第132話 恐怖
「来てくれたか、ナギ」
レイヴィアは安堵の表情を浮かべた。
「八神光輝は、倒したようじゃな」
「ええ」
ナギが、神剣〈斬華〉を油断なく構えて、エリザベートを見る。
「あの女吸血鬼……、強いですか?」
「とてつもなくな」
レイヴィアが答える。
「正直、手に負えないよ。なにせ、ボクの剣が届かない」
エヴァンゼリンが、ナギの隣に立つ。
「私の聖槍も、アンリエッタの魔導も、無効化された。攻撃できないのでは勝ち目がない」
クラウディアも、ナギの隣に移動した。
「空間操作による防御。瞬間移動。時間遅延。これ程厄介な相手はおらん。ワシには倒す策(て)が思いつかん」
レイヴィアが悔しそうに言う。
「分かりました。俺が倒します」
ナギが、数歩前に出た。
「倒せるのかい?」
エヴァンゼリンが、端麗な顔に驚いた表情をたたえた。
「倒せる」
ナギは、微笑を浮かべて神剣を脇構えにする。
「……任せる」
アンリエッタが、後方にひいた。応じて、レイヴィア、エヴァンゼリン、クラウディアも後方に下がる。
「ナギ様、どうかご無事で……」
セドナが、最愛の人の武運を祈り、後ろに下がる。
「ああ。心配いらないよ。すぐに終わる」
ナギが、セドナに答える。
ナギとエリザベートが、1対1で対峙した。
二人とも、高度一千メートルの宙空に飛行の魔法で浮かび、互いに隙を見いだし合う。
エリザベートは、内心で安堵していた。
レイヴィアたちの連続攻撃で体力と精神力を消耗していたのだ。
ナギ達が会話している隙に、わずかだが回復できた。
エリザベートは、三十メートル先にいるナギに碧眼を向けた。
(この男が相葉ナギか)
魔神軍最大の敵。数多の十二罪劫王を倒した猛者。
だが、眼前にいる相葉ナギの姿は、華奢にすら見える端正な顔立ちの少年で、とても強そうには見えない。
「私を倒すとは随分と自信家のようね」
エリザベートが、細剣(レイピア)を構えた。
「自信家というわけではないな。たんに事実を言っているだけだ」
ナギが静かに言う。
「ほざけ。ガキが」
エリザベートの碧眼が不気味に光った。
エリザベートが、【空間圧縮】を発動した。
敵のいる空間を圧縮し、敵を空間ごと圧殺して殺害する技だ。
エリザベートの魔力に呼応して、ナギの周囲にある空間が圧縮されていく。
一千分の一秒にも満たない時間で、ナギの周囲の空間がねじ曲がる。 ナギは機敏に悟り、即座に上空に退避した。
「逃げられると思うな! 空間と時間を操作する私は無敵だ!」
エリザベートが吼えた。
エリザベートが、次々に【空間圧縮】を放ち、ナギを圧殺しようとする。
不気味な轟音とともに、【空間圧縮】が連続してナギを襲う。
ナギは飛行の魔法で【空間圧縮】から逃げ続ける。
「ナギ様!」
セドナが、夢幻的な美貌に緊張の色を浮かべた。
そして、ナギを助けるため駆けつけようとする。
レイヴィアが、すかさずセドナの肩を掴んで止めた。
「待て、セドナ。心配いらぬ」
「で、ですが……」
「大丈夫じゃ。ナギは『倒す』と言った。その言葉を信じよ。やつは己の言葉を裏切るような真似はせん」
レイヴィアの桜色の瞳に強い確信が浮かんでいた。
「好いた男の言葉を信じてやれ。良い女は、黙って待つ時を弁えているものじゃぞ?」
レイヴィアが、微笑をたたえた。
セドナは頬を染め、そして、ナギの勝利を祈りながら戦いを見守った。
「ネズミのように逃げるだけか!」
エリザベートが、嘲弄した。
ナギはエリザベートの周囲を飛行して【空間圧縮】から逃げ続けている。
エリザベートは嘲弄しつつ、内心では焦りを浮かべていた。
(まさか、【空間圧縮】から、ここまで逃れるとは……)
【空間圧縮】は、エリザベートの攻撃魔法の中でも最強レベルの魔法である。地味だが、相手を魔法障壁ごと圧殺できる技であり、汎用性が高く、攻撃力は非常に高い。
それを相葉ナギは易々と躱している。
(なぜ、かわせる? 何故、私の【空間圧縮】からここまで逃げられる?)
エリザベートは疑問に思う。
【空間圧縮】の最大の武器はその発動の速度にある。
千分の一秒に満たない速度で、敵を空間ごと圧縮して押し潰す。
それを相葉ナギは易々と避け続けている。
(一体どういうことだ? なぜ、相葉ナギはここまで私の攻撃をかわせるのだ?)
