第77話 津軽真刀流奥義 『無形(むぎょう)』
ナギ、セドナ、エヴァンゼリン、クラウディアが地面に倒れ、バアルとの距離が開いた。刹那、バアルの周囲の空間が黒く歪みだした。
『黒(マーブロー)き抉れる棺(モース)』
大魔道士アンリエッタの放った大規模魔法。
黒い球形の空間がバアルを包み込む。
その球形の空間内部で、光さえも飲み込む超重力によって敵を分子レベルで分解する魔法。
その魔法が発動する直前。バアルは転移した。
転移先は、姿を隠密魔法で隠したアンリエッタの鼻先。
瞬間移動で現れたバアルにアンリエッタの瞳が驚愕で揺らいだ。
「魔法など俺にはきかぬぞ、大魔道士アンリエッタ。お前がこの魔法を発動させると思案した時、既に俺はそれを知っていた」
バアルの魔剣がアンリエッタの腹部を刺し貫く。アンリエッタの口から血が溢れ、大地に頽れた。同時に、アンリエッタの『黒(マーブロー)き抉れる棺(モース)』が消滅した。
ナギの腹部から血が溢れていた。セドナが治癒魔法を発動させた。
『癒(セラピア)やしの白(ペタール)き花弁』
魔法で形成された白い花びらが周囲に吹き荒れナギ達の傷を癒やしていく。
ナギが真っ先に立ち上がった。意識は朦朧としている。胸を切り裂かれた時にバアルの魔力を打ち込まれ、全身に毒のような衝撃が残っていた。
ナギは痛みに耐えて、バアルに神剣〈斬華〉をむけた。
バアルは瞳に冷笑を浮かべて、幽鬼のように立つナギを見る。
ナギは静かに呼気を吐いた。
そして、バアルを見据える。心を読む敵。あまりに強すぎる。
(どうすれば勝てる?)
その疑問が脳裏をよぎった時、視界に祖父・相葉円心の姿が映り込んだ。ふいにナギは微笑を浮かべた。
空気が静謐に冷えていく。
バアルは不審に思い、ナギを見た。死にかけの人間のガキ。だが、何故かその身体が大きく感じる。
その時、ゆっくりとナギが歩き始めた。
バアルに向かって、神剣〈斬華〉を向けつつ歩く。
バアルの瞳に驚愕の光が走った。
「……あ、ああ……」
ナギが神剣〈斬華〉を右上から左下に斜めに振り下ろした。その斬撃は、遅くはない。だが、決して速くはなかった。美しい、基本通りの斬撃。
その斬撃はバアルの肉体を切り裂いた。
バアルの胸部がナギによって切り裂かれるのをエヴァンゼリン達は目撃し、驚嘆した。
一切の攻撃が通用しなかった敵に初めて攻撃が届いたのだ。
バアルは叫び声を上げて後退し、ナギは静かに神剣〈斬華〉を霞構えにした。
十秒ほど前、ナギの脳裏に刹那だけよぎった記憶がある。
それは祖父相葉円心との道場での会話。あれは確か俺が10歳くらいの頃。
「いいか、ナギ。津軽真刀流には『無形(むぎょう)』という奥義がある」
「どんな奥義?」
10歳のナギが目を輝かせる。
「実はたいした奥義ではない」
円心は悪戯小僧のような笑みを老いた顔に刻んだ。
「こうしてな……」
円心は心身を統一して、木刀を下段に構えた。
「そして呼吸法と自己催眠によって、『無』の境地に至るのだ」
円心は『無形』の演舞を行った。それは美しい基本の演舞。斬撃、移動。全てが舞うように美しい所作だった。
「まあ、このように何も考えずに演舞をするように敵を斬るのだ」
「凄い! カッコイイ!」
ナギは昨日読んだバトル漫画で似たようなシーンがあったのを思い出して、はしゃいだ。
「いや、正直、実戦で使う機会はないかもしれんな」
「どうして?」
「これは実戦で使う技ではなく、心を無にして浄める技。いわゆる健康法の一種だ。自律神経やホルモンバランス、血管の酸素供給を理想的な状態にし、脳波を安定させ『禅』に等しい効果を……」
「訳が分からない」
10歳の少年は、ズバリと言った。
「スマン……そうじゃな。まあ、やると健康になるということじゃよ」
「凄いじゃん! でも敵に使わないなら、勿体ないかな~?」
ナギが首を傾げる。
「そうじゃな。まあ、お化けみたいに、心を読むような相手がいたら、使ってみればよいじゃろう」
「お化け~?」
ナギは今、津軽真刀流・奥義『無形(むぎょう)』を行っていた。呼吸法と瞑想によって、無の心で相手を斬る。憎悪も怒りも、恐怖も愛すらもない。攻撃する意思さえも持たない。世界の全てがナギの心から消えていた。
「止めろォォオ!」
バアルは発狂したように叫んだ。その間にも数十の斬撃がバアルの身体を切り刻む。バアルの肉体から血が迸る。
(なんなんだ! なんなのだ! こいつは!)
