズが!)


 ナギの黒瞳に軽蔑の色が宿った。

 カエサルという人間を心底、くだらない男だと思った。

 自らの野心と支配欲のために魔神の下僕に成り下がるとはなんという醜悪な男だ。


(単なるロクデナシじゃないか)


 ナギは舌打ちする。 


(いや……だが、これこそが英雄かもしれない) 


 とナギは思った。

 カエサルは数多の書物、映画、小説、舞台で英雄として描かれてきた。

 日本の歴史家でも、カエサルのファンは多い。


 欧米に至っては、カルト宗教のように崇拝の対象となっている。


 だが、カエサルという男は、本質が野心的な支配者であり、軍事指導者だ。

 俗物であり、聖人ではない。


 カエサルは、ローマ帝国の将軍としてガリア〈現在のフランス地方〉に、侵略し、罪も無いガリア人を100万人虐殺して、100万人を奴隷にした。

 これは21世紀の地球人の常識からすれば、


『ヒトラーと同じ侵略者であり、大量虐殺者』


 と断罪される行為だ。


 カエサルは、ガリアや、異民族の領土に侵攻した際、現地人に恐怖を与える為、異民族の女を強

姦するよう兵士に命じ、異民族の戦士の両腕を切り落として、見せしめとした。

 ヒトラーは『虐殺者であり、悪人』と批判されるのに、カエサルは『偉大な英雄』として称賛される事は考えてみれば異常である。


 カエサルは俗物であり、能力が高いだけの極悪人でしかない。


(迷う事なく、討ち取る)


 ナギは覚悟を固めた。

 魔神の下僕になった時点で、聖人も英雄も関係ない。

 罪を犯した人間は、身分に関係なく裁かれるべきだ。

 ナギは黒瞳でカエサルを窺いつつ、呼気を整えた。


 ゆっくりと息を吐き出して、吸い込む。

 そして、精神を集中させる。

 脳がクリアになり、思考能力が上がった。


「みんな、カエサルの動きが見えるか?」


ナギが問う。


「見えますが、なかなか体が追いつきません」


 セドナが答える。


「僕も眼で追えるが、体が追いつかない」


 エヴァンゼリンが答えた。


「かなり速いのぅ」


 大精霊レイヴィアが、苦々しい表情を浮かべる。

 クラウディア、アンリエッタも、同様だと答える。

 このパーティーで、カエサルの速度に対応できるのは、ナギだけだった。


「俺が討ち取る」


 ナギは決意して、神剣〈斬華〉を構えた。

 そして、脇構えにする。

 猛攻する時にナギがとる構えだ。


ナギの体から魔力が溢れ出した。

その機先を制するようにカエサルが口を開いた。


「相葉ナギよ。私はお前よりは動きが遅いようだ」


 カエサルの言葉に、反応しナギの動きが止まる。

 カエサルは、間合いや呼吸を読むのが上手かった。

 人間の心理の機微を知ることに長けている。

 一流の軍事指導者としての素質の一つである。


「だが、私は自らの異能によって、速度を上げることができる」


 カエサルが自分の能力について語り始めた時、ナギ達に緊張が走った。

 ナギ達は、カエサルが『能力開示による誓約』をしようとしている事がすぐに理解できた。

自分の能力をあえて敵に知らせることで『誓約』という規約を双方に課すつもりなのだ。


 シオンは、黙ってカエサルの異能を聞くことを選択した。


 『誓約』は敵味方、双方にとって長所と短所がある。 

 ナギ達にとっては、敵のカエサルの異能の正体を知ることができる。

 だが、その代わり、カエサルは自己の異能とステータスを底上げできる。


 ナギは、カエサルのレベルが底上げされても、異能の正体を知ることを選んだ。

 戦闘において、もっとも恐ろしいのは敵の手の内を知らないコトだ。


 ナギがカエサルの説明を聞いて、『誓約』が成立することを受け入れる覚悟をすると、セドナをはじめ、他のパーティーメンバーも全員、それを受け入れた。  


ナギが、このパーティーのリーダーである。

 ナギの決めた事には絶対に従う。

 それが、このパーティーの暗黙の了解だった。


「私は、二つの異能を魔神から授かった。一つは、『天蓋(ソリオス)の速力(グリゴラ)』。これは30分間のみ使用可能な異能だ。

 『天蓋(ソリオス)の速力(グリゴラ)』を使用する事で、30分間、無制限に私の速度は上がり続ける。その後は、副作用で速度が低下し、現在の10分の一ほどの速度に低下する。