エリザベートの心に焦慮が広がる。
ナギが、エリザベートの【空間圧縮】を避けられる理由は、『津軽神刀流の武芸』の応用である。
武道家は、攻撃をかわす時、相手から発する殺気や闘志、微妙な筋肉のゆれ、顔の変化、眼球の移動。
あらゆる側面を瞬時に分析して、対応する。
幾千と稽古をしていく内に脳と身体が、敵の攻撃を先読みする能力を会得するのだ。
ナギは、津軽神刀流の武芸と、圧倒的な魔力。
双方を組み合わせて戦っている。
どちらか一つでは、エリザベートの【空間圧縮】をかわせない。
だが、二つが合わされば、避けるのは容易かった。
そして、攻撃する隙を見いだす能力も同様である。
ナギは、エリザベートのわずかな心身の乱れを的確に読んだ。
ナギが、神剣を握りしめてエリザベートの後背から襲いかかる。
エリザベートはナギが攻撃に転じてきたことに驚いた。
いつの間にか、後方に回り込まれ、間合いを潰されている。
武道の歩法を利用した踏み込み。
敵に距離感と速度を見誤ませる歩法だ。
(いつの間に、ここまで私に接近した? どうして、こんなに速い?)
エリザベートはパニックになった。
ナギの神剣が、上段になって自分に振り下ろされている。
(このままでは斬られる!)
「くそ!」
エリザベートは時間遅延を発動した。
ナギの速度を遅延させようとする。
だが、ナギはこの時を待っていた。
「メニュー画面!」
ナギがメニュー画面を呼ぶ。
『了解です』
メニュー画面が刹那に答える。
メニュー画面は、《食神の御子(ケレスニアン)》を発動した。
《食神の御子(ケレスニアン)》の広範な能力の一つを利用して、エリザベートの時間遅延を相殺して、無効化する。
無効化された時間はわずか、百分の一秒。
だが、それで十分だった。
ナギの神剣が、閃光となってエリザベートに襲いかかった。
津軽神刀流の基本技。基礎の中の基礎の技。
相手を袈裟懸けに斬る。
『袈裟斬り』。
数多の剣術流派に存在する技。
その技をナギは静かにエリザベートに叩き込んだ。
数千、数万と、幼少から剣を振るい続け、細胞レベルにまで染み込んだ。『袈裟斬り』。
その技は教本通りの美しい剣閃を描いてエリザベートに叩き込まれた。
エリザベートの左肩口から、ヘソを通り抜けて、右の腰骨まで切り裂いた。
エリザベートは痛みを感じなかった。
斬られたことすら気付かなかった。
絶命する瞬間、エリザベートはナギの袈裟斬りを見て、
(なんて美しいのだろう)
と思った。
ふいにエリザベートの脳裏に走馬灯が浮かんだ。
前世のエリザベートの記憶。
エリザベート・バートリーは、1560年8月7日。
ハンガリー王国の貴族の令嬢として生まれた。
幼い頃から、その美貌を讃えられ、すぐれ叡智をもつ神童と称された。
裕福な家系に生まれ、何不自由なく育った。
すぐれた美貌と教養を兼ね備え、不満などなかった。
だが、いつしか、黒魔術に傾倒し始めた。
(どうして私は、黒魔術を始めたのかしら……)
エリザベート・バートリーは思った。
そうだ。美しくなりたかった……。
私は永遠の美貌が欲しかった。
そして、数多の書物を読んでその方法を見つけた。
それは吸血鬼になること。
私の祖国では、お伽話で、永遠の生命をもつ怪物がいるというお話があった。
人間の血しか飲めなくなるが、その代わり不老不死になるという伝説だ。
私はそれを求めた。
吸血鬼になるという夢想に取り憑かれた。
黒魔術の本を買い漁り、日夜、研究した。
だが、吸血鬼になる方法を記載した本はなかった。
当然だ。
吸血鬼などお伽話なのだから。
しかし、私はどうしても吸血鬼になりたかった。
そのために、血を欲した。
無数の美しい処女を殺してその血を飲み、全身に浴びた。
殺して、殺して殺し続けた。
私は貴族であり、財力と権力を使えば容易いことだった。
だが、吸血鬼にはなれなかった。
美貌は日々衰えた。
皺が増えた。黒子がふえた。
肌に張りがなくなった……。
私は恐怖した。
醜くなることを恐れた。
怖かった。
ただ、ひたすらに怖かった。
そうだ、私は美貌を求めたのではない。
老いて、嘲弄されるのを恐れたのだ。
(恐怖が私を堕落させた……)
だが、吸血鬼になれば本当に、恐怖がなくなるのだろうか?
永遠の美貌と生命があれば、怖くないのか?
いや、有り得ない。
間違っている。
永遠の美貌と生命があっても恐怖がなくなることはない。
その後は、また次の恐怖が訪れる。
違うモノが怖くなる。
金がなくなる。
他人の評価を気にする。
権力がなくなる。
地位が脅かされる。
ありとあらゆることで人間は恐怖し、怯える。
(なんて無意味な……)
エリザベート・バートリーは、相葉ナギを見た。
一切の迷いなく、私に剣をふるった少年。
相葉ナギの剣は美しく強かった。
剣も心も体もまったくブレていない。
芯の通った真っ直ぐな美しさ。
(私も……。彼のような強さと美しさがあれば迷わずにすんだだろうに……)
私は間違えた。
恐怖は、外見を美しくしても消えない。
恐怖は心と魂を強く美しくすることでしか無くせない。
私はどうしてそれに気付かなかったのだろう。
なんという愚かな……。
私は、なぜこの事に気付かなかった……。
生まれ変われたら……。
心を美しくしよう……。
そうすれば怖くない……。
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