第125話 黒曜宮(マグレア・クロス)

 相葉ナギたちが、王城の上から見た黒い城塞。

 その名は黒曜宮(マグレア・クロス)という。

 罪劫王ディアナ=モルスの使徒が作り上げた大城塞である。

 高さは地表五十キロにも達する超大な建造物で、外面は黒曜石のような禍々しい美しさを誇っている。

 その黒曜宮(マグレア・クロス)の中で、一人の男が怨嗟の声を上げていた。


「クソがぁ! 相葉ナギめ! 殺してやるぞ! 必ず殺してやるぞぉおお!」 

 

 男は右腕の肘から先がなかった。

 八神光輝である。

 無くした右腕が幻肢痛を起こし、八神の脳を痛みで蝕む。

 八神のいる部屋は広大だった。

 十万人ほどが楽に収容できる正方形の部屋。

 床、壁、天井、全てが白いため、遠近感が狂う場所だった。

 呪詛をもらし喚く八神を、エリザベート・バートリーは醒めた瞳で眺めていた。


(脆い男ね)

 

 と、心中で侮蔑する。

 男が、腕を失った位で喚くとは情けない。

 エリザベート・バートリーは吐息を出した。

 本当は八神のような卑小な男と組みたくはなかった。

 だが、八神と組むように命じたのは、自分の現在の主君である罪劫王ディアナ=モルスだ。

 彼女の命令には逆らえない。

 罪劫王ディアナ=モルスは、自分をこの異世界に召喚した存在だ。

 召喚された際に、罪劫王ディアナ=モルスの命令に服する魔法をかけられている。

 魂にかけられたその魔法により、エリザベート・バートリーは逆らうことが出来ない。

 それに、罪劫王ディアナ=モルスは自分の願いを叶えてくれる存在でもある。


「不老不死。永遠の美貌」

 

 前世から望んだ悲願を罪劫王ディアナ=モルスは与えてくれるという。 条件は、相葉ナギ一党の殲滅と人類の滅亡。

 それが達成されれば、エリザベート・バートリーは不老不死と永遠の美貌を約束されるのだ。


(この器の小さい男と組むのはうんざりだけど、仕方ないわよね)

 

 エリザベート・バートリーは黄金の髪をふった。


「八神。幻肢痛はいずれ治まるわ。痛いのは分かるけど、少し黙ってくれない?」

 

 エリザベート・バートリーは八神に視線を投じる。


「痛くて喚いているわけじゃねぇ!」

 

 八神は怒声を発した。

「なら、何で叫ぶの?」

「決まっているだろう! 相葉ナギのせいだ! あの野郎のせいで俺の右腕がなくなっちまったんだぞ! 怒りが収まらねぇ! 憎しみが脳と身体を爆発させそうなんだよ! 殺意が止まらネェんだよ!」

 

 八神が、顔を歪めてエリザベート・バートリーを睨む。


「そう……。なら、相葉ナギを殺せば憎しみも止まるわね」

 

 エリザベート・バートリーが侮蔑を込めて言う。


「お前に言われるまでもネェ! 相葉ナギは必ず殺す! 殺してやる!」

 

 八神は、エリザベート・バートリーの侮蔑には気付かず、咆吼した。


「良かったわね。すぐに相葉ナギはこの黒曜宮(マグレア・クロス)に来るわ。次は確実に討ち取りましょうね」

 

 エリザベート・バートリーは幼子に語るように言った。


「当たり前だ! 次は必ず殺してやる!」

 

 八神は呻いた。

 エリザベート・バートリーは肩をすくめる。


(こいつは『殺す』。以外の語彙を知らないのかしら? 知能の低い男ね……)

 

 貴族であったエリザベート・バートリーは八神を内心で見下した。

 だが、八神という男は決して知能指数が低いわけではない。

 八神光輝という男は、前世の地球で東京大学法学部に現役合格したのだ。偏差値は日本最高レベルである。

 

 私立の幼稚園、小学校、中学校、高校に行き、常に偏差値は日本最高レベルだった。

 全国模試で、四位になったこともある。

 八神光輝に足りないのは自制心と、他人への思いやりだった。

 偏差値は高いが、それが故に家族、友人、クラスメイト、担任。世間。あらゆる人間が彼を子供の頃から褒めそやした。

 褒める以外のことをしなかった。

 そして、八神光輝はそれを当然と受け止めて生きてきた。


「俺は偏差値が高い。ゆえに優秀な人間である」 

 

 そう信じて疑いもしなかった。

 自信を持つのは良いことであっただろう。

 だが、八神は少年期に慢心し出した。

 他人を見下し、侮蔑するのを習性としてしまった。

 両親も祖父母も東京大学出身であり、従兄弟、親族は全員、東京大学法学部出身のエリートだった。


「自分は優れた家系の優等な存在である」

 

 それが八神光輝という人間のアイデンティティーとなってしまった。

 東京大学法学部に入学した後、八神光輝はますます傲慢になり、増長した。

 同じ東大の学生で、ボランティア活動などに精を出す人間を見下し、人生の目標を財務省のエリート官僚になることと定め、国家試験の勉強に励んだ。

 財務省のエリート官僚になりたいのも、別に国家・国民に奉仕したいからではない。

 権力と名声、そして、定年退職後の天下りで、約十億円の大金を得るという私欲のためだった。

 同じ東京大学法学部の学友で、「国民の福祉と幸福ために国家公務員になりたい」という人間は多くいた。

 

