第147話 憐憫
「手を組むだと?」
ナギは軽侮の笑みを浮かべた。
「そうだ」
始皇帝は魔剣を手にしたまま続けた。
「予とそなたで、ともに魔神を討ち滅ぼそうではないか」
始皇帝が、強い語勢でのべた。
ナギは、わずかに戸惑いの光を黒瞳に宿した。
「魔神を滅ぼす? 始皇帝よ。お前は魔神に忠誠を誓ったばかりではないか」
ナギが、難詰するように問う。
始皇帝は、嘲弄の笑声をあげた。
「如何にも。予は魔神に忠誠を誓った。だが、それは一時の方便よ。予はいずれ罪劫王も魔神も全て滅ぼし、この世界を掌握してやる」
始皇帝の声は覇気にとんでいた。古代の中華を征服し、巨大王朝を一代で築き上げた梟雄の気概を、始皇帝は失っていなかった。
「罪劫王も、魔神も予とそなたが手を携えれば必ず勝てるであろう。予とそなたの同盟は魔神を討滅するまで。その後は、正々堂々とこの世界の覇権をかけて競い合おうぞ」
始皇帝が、愉悦に満ちた声を出す。
始皇帝の腐った顔面から、覇気が滲み出た。
国盗りこそが本能であり、その本能は生き返っても、なお始皇帝の魂に宿っていた。
ナギは、心中で軽く首をふった。
「断る」
ナギは端的に答えた。
「ほう。何故断る? 理由を教えよ」
始皇帝が問う。
「お前など信用できん。そもそも、お前は信義を守ることがない男だ。
お前は前世においても、現世においても他人を信じた事が、一度でもあるのか?」
ナギが、神力で始皇帝を威圧しながら言った。ナギの純白の神力が、始皇帝の黒い魔力をわずかに押す。
始皇帝はナギの答えを聞いて、腐った口から笑声をもらした。
「確かにな、予は、常に予のみを信じる。他人を信じた事など一度も無い。そもそも、人間の本性は悪だ。人を信じるなどという愚劣な行為を、過去も未来も予がすることはない」
始皇帝はむしろ誇るように答えた。
始皇帝は、中国の歴史上、「人間の本性は悪である」という人間、性悪説を声高に唱えた唯一の皇帝である。
始皇帝以後の中国の皇帝は儒学の影響で、「人間の本性は悪」という言葉を公的には発言しなかった。
始皇帝は露悪的なまでに性悪説を唱えた。
しかも、それをそのまま実行し、徹底した猜疑心と虐殺と謀略で中国を統一した、中国の歴史上唯一の皇帝である。
始皇帝の心は、今もその圧倒的な自負心を持ち続けていた。
「まあよいわ。そなたが予と同盟を結ぶ可能性は、もともと百に一つと思っておったわ。遊戯としては楽しめた」
始皇帝は、腐った顔面を震わせて笑んだ。
そして、始皇帝は階(きざはし)から、ゆっくりと降りだした。
同時に始皇帝の黒い魔神の魔力の波動が巨大化する。
「座興は終わりだ。相葉ナギ。死ぬが良い」
始皇帝が、黒い魔剣を晴眼に構えた。
ナギは、端正な顔に挑発的な微笑を浮かべた。
「そうそう、始皇帝よ。俺がお前の誘いを断った理由はもう一つある」
ナギが、わずかに毒を含んだ口調で言った。
「ほう。如何なる理由だ? 予に聞かせてみよ」
始皇帝が、座興を楽しむ風情で問う。
「簡単な事だ。魔神を倒すというお前の宣言が、笑止極まりないからだ。魔神の配下である罪劫王ディアナ=モルス。その飼い犬にすぎないお前如きの助力があっても、魔神討伐に役立つ筈もないだろう」
ナギの挑発は辛辣を極めた。
ナギは善良だが、戦いになれば相手の心を乱すためにこの程度の挑発はできるのだ。
そして、ナギの挑発は始皇帝を激発させた。
ナギの挑発は真実であり、真実であるからこそ、始皇帝を激怒させた。
「貴様ァアアアア!」
始皇帝は怒号し、黒い魔剣を振り上げてナギに突撃した。
ナギが応じて神剣〈斬華〉で応戦する。
数十の閃光が、両者のいる周囲の空間に弾けた。
ナギの神剣〈斬華〉。始皇帝の魔剣が撃ち合い、衝突したのだ。
始皇帝の剣技は卓抜したものだった。
そして、ナギの剣技も津軽神刀流の奥義を究めた洗練されたものだった。
ナギの神剣〈斬華〉が、袈裟斬りに始皇帝を襲う。
始皇帝は、魔剣を斜めに振り上げて、ナギの斬撃を弾き飛ばす。
袈裟斬り、水平斬り、逆袈裟、刺突、あらゆる斬撃が、双方から打ち出される。
そして、その都度、ナギの純白の神力と、始皇帝の黒い魔神の魔力の波動が吹き荒れて、爆発するように宙空で閃光を発する。
純白の神力と、黒い魔神の魔力が、竜巻のように空間内で吹き荒れる。
