第134話  始皇帝

視界が変わった。

 先程とは全く別の空間に、ナギ達はいた。

 そこは地平線まで続く草原だった。

 陽光が、強い日差しを大地に投げかけている。

 セドナが、黄金の瞳を瞬かせた。


「あれは……なんですか?」

 

 セドナの視線の先には、長大な壁があった。

 視界の右から左までを埋め尽くす長城。

 万里の長城があった。

山岳の上の稜線に建てられた万里の長城が、圧倒的存在感をともなって、ナギ達の目の前に立ち塞がる。


「万里の長城だ」

 

 ナギが、そのあまりに高名な建造物の名を口にした。

 現存する万里の長城の延長は6,259.6km。

 一説では明時代の最盛期には、8600キロを超えていたという。


「凄いね」

 

 エヴァンゼリンが正直な感想をのべた。

 これ程の規模の人工建造物は滅多にない。

 エヴァンゼリンを始め、全員が感嘆の表情を浮かべる。


「地球の文明とは凄いものだな」

 

 クラウディアが、興味深そうに言った。


「いや、地球でもあれだけの建造物は他に類例がない。単にでかいだけなら、おそらくあれが最大級だろうな」


 ナギが答える。


「ナギ様、あれは、なんのために作られたのですか?」

 

 セドナが、興味津々で尋ねる。


「北方の騎馬民族を恐れた漢民族という民族が、防衛のために築き上げた城塞だ」

 

 とナギは説明した。

 元々、始皇帝という皇帝が作ったとされているが、実際は始皇帝以前から万里の長城は、小規模ながら作られていた。

中原に位置する漢民族は、北方の騎馬民族を恐れ、防衛のために紀元前600年頃から、岩やレンガで万里の長城を作りだした。

 

 北方の騎馬民族は、遊牧民であり、多くの羊を飼っている。 

 そのため羊が通れない程度の小さな壁があれば、遊牧民である騎馬民族は、南下しようとしなくなる。

 初期の万里の長城は、高さが一メートル程度のものだったそうだ。

 それを始皇帝が、大々的に補強して、長大な壁にしたのだ。


「万里の長城となると……。やはりあの男が敵かな?」

 

 ナギは、むしろ楽しそうに瞳を細めた。





 

 万里の長城を越えた奥。

 草原に巨大な城が聳え立っていた。

 阿房宮である。

 秦の始皇帝が、己の権勢を示すために作った当時、世界最大級の大宮殿である。

 

 中国大陸全土から集められた70万人の受刑者が建設に携わり、

 広さは、東西1200m×南北400m。

 中には東西800m×南北150mの宮殿が立ち、金銀玉楼で装飾された華麗極まりない大建造物である。

 その美麗極まりない阿房宮の最奥。

 一際、豪奢な宮殿の室内に、二つの影があった。

 

 一人は、玉座に腰掛けた男。

 一人は、玉座の前に立つ女だった。

 

 玉座に座る男の姿は異形だった。

 男の肉体はゾンビに等しかった。

 顔も、胸も、腕も、足も爛れて腐食し、全身の皮膚がなく、神経や血管が剥き出しになっている。

その腐食した醜い肉体の上に、漢民族の伝統衣装である漢服(かんふく)を纏っている。服には豪華絢爛な装飾が施されていた。

 男の名は、始皇帝という。

 かつて、中国大陸全土を征服し、中国史上初の統一国家を創設した男である。

 

 始皇帝の前に立つ女は美しかった。 

 だが、その美貌は造花を思わせた。

 美女の年齢は20歳前後。

 赤紫色の髪と瞳をしており、その表情は氷のように冷たい。

美女の名は罪劫王ディアナ=モルスという。

 始皇帝の剥き出しの眼球が動き、幽鬼のような光が浮かんだ。


「罪劫王ディアナ=モルスよ……」

 

 始皇帝の口から殷々として声が漏れる。


「本当に、相葉ナギ一行を皆殺しにすれば、予を不老不死にしてくれるのだな?」


 始皇帝が、縋るような声音で、罪劫王ディアナ=モルスに問う。


「ああ、私は約束は守る。もし、相葉ナギ達を鏖殺することが出来たならば、私と同じく、お前をリッチーにしてやろう。そうなれば、永遠の生命と若さを卿は得るだろう」


 ディアナ=モルスが、氷のような声で告げた。


「おお……」

 

 始皇帝の剥き出しの眼球から、歓喜の涙が溢れた。そして、涙が、爛れた顔につたい落ちる。


「不老不死……。ようやく……。ようやく、予の望みが叶う……」


 始皇帝は玉座の上で全身を震わせた。

 求めて、求めて、求め続け、ついには手に入らなかった望み、不老不死。

 それが、ようやく手に入る!

