第153話 明暗

 ナギが、負傷したアンリエッタを抱き留めた。

 ナギの腕の中で、アンリエッタが胸から血を流し続ける。


 セドナが即座に駆け寄り、アンリエッタに治癒魔法をかける。

 レイヴィアが、桜色の瞳に憤怒を宿し無詠唱魔法を唱えた。


《氷竜(ドラクス)の咆吼(ベリヒスモス)》


 魔法で形成された氷の散弾が、全方位にむけて撃ち放たれる。

 散弾が、何かに衝突した。


「そこか!」


 レイヴィア、クラウディアが、間髪入れずに攻撃する。 

 透明な敵だが、ジャック=ザ=リッパーの分身体は、完全に気配を消せないという。何もない空間で、衝突した気配があるならば、それはジャック=ザ=リッパーの分身体がいる証拠だ。


 レイヴィアは《氷槍》の魔法で、分身体を攻撃した。

 クラウディアは疾風のように駆けて、聖槍で空間を突き刺す。


 鮮血が宙に舞った。

 ジャック=ザ=リッパーの分身体が、四体。姿を現して血に倒れ臥す。


 四体はレイヴィアの魔法によって、氷の槍で肉体を串刺しにされて倒れ、一体はクラウディアの聖槍によって胸を貫かれて倒れたのだ。


「これで残りは本体のみ……」


 レイヴィアは、全身から大量の汗を流しながら周辺を警戒した。

 クラウディアも、端麗な顔から汗を滴らせている。 


 ジャック=ザ=リッパーの放った《白(ボイラ)い霧(ブランカ)》によって、肉体に毒がまわり消耗が激しい。


「レイヴィア様、クラウディア! 大丈夫ですか?」


 ナギが、アンリエッタを左手で庇い、右手で剣を構えながら問う。


「残念ながら相当損耗した。思った以上に、この《白(ボイラ)い霧(ブランカ)》の毒は強烈じゃのう」


 レイヴィアは自嘲の色を端麗な顔に浮かべた。レイヴィアは精霊であるが、現象界に受肉しているため肉体に毒が効く。

 クラウディアは人間であるから、なおさらダメージが大きい。


(残りはジャック=ザ=リッパーの本体のみだ。しかし、どこにいる?)


 ナギはアンリエッタをセドナに任せて周囲を警戒した。

 セドナの魔力も、《白(ボイラ)い霧(ブランカ)》で弱体化しており、治癒魔法の効き目が悪い。アンリエッタの受けた傷など万全のセドナならば、即座に完治できた。


 だが、アンリエッタは今、胸から血を流し続けている。治癒魔法の効き目が衰えているからだ。失血の量は減ったが、危険な状態である。


「早く倒さなければ……」


 エヴァンゼリンが、周囲を見渡す。だが、ジャック=ザ=リッパーの本体は一切の気配がなく、魔力、殺気、闘気、いずれも感じられない。 刹那、刃物が肉体を切り裂く音が弾けた。


 ナギの左肩。セドナの背中、エヴァンゼリンの背中が、ジャック=ザ=リッパーの短剣によって切り裂かれたのだ。


「ちっ」


 ナギが舌打ちした。

 セドナとエヴァンゼリンが苦痛で顔をしかめる。

 三人とも傷は浅い。だが、こちらはジャック=ザ=リッパーを攻撃できないのに、敵だけが、攻撃を確実にしてくることに危機感がつのる。


(どうする?)


 ナギは胸中で呟いた。

 ナギは、真剣〈斬華〉で縦横に斬撃を放った。

 何もない空間にむけて放った四つ斬撃は、虚しく宙空を切っただけだった。

 相変わらず、ジャック=ザ=リッパーの気配を全く感じない。これでは攻撃が当たる筈も無い。

 この瞬間にも、《白(ボイラ)い霧(ブランカ)》が、ナギたちの肉体を蝕んでいった。


「ナギ様! アンリエッタ様が危険です。このままではもってあと二十分です。早く魔力を復活させて、治癒魔法をかけなければアンリエッタ様が持ちません!」 


 セドナが、地面に片膝をついた状態で、地面に横たわるアンリエッタを治癒しながら叫ぶ。


 ナギ、レイヴィア、エヴァンゼリン、クラウディアの顔に緊張が走る。「見えない敵がこれほど厄介とは……」


 エヴァンゼリンが、苦々しく吐き捨てる。


(このままでは全滅だ)


 ナギは、危機感を募らせた。


(賭けるしかない)


 ナギは、十歩ほど歩いて目を閉じた。

 そして、真剣〈斬華〉を消して、構えをといた。


「ナギ様?」

「ナギ?」


 セドナとレイヴィアが叫ぶ。

 完全に戦闘態勢をといて隙だらけになったナギを危ぶんだのだ。


 ジャック=ザ=リッパーの本体が、間断なく攻撃してこず、しかも、致命傷を与える強い攻撃をしてこないのは、こちらが戦闘態勢を整えているからだ。

 反撃できる状態になければ、ジャック=ザ=リッパーは、易々と致命傷を与える攻撃を繰り出し

てくる。

セドナ、レイヴィア、エヴァンゼリン、クラウディアに不安と困惑の表情がよぎった。


    




(どういうつもりでしょうか?)


