第108話 生きる

「ナギ、その……ボクはね……」

 

 エヴァンゼリンがたどたどしい口調で話すと、ナギは真剣に聞きいった。


「実はね、貧農の出身なんだ……」

 

 エヴァンゼリンは自らの過去を明かした。ナギに自分のことをできるだけ沢山知って欲しかった。


「そうなんだ」

 

 ナギは真摯に答える。


「うん。すごく貧乏でさ。毎年何人も餓死するような村でね」

 

 エヴァンゼリンが訥々と語り始める。

 幸い両親は優しい人で、愛情を受けて育った。

 エヴァンゼリンは幼い頃から自分はずっとこの小さな村で生活し続けて、平凡に結婚して老いて死ぬ。そう考えていた。 

 だが、ある日。エヴァンゼリンが十歳の時、王の使者がやってきて、エヴァンゼリンが勇者だと告げた。


「驚いたよ。いきなり『貴女は救世主です』なんて言われてさ」

「そりゃ、確かに驚くね」

 

 ナギは激しく同意した。


「それでさ、それからすぐに王都に連れて行かれたんだ」

 

 そこでイシュトヴァーン王と謁見して、エヴァンゼリンは国家に『勇者』として任命された。

 そして、槍聖クラウディアと大魔導師アンリエッタを紹介された。それから、エヴァンゼリンの運命は劇的に変化した。

 突如、エヴァンゼリンは強い力に目覚めた。

 そして、戦闘術と魔導の訓練をし、教育を受けた。

 わずか十二歳で魔神軍との戦いの最前線に送られた。


「十二歳とは少し酷いね」

 

 ナギが眉根を寄せると、エヴァンゼリンは苦笑した。


「まあね、でも当時は……、ボクは世界を守ると意気込んだよ」

 

 エヴァンゼリンは強かった。

 槍聖クラウディアと魔導師アンリエッタの助力もあって多くの戦果を挙げた。

 大陸全土を駆け巡り、無数の魔物や悪魔を倒した。

 その功績でエヴァンゼリンは『ブラームス伯爵家』という貴族の位をもらった。今では大陸でエヴァンゼリンの名を知らぬ者はいない。


「凄いよね」

 

 ナギはほとほと感心した。

 自分が十二歳の時は、漫画とゲームしか頭になかった。

 努力と言えば、爺ちゃんと津軽真刀流の稽古をしたぐらいだ。

 エヴァンゼリンと比べると恥ずかしくなってくる。


「いや……、でも、本当は自慢できることばかりじゃない……。結構怖かった……。凄く怖いことが沢山あったんだよ」

 

 エヴァンゼリンは微笑しながら、語り始めた。

 エヴァンゼリンは強かった。そして、槍聖クラウディアも、大魔導師アンリエッタも強かった。だが、決して楽に勝てた戦いばかりではなかった。魔神軍は狡猾だ。信じがたい謀略、策略を弄してくることもある。 何度も死にかけるような目に遭った。

 命を落とす。自分が死ぬ。仲間が死ぬ。

 そのことはいつも意識している。 

 いつ自分が死ぬか分からない。

 それだけはいつも頭から離れない。


「……」

 

 ナギは無言で聞き入った。無敵と思えるようなエヴァンゼリンでさえも、死を意識して生きているのか……、と思う。


「だからさ。ボクは一瞬、一瞬を大切に生きたい。いつ死ぬか分からないからこそ、今を……。生きている時間を大切にしたい。そして、後悔しないようにいきたい。それが、『生きる』ということなんだとボクはね思っている」


「俺もそう思う」

 

 ナギは同意した。

 ナギは祖父の言葉を思い出していた。

『ナギ、常に死を意識しろ。お前も儂も、人間はいつか必ず死ぬ。生きることは死を見つめることなのだ。有限の生を価値あるものに変える方法は己自身の意志にこそある』

 祖父・相葉円心はことあるごとにそう言っていた。


「だからさ……。ボクはね、自分の心に忠実であろうと思う。大仰では無く、明日死ぬかもしれないから、後悔しないようにしたい」

 

 エヴァンゼリンは灰金色の髪を指でいじる。やがて、灰色の瞳をまっすぐにナギにむけた。


「……相葉ナギ、ボクは君が好きだ。できればボクと恋人になって欲しい。セドナちゃんにはもう了解を得ている」

 

 エヴァンゼリンの言葉にナギは目を見開いた。


「え?」

「返事が聞きたい」

 

 エヴァンゼリンが問う。

 ナギはごくりと唾を飲んだ。そして、目の前にいる少女に目を向ける。

 肩まである灰金色の髪、灰色の瞳、端麗な顔。細見の美しい肢体。

 千人に一人といって良い美少女。そんな少女が自分に告白してきた。


(凄く嬉しい。……しかし……)

「そのセドナが了解したというのは?」

「君の婚約者であるセドナちゃんも、ボクが、……その……正妻になるのは賛成だと……。第二夫人とか、愛人、妾ではなく……。対等な妻として歓迎するって……」

 

 エヴァンゼリンは灰金色の前髪を指で弄りながら俯いた。

 沈黙が流れた。

 ナギは何故か無性にエヴァンゼリンが愛おしくなった。

 真っ直ぐに自分に告白してきたエヴァンゼリンが、たまらなく愛おしく感じる。


「ありがとう、俺こそよろしく」

 

 ナギは自然とその言葉を口にしていた。

 エヴァンゼリンは顔を勢いよく上げる。やがて、その美貌に歓喜の表情を宿した。


「あ、ありがとう……。こ、断られたらどうしようかな~、って少し心配だったんだよ」

 

 エヴァンゼリンは灰色の瞳を反らしながら言う。照れて顔全体が赤くなっている。

 ナギも、頬を染めていた。


「あ、うん。その……とりあえずよろしく……」


 ナギがぎこちなく言う。


「うん……。こ、こちらこそよろしくお願いするよ」    


 エヴァンゼリンも、ぎこちなく言った。

 

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