第137話  蒙恬(もうてん)

ナギとセドナのいる場所から、五キロほど離れた平原。

勇者エヴァンゼリンは、蒙恬(もうてん)と対峙していた。

 勇者エヴァンゼリンは聖剣を構えながら、蒙恬を観察していた。

 戦う前に敵を観察するのは、兵法の常道である。

 

蒙恬は、三十歳前後の風貌をしていた。

 身長は190センチ前後。

 体重は百二十キロを超えている。

 一見すると肥満に視えるが、分厚い脂肪の内側に、強靱な筋肉が内臓されていた。

 蒙恬は、巨大な戦斧を持ち、勇者エヴァンゼリンと間合いを取り合う。


 間合いとは距離と角度である。

 相手よりも優位な距離と角度を取るものが敵に打ち勝つ。


 蒙恬は、歴戦の古豪らしく、慎重に、かつ狡猾に勇者エヴァンゼリンと間合いを取り合っていた。 

 

数秒後、蒙恬の方が、間合いの取り合いで、エヴァンゼリンよりも優位にたった。

 だが、エヴァンゼリンはさして脅威を覚えなかった。

 灰金色の髪の少女は、内心で、


(惜しいな……)

 

と、蒙恬を憐れんでいた。

 蒙恬は、強い。対峙しているだけで、百戦錬磨の戦士だということがよく理解できる。

 それ程、蒙恬には気迫と威厳がある。 


 だが、蒙恬は魔力量が低い。

 エヴァンゼリンの十分の一もない。 

 この戦いは端から勝負にならないのだ。


(戦えば確実に僕が勝つな……)

 

エヴァンゼリンはそう思い、蒙恬に同情した。

 同情したのは蒙恬という人間が、敵とはいえ、まだ誰も殺していない存在だからだ。

 彼は召喚されたばかりで今の所、特に人類や世界に害悪をもたらした訳ではない。

 それに、正々堂々、一対一で正面から戦おうとするその姿勢も好感がもてる。


(どうにも気が引けるな)

 

と、エヴァンゼリンは嘆息した。

 だが、ふいに蒙恬が、エヴァンゼリンを睨んだ。


「小娘、俺にたいして憐憫をかけるつもりではあるまいな?」

 

 蒙恬が、低く鋭い声を出した。

 エヴァンゼリンは、はっとした。蒙恬に心中を見抜かれたと思った。

 

エヴァンゼリンが無意識に加減しようと思考しつつあり、それを蒙恬は鋭い洞察力で見抜き、彼女を叱咤したのだ。

 

エヴァンゼリンは、わずかに頬を染めた。

 それは自身の浅慮と未熟さを実感したからだ。


 この場合の憐憫や、浅い同情は蒙恬に対して無礼であり、全力で戦うことが正道だと、目の前の男に気付かされたのだ。


「……失礼した」

 

エヴァンゼリンは魔力を全開にした。

青い魔力光が、灰金色の髪の勇者から放たれる。

 エヴァンゼリンは聖剣を晴眼に構えた。


「貴卿の名前は?」


灰金色の髪の勇者が問う。


「蒙恬。秦の将なり」 

 

秦の国の名将は、誇りをもって答えた。

 蒙恬は戦斧を上段に構えた。

 エヴァンゼリンが、応じて腰をわずかに沈める。

 数秒の静寂。


 次の刹那、蒙恬が動いた。

 蒙恬は無言の気合いとともに戦斧を真っ向から振り下ろした。

 エヴァンゼリンの脳天にめがけて戦斧が打ち下ろされる。

 その時、エヴァンゼリンの聖剣が、白い剣光を発した。

 

二つの剣閃が煌めく。

 エヴァンゼリンの放つ、一つ目の斬撃で蒙恬の戦斧が粉微塵に砕ける。

 ほぼ同時に、蒙恬の胸が、エヴァンゼリンの二撃目の斬撃で横に斬りさかれた。

 蒙恬には剣閃を目で視認することすら出来なかった。

 

エヴァンゼリンは身体を引いた。

 そこに蒙恬の巨体が倒れた。

 蒙恬の身体が仰向けに倒れ、血が地面に広がる。 

 エヴァンゼリンは聖剣を鞘にしまった。

 

 

 

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