第84話 マッサージ



風呂場は大きく広かった。プールのような円形の湯船があり、中央には獅子の彫像が置かれている。そして、お湯には大量の薔薇の花びらが浮かんでいた。セドナによると『ラグナの薔薇』という品種で、疲労回復と美肌効果があるらしい。

 

 ナギは椅子に座り、セドナに身体を洗ってもらっていた。気持ちよくて思わず意識がぼうっとする。張り詰めていた緊張感が解かれていく。


「良かった。ナギ様の筋肉の強張りがとれてきました」

  

 セドナが嬉しそうに言う。


「そんなに俺の筋肉は強張ってたのか?」

「はい。ナギ様の筋肉は普段はもっと柔らかいです」

 

 シルヴァン・エルフの少女が真面目な口調で言う。

 セドナの言うとおり、ナギの筋肉はしなやかで柔らかい。ボディビルダーのような不自然な筋肉ではなく、機能性の高い筋肉は例外なく柔らかい。実際、一流のボクサー、オリンピックのメダリスト達の筋肉は非常に柔軟性に富んで柔らかく出来ている。

 同じ筋肉量でも柔軟性に富んだ質の良い筋肉と、粗雑な筋肉では出せる膂力も瞬発力も全く違うものとなるのだ。


「良かった。ドンドンほぐれてきてます」

 

 セドナはナギの広背筋や肩の筋肉をその美しい手で丁寧に揉み込む。石鹸を付けたセドナの手がナギの背中、肩、腕、指の先に至るまでマッサージのようにほぐしていく。


「ああ~」


 気持ちよすぎてナギは思わず、吐息を漏らす。久しぶりに緊張が解けて、頭がトロンとしてきた。


「前も洗わせて頂きますね」


 セドナがナギの前に回り込んだ。


「あっ、いや! 前は自分で洗う!」


 ナギは股間を隠しているタオルに手を当てた。


「ダメです。ナギ様はご自分が思っている以上に疲労しておいでです。しっかり疲れを取ることは戦士の心得ではありませんか」


セドナの声は優美だが、反抗を封じ込める迫力を有していた。ナギはごくりと唾を飲んでセドナを見た。間近にあるセドナの顔。至高の芸術とも言うべきセドナの美貌が視界いっぱいに広がる。

 あまりにも美しい容貌は圧倒的な威圧感を伴う。ナギはセドナの美貌に気圧され、思考さえも奪われて、つい、

「あ、……はい……」


と呟いた。


「おまかせ下さい」


 セドナが満面の笑みを浮かべた。ナギの胸、腹、腕、足の指に至るまで丁寧に洗っていく。

 ナギは全身をセドナに洗ってもらった後、今度はナギがセドナの身体を洗い湯船に浸かった。

 二人の裸身に薔薇色の湯水が染み込んでいく。


「考えてみると風呂に入るのも久しぶりだなぁ」

「はい。気持ちいいです……」


 ナギが呟くとセドナも猫のように目を細めて風呂を満喫する。

 ふいにナギの腹が鳴った。疲れが取れると同時に身体が栄養を欲して騒ぎ出している。


「セドナ、久しぶりに料理しようか?」

「ナギ様の手料理を頂けるのですか?」


 セドナが思わず湯船から立ち上がる。銀髪の少女の美しい裸身が湯を弾いて美しく光り輝く。


「ああ、城内の台所を借りて何か作らせてもらおう」

「はい!」


 セドナは黄金の瞳を輝かせて返事をした。




 城の侍従に話をするとすぐに許可がおりて、ナギとセドナは城の厨房に案内された。


「ナギ様、セドナ様。ここにある物はどうぞ御自由にお使い下さい」


 白髪の侍従が丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます」


 ナギとセドナは初老の侍従に感謝した。

 人払いされており、誰もいない厨房を二人は見渡した。広く綺麗だ。ここは城内にある五つの厨房の内の一つだそうだ。

 冷蔵庫のような倉庫が併設されており、ナギとセドナが入るとひんやりとした冷気が倉庫を満たしていた。


「まるで冷蔵庫だな」 


 ナギが独語した。セドナによると冷風の魔力を宿した魔晶石を使用することで倉庫内部を冷蔵庫状態にしているそうだ。

 二百坪ほどの面積がある倉庫内を二人は物珍しそうに見ながら歩いて行く。


「豪華な食材だらけだなぁ」

「お肉もお魚も野菜も、新鮮かつ高級なものばかりです」

 

 ナギとセドナは感嘆の表情を浮かべた。牛肉、豚肉、鶏肉、全て最高峰のものばかりである。


「これだけ材料があるとかえって何を作るか迷うな」

 

 ナギが贅沢な悩みを独語するとセドナが前屈みになって何かを凝視していることに気付いた。


「どうしたセドナ?」

「いえ、珍しいものを見つけまして……」

 

 セドナが指さした先にあるものを見てナギは驚きの声をあげた。


「米俵?」


 そこにあるのは紛れもなく米俵だった。三俵の米俵が倉庫の床に積まれていたのだ。


「東方のミブロ王国の『白米』ですね」

「『白米』だと!」

 

 ナギの黒瞳が強く光った。その剣幕にセドナは驚いて耳をピコンとあげて軽くのけ反った。


「あ、いや、驚かせてすまない」


 ナギはセドナを驚かせたことを詫びた。


「いえ、ご心配なく。それよりも白米がどうかなさいましたか?」

「俺の故郷の主食だよ。俺の国……祖国日本では毎日これを食べるんだ……」


 ナギは米俵を右手で軽く触った。まさか異世界に来て白米があるなんて……。


「ミブロ王国って、さっき言ってたけどミブロ王国ってなんだ?」


「ミブロ王国は東の果てにある島国です」 


 セドナが説明した。ミブロ王国は〈来訪者〉によって創設された国で、今から五百年ほど前に建国された。初代国王であり、建国者の名は『土方歳三』という。


 五百年前のある日、突然土方歳三はこの世界に来訪したという。


「戦争中に死んだと思った刹那、この世界に来ていた。おそらくこれが神隠しというヤツだろう。ひどく驚いた」


 と、土方歳三は後に側近に語っている。


 〈来訪者〉である土方歳三は一騎当千というべき戦闘能力と圧倒的な軍略とカリスマ性を持ち合わせた当代の英傑だった。


 わずか七年で島国の貴族達を制圧してミブロ王国という統一国家を極東の島国に建国した。その後、彼は精力的に国家事業に勤しみ、法典の整備、税制改革、奴隷制度廃止を成し遂げた。


 同時に食道楽でもあった彼は白米、味噌、醤油、日本酒などを製造して大陸にまで輸出したという。


(そうか。土方歳三が……、あの偉人も来訪者としてこの世界に来たのか……)


 するとこの白米は土方歳三の遺産の一つな訳だ。

 数秒、ナギは郷愁に似た思いを味わうと、パンと手を叩いた。


「よし、何を作るか決めた!」

「何を作るのですか?」


 セドナが黄金の瞳を輝かせた。


「それは出来てのお楽しみ」


 ナギは楽しそうに微笑した。

 

 

 

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