第76話 処刑
「分かったか? お前は俺よりも強い。だが勝てぬ。未来永劫勝てることはない」
バアルは人形のような端麗な顔に無機的かつ冷酷な色彩を浮かべた。鋭く残忍な魔剣の連撃。エヴァンゼリンの身体に無数の裂傷がつくられていく。
「ああああああ!」
エヴァンゼリンは痛みに叫んだ。エヴァンゼリンの優美な肢体に次々に数十の裂傷がつけらえていく。まるで白い雪の彫刻に血の線が刻まれるようだ。
エヴァンゼリンは抵抗した。聖剣をバアルめがけて連撃する。だがそれらは全てバアルによって弾かれ、受け流され、弾かれる。
灰金色の髪の少女の瞳に屈辱の涙が溢れた。
(何もできない。戦いにすらならない!)
これほどの屈辱と恐怖を抱いたのは初めてだった。強姦に等しい。いや、強姦以上の屈辱がエヴァンゼリンの精神を切り刻む。
弄ばれ、いたぶられ、生命と誇り、尊厳、全てを破壊されていく。
犯される方がどれだけましか。殺される方がどれだけましだろう。
バアルは悪魔の残忍さでもって、エヴァンゼリンの心と尊厳を徹底的に陵辱し、精神を破壊して殺すことを選んだのだ。
永遠のような数十秒の時間、バアルはエヴァンゼリンを一方的に攻撃した。
やがて、バアルの双眸に強烈な光が弾けた。
『縛鎖(アリシーダ)の練土(ジース)』
バアルが無詠唱呪文を発動した。
刹那、激突音が弾け、エヴァンゼリンの身体が後方に吹き飛んだ。
「う……」
エヴァンゼリンは地面に仰向けに倒れていた。急いで起き上がろうとした瞬間、自分の両足が地面に縫い付けられていることに気付いた。
エヴァンゼリンの両足に金属のように光る土が固まってからみついていた。それは地面から突出してエヴァンゼリンの両足を緊縛して拘束していた。
「ぐ……う……」
エヴァンゼリンが藻掻いて、脱出しようとする。魔法で両足に纏わり付いた『縛鎖(アリシーダ)の練土(ジース)』を解除しようとした。
転瞬、バアルが魔法でエヴァンゼリンの魔法を消滅させた。
「無駄だ。これで終わりだ。両親の復讐を成し遂げようとする貴様の愚かな夢も。魔神を倒すという目標も、全てお前の命とともに消える」
バアルが黒い魔剣は握りしめたまま、ゆっくりと歩み寄る。
「ぐうぅうううう!」
エヴァンゼリンは獣のように呻いた。聖剣で足に纏わり付いた土を叩き、拳で割ろうと試みる。
「醜いな。所詮、人間など誰もがこの程度、醜悪で姑息だ」
バアルの黒い魔剣がエヴァンゼリンの頭部めがけて振り下ろされた。
バアルの魔剣がエヴァンゼリンの頭部を破壊する寸前、ナギがバアルの前に立ち塞がった。そして、バアルの黒い魔剣をナギは神剣〈斬華〉で受け止める。
同時にセドナは《白夜の魔弓(シルヴァニア)》でバアルに弓を射る。
アンリエッタは転移魔法でエヴァンゼリンを移動させて保護し、クラウディアは聖槍でバアルを背後から強襲した。
(ふん。下らぬ)
バアルは上半身をふってセドナの矢を外し、背後を見ずに左手をクラウディアに向けると聖槍を魔法障壁で弾いた。直後、すぐさま跳躍して、ナギ達から間合いを取る。
「気をつけて! バアルは心を読む!」
エヴァンゼリンが叫んだ。アンリエッタはローブを外すと半裸になったエヴァンゼリンにかけた。
クラウディアとセドナはナギの横に立つとバアルめがけて武器を構える。
「相葉ナギとセドナ、大魔道士アンリエッタ、槍聖クラウディア」
バアルの双眸に殺意が炎となって揺らめいた。
「ここに来たということは、他の罪劫王どもは死んだということだな」
「そうだ。仲間を殺してすまないな」
ナギが〈斬華〉を霞(かすみ)構えにして切っ先をバアルに油断なく向
ける。セドナとクラウディアも構えて腰を落とした。
「いや、謝罪はいらぬ。人間如き虫ケラに負ける奴らに憐憫などわかぬわ」
バアルは静かに告げた。
外見は10歳ほどの金髪碧眼の少年。