バアルは魔剣を振り回した。その全てが弾かれ、空を切り、ナギの斬撃のみが命中していく。
《軍神(オーディアンズ)の使徒(マギス)》と《冥王(ケレスニアン)の使者(マギス)》を併用し、威力が増した斬撃が容赦なくバアルを殺傷していく。
バアルは巨大な火炎を手から生み出して、ナギに放とうとした。だが、それはアンリエッタによって阻止された。
バアルは肉体の損傷とともに、心を読む力を減衰させていく。
「近づくなァアアアアアアアアア!」
バアルが絶叫する。バアルの右腕が切り飛ばされた。次に眼球が抉るように斬られ、眼球がはじけ飛ぶ。
「うぁあああああああああ!」
バアルは目を押さえて、のたうち回りながら後退する。
(ありえない! 何も考えない人間など、有り得ない!)
バアルは無数の人間の心を読んできた。悪魔もモンスターの心も読んできた。心を読めない相手は、あの御方(・・)だけだった。
なのにコイツの心が読めない攻撃が読めない!
神の恩寵を受けたナギの攻撃は、一撃、一撃が重く速い。
バアルを包む曼荼羅のような魔法障壁が全てが破壊されて、神剣〈斬華〉がバアルを切り裂いていく。
心が読めなくなった今、達人であるナギの攻撃をバアルは防げない。
(心を読め! 相葉ナギの心を読むのだ! 次の攻撃はなんだ?)
バアルは必死で相葉ナギの心を読もうとする。だがナギの心には何もない。喜怒哀楽がない。攻撃、防御の思考がない。恐怖もない。殺意もない。俺にたいする興味すらもない。
「ひっ! ひぃいいいいいいいい!」
バアルは怯えて叫んだ。
(なんていう奴だ。コイツは、俺のことを!)
バアルは恐怖した。生まれて初めて恐怖を知った。
(相葉ナギ、こいつは俺に興味すらない!)
バアルの脇腹をナギは切り裂いた。
(俺に対して何も感じていない! 『虫ケラ』とすら思っていない!)
虫ケラ以下。その認識がバアルを絶望させた。
嫌悪すらも、憎悪すらもなく、ただ殺される。それが俺の死に様だというのか! この罪劫王バアルが!
刹那、神剣〈斬華〉がバアルの魔剣を弾き飛ばした。
「お、おのれぇえええ!」
バアルが咆吼し、全身が黒い光で覆われた。
その黒い光から、無数の蛇のごとき黒き魔獣、巨大な黒い手足。黒い羽根が出現する。
「マズイ!」
アンリエッタは叫んで、イシュトヴァーン王を王都アリアドネに転移させた。
バアルがその本体を現した。
バアルの本性、それは数千の黒い蛇。数千の黒い手足。数千の黒い悪魔。黒い羽。黒い尻尾をもつ巨大なキメラのごとき大怪物だった。
体長50メートルを超える巨躯。
黒い光に包まれた数千の悪魔と魔獣の集合体。それがバアルの本体だった。
「許さんぞぉおおおお!」
地獄のような声が響く。数千の悪魔と魔獣の集積体であるバアルの巨躯が打ち震える。
「相葉ナギィイイイイ! 俺を虫ケラ以下に貶めおってェェエエエエ!」
その声は鼓膜を破るほどの音量だった。数千の黒い蛇が相葉ナギを睨みつける。
「殺してやる! 全員殺してやる! お前らも、人間もエルフも亜人も、家畜すらも殺してやる! 大陸にいる生命体の悉くを鏖殺してやるゥウウウ!」
バアルの巨躯の周りに半球形の巨大な積層型立体魔方陣が展開した。青黒く光る魔方陣が回転し、膨大な魔力が吹き荒れる。
空が突如黒雲で染まった。
「『流星(メテオラ)撃滅陣(ビアルビス)』」
バアルが呪文を叫んだ。
隕石を落とし、半径500キロ圏内にいる全ての生命体を死滅させる魔法。
「やめだ! 魔神の命令など知ったことか!
姿さえ見せぬアイツの命令なぞ、どうでも良い! お前ら全員死に絶えろォオオオ!」
バアルは憤怒とともに絶叫した。
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