 始皇帝の口から喜悦の笑声が零れた。

 巨大な広間に始皇帝の笑声が、響き渡る。


「始皇帝よ」

 

 罪劫王ディアナ=モルスは、始皇帝を見下ろしながら言った。


「我が主君、《魔神》は全知全能の力を有する神だ。我らに与する限り、卿の望みは全て叶えよう。だが、もし、失敗したならば卿の望みはおろか、命さえもないことを肝に銘じよ。相葉ナギとその仲間たちを確実に鏖殺せよ。これは主命である」


 ディアナ=モルスが宣告すると、始皇帝は玉座からおりた。


 そして、ディアナ=モルスの前に跪き、大地に両手を投げ出して、ディアナ=モルスの足に口づけする。


「……予は誓う。魔神とそなたの命令に従う。どうか、どうか、予を不老不死にしてくれ……」

 

 始皇帝の声が、希望と絶望の狭間でゆれた。


「期待しているぞ。卿は古代の地球において、最も邪悪で強大な偉人の一人。その力を使い、魔神のために励むが良い」

 

 罪劫王ディアナ=モルスは、氷の彫像の様な美貌に微笑を浮かべた。

 やがて、罪劫王ディアナ=モルスの姿が、忽然と消え去った。

 始皇帝は、ディアナ=モルスが消えると立ち上がり、口から涎とともに、息を吐き出した。


「不老不死……、不老不死が手に入る……」

 

 始皇帝の目に、妄執の焔が宿る。

 彼の脳裏に生前の記憶がよぎった。

 



 

 始皇帝は、紀元前259年2月18日、古代中国の戦国時代の「秦」という国の王子として生まれた。

王として即位した後、圧倒的な指導力と、軍才によって、紀元前221年に中国史上初めての統一国家を創設し、乱世を終結させた。

 まさに英雄の中の英雄である。

 だが、始皇帝はその後、狂い始めた。 

 

 自らを神に最も近き者、「真人(しんじん)」だと主張しだした。

 過酷極まりない法の統治により、民衆を大弾圧した。

 焚書坑儒を初めとして、大量虐殺が横行した。

 酷吏が跋扈し、苛烈な法律が適応され、無数の民が逮捕され罪人となった。

 当時の秦の人口が約2700万人であったが、一説ではその内、100万人ほどが罪人にされたという。

 

 始皇帝は、更なる権勢と栄華を求め続け、ついには不老不死を願いだした。

 未来永劫、権力を握り続けたい。

 その一心で不老不死になるためにあらゆることをした。

 医師に命じて、不老不死の薬を作らせ、寿命が延びるとされた薬を毎日食した。

 

 その薬の中には、ヒ素や水銀が混じっているモノもあった。

始皇帝は、強熱的なまでに不老不死を求めたが、当然不老不死になれる方法などある筈がなく、紀元前210年。始皇帝は、49歳で崩御した。



 死後、始皇帝は輪廻の渦の中に入った。

 輪廻の渦の中、魂だけとなっても、始皇帝は不老不死への妄執を抱え続けた。

 時間、空間が消滅した輪廻の渦の中、始皇帝は不老不死を求め続け、彷徨った。


 永劫の存在になることを求め、苦悶し続けた始皇帝の魂はある日、突然、召喚された。

 

 召喚したのは、罪劫王ディアナ=モルスである。

 ディアナ=モルスは魔神の命令により、戦力となる人材を求めていた。 地球において、一定レベルの業績を上げた者。

 

 偉人、英雄、犯罪者などはその魂に強烈な力を宿している。


 ディアナ=モルスは、始皇帝の魂を見つけ出すと、異世界フォルセンティアに召喚し、その魂の形状にあわせた肉体を始皇帝に与えた。


 始皇帝の魂は、ディアナ=モルスの禁術により、強大な魔力を付与され、異能を授かった。

 ディアナ=モルスは始皇帝と誓約し、彼を臣下にした。


「不老不死が欲しければ、相葉ナギたちを鏖殺せよ」

 

 ディアナ=モルスの命令に、始皇帝は魂から屈して忠誠を誓った。


 


「永遠の生命……。不老不死……。ようやく予の望みが叶う!」


 始皇帝は玉座の上で、狂笑した。

 始皇帝の魔力が増大し、異能が発動された。

 

 

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