 現在の10分の一ほどの速度に低下すれば、お前たちに取っては私は鈍足な亀にも等しいものとなろう。

 すなわち、一度使えば、30分以内に、私はお前達を皆殺しにしなければならない。出来ない時は、私が殺されるであろう」


 カエサルが、訥々と語った。


「今ひとつの異能は、『アポロンの月桂冠(コロナダフニス)』。これは、私が対象者に触れる事で、敵の頭上に月桂冠が出現し、敵を洗脳する異能だ」


カエサルが説明した刹那、ナギ達の顔に緊張が走った。

 その緊張は恐怖に近いものだった。


(まずい。使われる前に倒す!)


 ナギは、即断してカエサルにむかって突撃した。

 魔法で飛翔し、カエサルのいる観客席に流星のように飛び込む。

 カエサルの異能は危険すぎた。


 触れただけで洗脳されてしまう異能。

 それはカエサルの異能が発動すれば、一瞬で「詰み」だということだ。


 闘いの最中にカエサルに触れられないように戦うとなると、どれだけ精神が疲弊するか分からない。


 しかも、カエサルは『アポロンの月桂冠(コロナダフニス)』で、30分間、無制限に速度が上がり続けるという。 


 カエサルは現在でも、速い。もしナギ以上の速度になったら、手がつけられない。


(確実に、仕留める)


 ナギはカエサルにむかって、ミサイルのように飛翔しながら決意する。

 カエサルは、剣を構えた。

 そして、ナギにむかって殺気を迸らせる。

 ナギは、カエサルが自分と戦うつもりだと認識した。

 カエサルが、動いた。

 ナギに向かって、カエサルが飛翔する。


 互いに空中を飛翔し、流星のように飛ぶ。

 カエサルが、ナギにむけて剣を振りかぶった。

 カエサルの剣技は達人の領域だった。


 ローマ帝国時代、カエサルは常に武芸の修練を怠らず、幼少時から死ぬ直前まで、鍛錬を欠かさなかったという。 


 時には最前線で自ら剣をもって、敵と戦った。

 カエサルの振り上げた剣を見て、ナギはカエサルが、自分に袈裟斬りをすると予測した。

 ナギとカエサルが、激突する。その直前、カエサルが動きを変えた。


(!)


 ナギは意表を突かれた。

 なんとカエサルは、剣をナギにむかって投擲したのだ。


 飛びナイフのようにカエサルはナギに剣を投げた。


 ナギはカエサルの剣を弾いた。

 予想外の行動にナギの思考がわずかに乱れる。

 その刹那、カエサルはナギの脇をすり抜けて、セドナたちのいる場所にむかって飛翔した。


(しまった!)


 ナギは、焦った。

 カエサルによって、呼吸と間合いを乱された。

 ナギほどの剣の達人を翻弄するとは、カエサルはやはりただ者ではなかった。

 ナギは一度、客席に衝突した。


 そして、急いで方向転換して、セドナたちを助けるべく飛翔してむかう。

 だが、カエサルの方が速かった。


 カエサルはセドナに襲いかかった。

 セドナは、《白夜の魔弓(シルヴァニア)》をカエサルにむけて、矢を放った。


 勇者エヴァンゼリンは、斬撃をカエサルにむかって飛ばし、クラウディアは聖槍で刺突した。

 大精霊レイヴィアと大魔導師アンリエッタは、カエサルにむかって、電撃の魔法で攻撃した。


 だが、カエサルは、『天蓋(ソリオス)の速力(グリゴラ)』によって速度を向上させていた。

 カエサルは、セドナの矢と勇者エヴァンゼリンの飛ぶ斬撃を回避した。 そして、大精霊レイヴィアと大魔導師アンリエッタの電撃魔法をも、すり抜けて回避する。


 そして、セドナに襲いかかる。


「くっ!」


 セドナは、カエサルから逃れようと右横に飛翔した。 

 だが、カエサルの方が遙かに速かった。


 逃げようとするセドナの肩に、カエサルの手が触れた。

 セドナが悲鳴を上げた。

 激痛がセドナを襲う。 


「セドナ!」


 ナギが叫んだ。

  

  


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