 だが、八神はそういう「偽善者」を見下し、侮蔑した。

 そして、他人への侮蔑が、ついに彼を破滅させた。

 東京大学の悪質な某サークルに入り、偏差値の低い大学・高校の女性を強姦するようになった。

 それは八神にとっては「国家公務員試験の勉強の息抜き」に過ぎなかった。

 東京大学以外の偏差値の低い女だから犯して良い。

 本心から八神はそう思っていた。

 だが、なぜか八神は逮捕されてしまった。

 しかも、信じがたいことに、犯した女子校生の父親に「逆恨み」されて殺害されてしまった。

 八神は世界と神を呪った。


「なんで俺がこんな目に遭うんだ?」

 

 死の間際で、痛烈に思った。

 自分の思い通りにならない世界など必要ない。

 もし、生まれ変わったら、全てを手に入れ、気に食わない奴は全て殺してやる!

 八神の願いは叶えられた。

 罪劫王ディアナ=モルスという神の如き力をもつ怪物によって、転生することが出来た。

 そして、罪劫王ディアナ=モルスから、近代兵器を召喚できるという圧倒的な異能を授かった。


「やはり、俺は選ばれた人間だった」

 

 八神はそう確信した。

 だが、またしても八神の意志を挫く、下等生物が現れた。

 相葉ナギだ。 


(相葉ナギめ!)

 

 八神は憎悪に歯軋りし、自分の切断された右腕を見た。


(必ず殺してやる! 俺を苦しめた報いを死で贖わせてやる!)

 

 八神は赫怒の咆吼をあげた。

         

 

 



 

ほぼ同時刻。

 相葉ナギ、セドナ、大精霊レイヴィア、エヴァンゼリン、クラウディア、アンリエッタは、馬で北方にむかって進んでいた。

 ナギたちの後ろには、ヘルベティア王国が支援部隊としてつけた五百騎の精鋭部隊が続いている。

 北方の黒曜宮(マグレア・クロス)に向かうにも、食料、医薬品、寝具などは必要であり、道案内もいる。

 ヘルベティア王国の国王イシュトヴァーン王と、その娘パンドラ王女が、ナギ達のために用意してくれた支援部隊である。


「遠近感が狂うな。一体、あの黒い城塞までどのくらいの距離があるんだ?」

 

 ナギが馬を駆けさせながら言う。


「確かにじっと見ていると、目がチカチカしてくるね」

 

 エヴァンゼリンが、同意した。

 目的地の黒い城塞は巨大過ぎた。

 山よりも高く、雲を突き抜けて聳えている。

 天地の間に突き刺さった巨大な壁のようだった。

 桁外れの大きさで、前方に見える視界の殆どが、黒い城塞で埋まってしまうのだ。 


「レイヴィア様、どのくらいで到着できるのでしょうか?」

 

 セドナがレイヴィアに問う。

 セドナの隣で馬を走らせるレイヴィアは、数秒沈思した後、


「そうじゃな……。軍馬で、二十日間ほどの距離じゃと思うがのぉ」

 

 とあきれたように言った。

 長く齢を重ねたレイヴィアは、この中の誰よりも距離の計算に長けている。旅路の距離の概算は、経験値が物を言う。

 そのレイヴィアでさえも確たる自信が持てない。

 黒い城塞は、あまりに規格外に大きすぎるのだ。


「普通の山などなら、もっと正確に計算できるがのう……。あの黒い城塞の大きさは異常じゃ。精緻な計算ができん」

 

 レイヴィアは桜金色(ピンク・ブロンド)の髪をふった。


「やはり、飛翔の魔法で、飛行した方が良かったのではないか?」

 

 クラウディアが、馬の手綱を握りながら言う。


「……飛翔して行くのは危険」 

 

 大魔導師アンリエッタが、呟いた。

 飛翔して移動するのは可能だとしても、その途上に迎撃の罠が空に仕掛けられているかも知れない。

 時間はかかるが地上から軍馬で移動した方が、罠に対処し易い。


「アンリエッタの言うとおりだ。空中から行くのは危険だ。せめて、八神光輝を倒してからじゃないとな」

 

 ナギが、馬を走らせながら言う。

 八神光輝の近代兵器召喚という異能は、危険すぎる。

 空中を飛翔している最中に、戦闘機や、ミサイルをぶち込まれたらたまったものではない。

 地道に軍馬で移動する方が安全だ。

 移動速度が、遅い方が罠を察知し易いというのは軍事の基本である。


「アンリエッタ」

「……なに?」

 

 ナギの問いにアンリエッタが、紅い瞳をむける。


「あの黒い城塞。お前なら、魔法で造り出せるか?」

 

 ナギの問いに全員がアンリエッタを注視する。


「……不可能。あれ程の構造物を構築する術式はもっていない」

「アンリエッタでも不可能なのか」

 

 エヴァンゼリンが、わずかに驚きの表情を灰色の瞳にあらわす。


「……常軌を逸した魔導……。この世の理からさえも外れている……」

 

 アンリエッタの声に全員が、押し黙った。

 ナギは黒い城塞に視線を投じ、


「八神光輝や、エリザベート・バートリー以外にも厄介な敵がまだまだ沢山いそうだな」


 と呟いた。

  

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