ジャック=ザ=リッパーは気配を完全に消した状態で思う。

 こちらは《透明(フーラ)なる刃(トランサレール)》で、透明になり、気配、魔力、闘気、殺気、全てを消している。


 それでも、深く踏み込んで攻撃できないのは、ナギたちが臨戦態勢だからだ。アンリエッタは魔導師であり、近接への対処がわずかに遅いタイプだ。だから、致命傷を与える攻撃が出来た。


 だが、戦士タイプであるナギ、セドナ、レイヴィア、エヴァンゼリン、クラウディアには攻撃が出来にくい。


 全員、魔導にも長けているが、武芸にも長けているタイプだ。

 こちらが攻撃する刹那に、万が一反撃を喰らえば危険である。


(だが、相葉ナギは、臨戦態勢をといている。あれならば、私でも致命傷を与えるために深く踏み込んで攻撃できる)


 ジャック=ザ=リッパーは、最初、罠か? と疑った。

 だが、子細に観察しても、ナギが臨戦態勢をといているのは明らかだ。


(今、即座に相葉ナギを倒すか?)


 ジャック=ザ=リッパーは黙考した。

 あきらかに誘いである。


 だが、相葉ナギの戦力は尋常ではない。

 神の力を有する魔神最大の敵。

 今までは隙が無く、強い攻撃ができなった。


 だが、今ならば仕留められる可能性が高い。


自分の異能・《透明(フーラ)なる刃(トランサレール)》は、全ての存在を消す。そして、この能力は隠していたが、攻撃の最中しか、敵の攻撃が当たらない。無敵に等しい能力である。


(もっとも強大な力を持っているナギを殺せば、あとのメンバーはどうとでもなる!)


 ジャック=ザ=リッパーは、そう決意し、ナギめがけて疾走した。








ナギは、呼吸を整えた。武道の呼吸だ。自律神経が整い。脳波が最高の状態になる。

 高僧の座禅に等しい状態。全ての感覚鋭くなり、同時に心が安定する。

 恐怖も不安も緊張も消え去る。


 やがて、ジャック=ザ=リッパーの攻撃が来た。

 ジャック=ザ=リッパーの短剣がナギの腹を刺す。

 ナギの腹部にジャック=ザ=リッパーの短剣が突き刺さる。

 刹那、ナギはジャック=ザ=リッパーのいる場所を直感的に捉えた。


「そこだ!」


 ナギが、真剣〈斬華〉を袈裟斬りにした。

 ジャック=ザ=リッパーの肉体を真剣〈斬華〉が切り裂く。


 鮮血が、宙空に舞った。同時にジャック=ザ=リッパーの肉体が、姿を現す。ジャック=ザ=リッパーの透明化が無効化された。


 ジャック=ザ=リッパーの鎖骨から心臓、そして股下まで、真剣〈斬華〉が切り裂いていた。


「馬鹿な……」


 ジャック=ザ=リッパーは両膝をついた。口から大量の鮮血が流れる。やがて、地面に俯せに倒れた。


(まさか、あんな刹那に的確に攻撃をしてくるとは……)


 ジャック=ザ=リッパーの瞳に驚愕の色彩が滲む。

 常人にできる事ではなかった。相葉ナギという武芸に秀でたものだから出来たことだった。


 ジャック=ザ=リッパーの敗因は、武術を甘く見ていた事。そして、ジャック=ザ=リッパーが、弱い女性のみを殺す殺人鬼であった事だ。


 相葉ナギは、『相撃ち』でも敵を倒すという覚悟があった。


 だが、ジャック=ザ=リッパーには、『自分は安全地帯にいて、一方的に敵を殺す』という快楽殺人鬼としての感覚しかなかった。

 その差が明暗を分けた。


(なるほど……、実戦経験のない私と、実戦を潜り抜けてきた相葉ナギとの差ですか……)


 ジャック=ザ=リッパーは地面に倒れたまま自嘲した。


(戦闘にたいする覚悟も、経験もない私が、勝てる道理はなかったかもしれませんね……)


 ジャック=ザ=リッパーの肉体から大量の血が流れ、彼の意識が朦朧とする。


「トドメを刺してやる。何か言い残す事はあるか? ジャック=ザ=リッパー」


 相葉ナギが、真剣〈斬華〉を握りしめた。


「特にありませんね……。そうだ? 私の正体を知りたいですか? よければ教えて差し上げますよ……。この、世紀の殺人鬼。ロンドンを恐怖に落としいれた怪物。ジャック=ザ=リッパーの正体をね……」


 ジャック=ザ=リッパーが端正な顔に苦笑の波をゆらす。


「興味がない。俺はお前の正体など知りたくも無い」


 ナギは断言した。


「そう言うと思いました……」


 ジャック=ザ=リッパーは微笑を浮かべた。

 真剣〈斬華〉が、振り下ろされた。

 ジャック=ザ=リッパーの首が切断される。

 ジャック=ザ=リッパーが、絶命すると同時に、ナギ達を弱体化させていた《白い霧》が晴れた。

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