第61話 化け物
「こんな……馬鹿な……」
ラーフ伯爵が、口から血を吐き出した。彼の肉体はエヴァンゼリンの攻撃によって切り刻まれていた。右腕が切断され、胸部、腹部、脚部、頭部、あらゆる箇所から血が吹き出ていた。
(悪夢だ……)
ラーフ伯爵は眼前に広がる光景に絶望の呻きを上げた。
一万体のモンスターの死骸。
全てエヴァンゼリン一人によって屠られた。
エヴァンゼリンは死骸の山の中央部に位置して、治癒魔法を自身にかけている。
彼女でさえも、一万体のモンスター相手に無傷という訳にはいかなかったのだ。
エヴァンゼリンは完全に回復したことを悟ると聖剣に血振りをくれた。
魔力は半分ほどになっている。さすがに一万体のモンスターを一人で相手にするのはキツイ作業だった。
ラーフ伯爵は自分に歩み寄るエヴァンゼリンを茫然と眺めていた。
(エヴァンゼリン……)
ラーフ伯爵は宿敵である金茶色の髪の少女に憎悪の視線をむけた。
(こんなことがあってたまるか……)
ラーフ伯爵は歯を食いしばった。
(作戦は完全だった筈だ。ありえない。こんなことはあり得るわけがない!)
ラーフ伯爵はエヴァンゼリンを確実に殺すために算段を練ってきた。
今は亡き、上役だったグシオン公爵と協力して一ヶ月かけて万全の体制をしいた。
大魔道士アンリエッタでさえも解除不可能な大規模転移魔法陣を秘密裏にしいておいた。
そして、勇者エヴァンゼリンのみをこの広間に誘因することに成功した。
この広間には本来、ダンタリオンも布陣している筈だった。
そして精鋭一万体のモンスターと剣鬼ダンタリオン。
そして私が加わって、勇者エヴァンゼリン一人を確実に殺す。
敵兵力を可能な限り最小化した後に大規模兵力による集中攻撃。
戦略自体は単純なものだ。だが戦略とは本来、単純なほど成功しやすく、確実性が高い。
勝てる筈だった。どこにも過失はなかった。
もし欠点があるとしたら、この女だ。
伯爵の位階を有する自分を容易く切り刻み、あまつさえも一万体のモンスターを単騎で鏖殺する。
こんなことがあり得る訳がない。間違っている。こんなことは間違いだ!
「許さんぞ! クソ女ああぁああああァアアアアアアアアアア」
ラーフ伯爵は叫んだ。
勇者エヴァンゼリンが、不思議そうにラーフ伯爵を見る。
「こんなことは許されん! あってたまるか! こんな不条理、私は認めぬ!」
灰金色の髪の勇者は、肩まである髪を軽く梳いた。そしてラーフ伯爵めがけて歩む。
「近づくな! お前は! お前は人間ではない!」
ラーフ伯爵が、牙を剥き出しに為て喚く。
「……僕が人間じゃない? 面白いことを言うね。なら僕は何さ?」
「お前は化け物だ!」
ラーフ伯爵が怒号する。
「そうかもね」
エヴァンゼリンは微笑した。
ラーフ伯爵は圧倒的な恐怖で硬直した。
エヴァンゼリンの聖剣が一閃する。
ラーフ伯爵は両断されて即死した。
エヴァンゼリンは、ラーフ伯爵を斃した後、意識を集中した。知覚魔法で、周囲の魔力を把握する。
ふとエヴァンゼリンの灰色の瞳に訝しげな光が滲んだ。
(ダンタリオンの魔力が消えた?)
先程まで階層にダンタリオンの魔力、すなわち気配が確かにあった。ラーフ伯爵を斃した後、すぐさまダンタリオンのいる場所に行こうと思っていたのだが……。
(どういうことだ? ……いや、これは行って確かめるしかないね)
灰金色の髪の少女は聖剣を鞘に収めると、ダンタリオンの魔力を感じた場所に移動し始めた。
30分後、エヴァンゼリンはダンタリオンのいた玉座の間に到達した。巨大な門を開けて広間に入ると、床に倒れている相葉ナギが視界に飛び込んできた。
「ナギ君!」
エヴァンゼリンは驚いてナギに駆け寄った。すぐさま治癒魔法をかける。ナギは完全に意識を失っていた。
「この傷は……」
ふとエヴァンゼリンはナギの身体の傷を見て気付く。厚手の大剣で斬られた傷跡だ。闘っていた相手は、大剣の使い手……。
「まさか……」
エヴァンゼリンは周囲を見渡した。遠くに禍々しい大剣が落ちていた。
(ダンタリオンの大剣……)
灰金色の髪の少女は驚きの表情を浮かべた。
探査魔法を使い、大剣に残る魔力の残滓からダンタリオンの大剣であることを確信する。エヴァンゼリンは思わず吹き出し、やがて大笑した。
「そうか、ナギ君。君がダンタリオンを斃したのか!」
灰金色の髪の少女は、澄んだ笑声を響かせ続けた。爽快かつ痛快な気分が、エヴァンゼリンの胸奥を満たす。
「勇者の手柄を横取りするとはねぇ」
エヴァンゼリンはナギの頬を軽く指でつついた。ナギの頬は柔らかく、少女のようだった。
◆◆◆
90分後。
勇者エヴァンゼリン、大魔道士アンリエッタ、槍聖クラウディア、そしてセドナは玉座の間にて邂逅を果たした。
その後、エヴァンゼリン、アンリエッタ、クラウディアは迷宮内に残存するモンスターを殲滅した。
これにより、〈幻妖の迷宮〉侵攻作戦は完了した。
なお、本作戦の死者3700余名の遺族には王国から手厚い補償と賛辞が送られた。
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