だが、これ程、悪意に満ちた存在をナギは初めて見た。空間そのものが歪んでいるようなおぞましい魔力。
(生かしてはおけない。こいつはここで倒す)
「『ここで倒す』だと、それはこちらの台詞だ。だが1つ礼を言う。お前らを殺せば任務の大半は終わりだ。わざわざ死にに……」
バアルが口上を述べる前にナギが跳躍してバアルに斬りかかった。バアルは舌打ちして、ナギの〈斬華〉を受け止める。激突音が大気に弾ける。
「……決闘の時は、最後まで口上を聞くのが礼儀だろう?」
バアルが唇を歪めた。
「決闘だと? 違うな、これはお前の処刑だ。お前のような畜生の言葉を聞いてやる道理はない」
ナギが凄絶な笑みを浮かべ、バアルが怒りの咆吼を上げた。
「図に乗りおって、下等生物がァアアアア!」
バアルの叫びに大気が鳴動した。バアルの咆吼で大気が打ち震え、魔力の波で衝撃波が発生する。アンリエッタは衝撃波を魔法を打ち消した。
ナギは身体を半回転させるとバアルの胴体めがけて水平斬りを見舞った。
バアルは魔剣で受け流した。セドナの矢がバアルめがけて飛び、クラウディアの聖槍が刺突された。
バアルは優美な動作で全ての攻撃を躱すと跳躍して後退した。
「手数で押し切る!」
ナギが叫び、突撃する。ほぼ同時にセドナとクラウディアが賛同してバアルめがけて吶喊する。
『心を読むのならば、手数で押し切って討ち取る!』
それが、相葉ナギの作戦だった。
アンリエッタも賛意して、魔力を練る。
「無駄だ! 全てが無意味だと思い知れ!」
バアルが大喝し、黒い魔剣を構える。
ナギが《軍神オーディアンズの使徒マギス》で雷と化す。全身が雷となり、神剣〈斬華〉さえも雷撃の属性を帯びる。
200km/sの速度と、一億ボルトの電圧エネルギー体と化したナギがバアルめがけて襲いかかる。
同時にセドナが、《白夜の魔弓シルヴァニア》で矢を速射し、クラウディアが、聖槍で数十の刺突を流星のように繰り出す。
バアルは瞳に殺意の光をよぎらせた。
ナギの電撃と化した斬撃を初動を抑えて魔剣で打ち飛ばす。
セドナの矢とクラウディアの刺突を魔法障壁ではじき返す。
ナギ、セドナ、クラウディアの三人の身体が吹き飛ばされた。
「ぬぅ!」
ナギは苦悶した。電撃と化した自分、その自分の攻撃の先の先を読まれた。
(まずい。こいつは本当に心を読む!)
その実感がナギを戦慄させた。
如何なる速度と破壊力のある技でも、予見されてしまえば通じない。武道でも格闘技でも同じだ。自分の2倍の体重がある相手でも、事前に相手の動きが察知できるならば確実に勝てる。
動きが読まれれは、殺し合いでは必敗だ。例え、バアルの10倍の戦闘能力があっても勝つことはできない。
「おおおおおォオオオ!」
ナギは吼えた。
(迷いを消せ! 攻撃を止めるな!)
ナギの〈斬華〉が、光速の如き速さで動いた。バアルめがけて数十の斬撃をほぼ同時に叩き込む。空間ごと切り裂くような斬撃。だが、バアルはそれを全て迎撃し、ナギの腹部を切り裂いた。
セドナが《白夜の魔弓シルヴァニア》の弓の両端にある剣のカバーを外した。《白夜の魔弓シルヴァニア》を薙刀のように操り、両端についた刃でバアルに攻撃する。
クラウディアが透明化した槍聖でバアルの右斜め後方。死角から斬撃を入れた。
エヴァンゼリンが聖剣を薙ぐ。聖剣から斬撃が放たれバアルめがけて飛んでいく。
バアルは、無機的な顔で魔剣を操った。
セドナの《白夜の魔弓シルヴァニア》を弾き返し、セドナの胸部を切り裂く。クラウディアの斬撃を左手で受け流して、クラウディアの方から胸を裂く。
エヴァンゼリンの飛ぶ斬撃を飛ぶ斬撃で迎撃し、返す刀で飛ぶ斬撃を放ち、エヴァンゼリンの胸を切り裂く。
宙空にナギ達の鮮血が飛び散った。
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