第104話 今川焼き

その頃、パンドラ王女とアンリエッタは部屋で対話していた。パンドラ王女は罪劫王を退け王都を救ってくれた礼を重ねて述べ、アンリエッタは、「……気にすることじゃない」と静かに告げた。


「……それより、パンドラ殿下……」


アンリエッタが赤瞳を向けるとパンドラ王女が手を顔の前でヒラヒラさせた。


「なんやの他人行儀な、殿下はやめてぇな」

 

パンドラ王女の砕けた口調にアンリエッタが思わず微笑する。


「……ではパンドラ。あとで王城の図書館に行かせて欲しい。許可を……」

「もちろんや。好きなように見たらええわ」

「……ただの図書館の資料ではない。……最奥部にある封書庫を開けて欲しい」


アンリエッタの赤瞳に鋭い光が宿る。


「……どこでそれを知りはったの?」


青髪の王女が声を低くする。


「……私は『記録者』の末裔……。全ての知識と歴史を記録するもの……」

 

アンリエッタの言葉にパンドラ王女は暫し無言でいた。

 室内に重い沈黙が流れる。

 やがてパンドラ王女は緊張しつつ頷いた。


「分かったわ。後で案内する。……でもアンリエッタ様」

「……なに?」

「それは人類を守るための行為ですか?」

 

パンドラ王女の碧眼に難詰するような表情が浮かぶ。


「……信用してもらいたい。それ以外は言えない」

 

アンリエッタが仮面のような表情で告げる。

パンドラ王女はまた押し黙った。両眼を閉じて、数秒後に開いた。


「……アンリエッタ様を信じます。……いや、私達人類にはもう信じる以外に術がないですから……」

 

パンドラ王女は力なく微笑んだ。





数分後、相葉ナギとセドナが部屋に戻ると、アンリエッタとパンドラ王女は意外そうな顔をした。


「もう作りはったんですか?」

「……凄い早い……」

 

パンドラとアンリエッタが感歎すると何故かナギは溜息を出しそうな表情を作った。


「……世の中色々あるということさ。さあ、どうぞ」

 

ナギが今川焼きをテーブルの上に置くとパンドラとアンリエッタは、ほおっと声をもらした。


「ナギ様。これはどういう料理なんやろう?」

 

青髪の王女は珍しそうに今川焼きを見た。


「今川焼きだよ」

「今川焼き……」

 

パンドラ王女はしげしげと今川焼きを見る。

 円形でホカホカと美味しそうな湯気が出ている。珍しい形だ。だが、何故か初めてなのに懐かしいような感覚がある。

 パンドラ王女の鼻孔に今川焼きの匂いが届いた。

 あまりに香ばしい美味しそうな匂い。

 小麦粉の焼けた匂いと餡子とカスタードクリームの匂いが混ざった匂いがパンドラ王女の脳天を痺れさせる。

 アンリエッタも、吸い寄せられるように前屈みになって今川焼きを凝視する。

 パンドラ王女もアンリエッタも餡子の匂いは初めてだった。甘そうな、そして素朴な匂いが猛烈に食欲を刺激する。

 特にパンドラ王女はマルクス・ウィスタリオン達の件で心身をすり減らし、昼食を抜いていたのでお腹がもの凄く減っていた。


「た、食べてええんやろか?」

 

パンドラ王女は、京都弁と大阪弁が混ざり合ったような独特の口調で問う。


「どうぞ、どうぞ。20個も作ったからね。早い物勝ちだ。好きなだけどうぞ」

 

ナギが薦めるとパンドラ王女とアンリエッタの手が素速く伸びた。

 パンドラ王女が今川焼きを両手で持つ。


「あ、……手づかみしてしもうた……」

 

パンドラ王女は頬を染めて恥ずかしそうにした。王族として気品がない。しかも、ナギに見られている。二重に恥ずかしい。


「これは手掴みで食べるものだから。それが正式なマナーだよ。安心して」

 

ナギは微笑すると今川焼きを素手で掴んで一口食べた。

 マナー違反ではないことを認識するとパンドラ王女とアンリエッタは安心して今川焼きを頬張る。

 パンドラ王女の碧眼が大きく見開かれた。


(美味しい……)

 

こんな美味しいお菓子がこの世にあったのか、とパンドラ王女は思った。小麦粉を主体とした生地と餡子。ただそれだけのシンプルな味なのにどうしてこんなに美味しいのだろうか?

 熱々の今川焼きが、口中でとろける。

 今川焼きの皮はふんわりとしており、餡子は素朴な甘味。だが、噛むとなんとも言えない重厚で上品な食感と味が溢れ出す。


(これは……、止まらんわ……)

 

パンドラ王女はバクバクと今川焼きを頬張った。これ程早食いするのは珍しい。パンドラ王女は紛れもない王族であり、食事はゆっくりと上品にするように教育で叩き込まれている。

 だがそのような作法を守るには今川焼きは美味しすぎた。

 今川焼きのカリカリとした部分を食べる。少し焦げている部分が異常に美味しい。焦げた部分が美味しいだなんて初めてだ。

 青髪の王女はいつの間にか五個も今川焼きを食べていた。気がついたら六個目に手が伸びている。


(まずい!)


 とパンドラ王女は青ざめた。確かナギ様は二〇個と仰っていた。四人いるのだから、一人五個だ!

 パンドラ王女は手に取ってしまった今川焼きを見ながら碧眼に羞恥と怯えの表情を見せた。

 いくら何でも恥ずかし過ぎる! こんな子供みたいなまねを!

 いくら美味しいからと言って、他人の分まで取るなんて、なんとはしたない!

 パンドラ王女は頬を赤らめ、狼狽えてキョロキョロと視線を泳がせる。 その時、ナギがくすりと笑んだ。


「パンドラ、どうぞ。僕はもうお腹いっぱいですから」

「殿下、私のもどうぞ。私もお昼ご飯を食べたばかりなのです」

 

ナギとセドナが微笑みながら言う。

 その刹那、パンドラ王女は、

(なんて良い人達なんだろう……)

 と思った。

 パンドラ王女は今川焼きを幸福そうに食べた。

 パンドラ王女は聡明だが、やはりまだ十歳の子供でしかなかった。

 ちなみにパンドラ王女の隣に座るアンリエッタは無言で今川焼きを頬張っていた。既に九個目だった。他人の目など気にせず美味しければあるだけ喰うのが、彼女のスタンスだった。


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