そして、その暴風圏の中央部で、ナギと始皇帝は剣を撃ち合っていた。
◆◆◆◆
「なんていう戦いだ……」
エヴァンゼリンが、茫然とした口調で言う。短めの灰金色の髪の少女は、あまりの死闘に驚愕をかくしきれなかった。
魔神の血。ただ一滴の血。それだけでこの大災害のような魔力を引き起こしている。
「ナギは勝てるのだろうか?」
エヴァンゼリンは、呻くような声を出した。レイヴィア、クラウディア、アンリエッタも同様の思いを胸中によぎらせる。
その中で、銀髪金瞳の少女のみが、確固たる口調で全員に声をかけた。
「心配いりません。ナギ様が勝ちます。私達は見ていればいいのです」
セドナは断言し、黄金の瞳を愛しい人をじっと注いだ。
◆◆◆◆◆
ナギが、神剣〈斬華〉を水平に打ち込んだ。始皇帝は魔剣でそれを弾くと、そのまま刺突してナギの首を狙った。
始皇帝の鋭く重い刺突。
それをナギは半身になって、一寸で見切った。
同時にナギが右下から逆袈裟に始皇帝に神剣〈斬華〉の斬撃を打ち込む。
始皇帝は後ろにバックステップしてかわし、即座に魔剣をナギに打ち下ろす。
ナギは打ち下ろしてきた魔剣を、神剣〈斬華〉で斜めに滑らしてかわした。
双方が、わずかにバックステップし、直後に剣をかざして斬撃を衝突させる。
ナギと始皇帝の剣技はほぼ互角だった。
そして、魔力も今の所は均衡を保っていた。
だが、十秒、二十秒、三十秒、一分と斬撃の応酬が続く内に、徐々にナギが優勢になり、始皇帝が押され始めた。
やがて、ナギの斬撃が始皇帝の左肩を浅く斬った。
「ぬうっ!」
始皇帝は苦悶し、憤怒してナギに襲いかかった。
魔神の血を付与された魔剣を振りかざし、左、右、下、上、右下、左下、横、右と、あらゆる角度から斬撃の暴風を繰り出す。
だが、ナギは始皇帝の斬撃を全てかわし、弾き返し、受け止めた。
そして、始皇帝の胸、腹、右肩に斬りつける。
「馬鹿な! なぜ、予が押されるのだ!」
始皇帝が、斬撃を繰り出しながら叫んだ。
始皇帝にとって理解不能だった。
(戦闘能力も、魔力も予の方が上回る筈だ。なのに何故、劣勢になる?)
始皇帝は胸中で疑念をよぎらせた。
(そもそも、予は【
六将軍はいずれも武芸の達人であり、秦の国の兵士数十万も精鋭揃いの手練れたちである。
その六将軍と数十万の兵士の技と経験を吸収した自分は、戦闘能力、魔力、技、経験、全てにおいてナギを遙かに凌駕する筈だ。
(戦って予が負ける筈がない!)
始皇帝は心中で呻いた。
だが、始皇帝はナギに押されていた。
徐々にナギの神剣〈斬華〉が一方的に始皇帝の肉体を切り刻んでいく。
始皇帝の腐った肉体が、神剣〈斬華〉によって削がれ、始皇帝がみるみるうちに体力・魔力を失っていく。
「おのれ!」
始皇帝は焦慮を覚えつつ、魔法を発動させた。
【
魔神の黒い魔力を媒介にした爆裂魔法。
罪劫王ディアナ=モルスから、付与された術式を使用して、始皇帝が撃ち放つ。
ほぼ、ノーモーションで行使された、【
半径6メートルの球形の爆発。
黒い光の爆裂魔法が炸裂する。
ナギは津軽神刀流の「読み」で、魔法の気配を察知し、跳躍して後退した。
ナギと始皇帝は暫し、10メートル程の距離をおいて対峙する。
「なぜだ。なぜ、予が劣勢なのだ……」
始皇帝の腐った顔面に焦慮と憎悪が混在して浮き上がる。
「自分の敗因がまだ分からないのか?」
ナギが神剣〈斬華〉を脇構えにした。
「敗因だと!」
始皇帝が怒号する。
「そうだ。お前は負ける。原因は《聖餐》で六将軍と数十万の兵士の魔力・能力を吸収したからだ」
ナギが冷静に指摘する。
「ふざけるな! それが何故、敗因となる!」
始皇帝が、わめいた。
「魔力だけならともかく、技、経験まで吸収したからだ」
ナギが、黒瞳を始皇帝に注ぎ、やがて語を継いだ。
「技や経験を吸収するのは良いとして、それを自分のものとして十全に扱うにはある程度の時間が必要なのだ。
お前はその時間を取らずに俺との戦いに臨んだ。こんな短期間で、六将軍と数十万の兵士の技と経験を消化して、自分のモノとして操れるわけがないだろう?」
ナギの声には憐れむような響きがあった。
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