第17話 眷臣《けんしん》の盟約
大精霊レイヴィアは、しがみつくナギを引きはがすと人差し指を突きつけた。
『とにかく、そういう訳じゃからワシの復活は相当遅れる。それまでセドナをなんとしてでも守り通せ。とにかく、モンスターを数多く退治し経験値を上げてレベルアップに励むのじゃ』
レイヴィアは腕を組んだ。
『そのためにもそなたが目覚めたら、すぐ《眷臣(けんしん)の盟約(めいやく)》の儀式を執り行う。これによってセドナの戦闘能力は向上するじゃろう。当然、モンスター退治も楽になる』
レイヴィアの言葉にナギは頷いた。
『ワシは《眷臣の盟約》が終わり次第また休眠状態に入るからの』
「分かりました。……その、ご迷惑をおかけします」
『全くじゃ』
レイヴィア様はクスリと笑った。
『重ねて言うがの。そなたは今器に収まりきらぬほどの魔力が溢れかえっておることを忘れるでないぞ。よって暫くは、そなたの心身を破損しない程度の力で戦え。その制御はワシがうまくやってやるから、案ずるな。いずれそなたのもつ神の力を完全に制御できる日が来るじゃろうて』
「はい」
『ただ、どうしても圧倒的な戦闘能力が必要になる時もあるじゃろう。
その時は死なない程度に使え。調整はワシがしてやるし女神から貰ったメニュー画面もそれを補佐してくれるじゃろう。
良いな? ワシの言うたことを夢から醒めても忘れるでないぞ。それ、さっさと起きろ』
相葉ナギはレイヴィアの精神世界から叩き出された。そして、同時に目が覚めた。
朝日が宿の部屋に差し込んでいる。目の前にセドナがいた。鼻先が触れあうような距離にセドナの顔がある。
ナギは軽く驚き、やがて微笑した。セドナはスヤスヤと寝息をたてて、気持ちよさそうに寝ている。セドナは、白い優美な素足をナギの足に絡めていた。ナギはセドナの銀色の頭を優しく撫でた。
(妹がいたら、こんな感じかな?)
と思った。やがて、セドナが可憐な唇をふるわした。
「う、う……ん……」
そして、数度瞬きするとセドナは黄金の瞳を開いた。セドナの双眸にナギの顔が映り込む。
「!」
刹那、セドナは驚いて跳ね起きた。白い下着姿のまま慌てふためきベッドの上に正座する。
「お、おはようございます! ナギ様。申し訳ございませんでした! 主人であるナギ様よりも、長く寝てしまいました!」
セドナは恐懼して身を縮めると平伏した。
「気にしなくていいよ。そんなことより、よく眠れた?」
ナギが優しく言うと、セドナは芸術品のような顔に笑顔を浮かべ、
「はい」
と、答えた。
****
相葉ナギとセドナが、着替え終わるとレイヴィアの声が二人の頭に響いた。
『よし、では
「分かりました」
「はい」
ナギとセドナが答える。同時にレイヴィアが実体化して室内に降臨し詠唱を開始する。
レイヴィアの詠唱とともに魔方陣が床に浮かび上がった。ナギとセドナは、発光する魔方陣の中にはいり向き合って立つ。
『さて、《眷臣の盟約》の儀式の執行の仕方は、幾通りもあるが、どれにしようかのぅ……』
と、レイヴィアは軽く腕を組み、やがて口の端に悪戯めいた微笑を浮かべた。
『ナギ、セドナ。口づけせよ』
「え?」
レイヴィアの台詞に、ナギは驚きセドナは黄金の瞳を瞬かせた。
『口づけじゃ、口づけ。キスじゃよ。キス。はようやらんか』
「いや、だって……」
とナギが言った刹那、セドナが典雅な動作でナギに近づいた。
「ナギ様、失礼いたします」
そして、ナギの頬を両手で挟み込み、背伸びしてナギの唇に自分の唇を押しつけた。
「!」
セドナが強くナギの唇を吸う。そして、舌をナギの唇に差し込み自らの舌に絡ませた。
ナギは大きく目を見開き、パニック状態で体を凝固させた。
セドナの柔らかい唇。自分の舌を嬲るように動くセドナの舌に恍惚とする。
数秒後、長いような短いような甘美な一時が終わると、セドナはナギから唇を離した。
セドナは唇についたナギの唾液を愛おしむように飲んだ後、
「ナギ様、ありがとうございました」
と、澄ました顔で深々と頭を下げた。ナギが呆然として自分の唇に指をあてていると、突如魔方陣が強い光を放ちだした。
『これにて《眷臣の盟約》は執行された』
レイヴィアがセドナを見る。
『ナギ、セドナ。そなたら二人の魂と魔力は融合し深く結びついた。永劫にこの縁(えにし)が消えることはない』
「大精霊様、こころより感謝します」
セドナが幸福な微笑みを浮かべた。
ナギは唇に指を当てたままセドナとのキスの感触を反芻していた。信じがたいほど柔らかくて甘い官能的な感覚だった。
(キスしちゃった……)
ナギは頬を染め、セドナの顔を見る。幻想の息吹でつくられたような美しい少女。セドナが、頬を染めながらナギを見る。黄金の瞳がナギの黒瞳(こくどう)を愛おしむように包むように見る。
(ファースト・キスがこの子か……)
ナギは愉悦が胸に溢れるのを感じた。初めてのキス。なんだか嬉しくて堪らない。相手が10歳の女の子なのに無性に嬉しい。
(そっか、セドナが俺のファースト・キスの相手……)
そう思って数瞬淡いトキメキを覚えていたが、ふいに現実を思い出した。
(いや、違う。俺のファースト・キスの相手はレイヴィア様だ)
俺はレイヴィア様に黒瞳をむけた。
今、レイヴィア様は桜金色(ピンク・ブロンド)の髪と桜色の瞳の14歳ほどの少女の姿をしている。だが、最初に俺がレイヴィア様と出会った時は……。その刹那、レイヴィア様が変化していた老婆の姿が俺の脳裏をよぎる。
「おえええェエエエエエエエ」
80歳の老婆に唇を吸われている自分を想像してしまい吐き気が止まらない。俺は床に膝をつき四つん這いになって反吐が出そうになるのを堪える。
「ナギ様! どうされたのですか?」
セドナが、慌てて俺の背中を摩る。レイヴィア様が、俺に冷たい声を放った。
『そなた絶対ワシにたいして、失礼なことを考えておるじゃろう?』
俺は、何とか吐き気を堪えて立ち上がった。
「……いや、なんでもないよ」
俺はセドナを安心させるために、気丈に振る舞う。
セドナがほっと安堵した、その時、彼女の周りに緑色の光が渦巻いた。その緑色の光とともにセドナの周囲に数十本の草花が、彼女に絡みつくように出現した。美しい花々が咲き乱れ、セドナを抱擁するように草花が彼女の体に巻き付く。
「これは……」
セドナが、驚きの光を黄金の瞳に宿す。
『《眷臣の盟約》の効果の一つ、従者サーヴァントの潜在能力の顕現じゃ。どうやらセドナは樹霊魔法(プラント・マジック)に目覚めたようじゃな』
樹霊魔法(プラント・マジック)とは、文字通り、植物を操ることが出来る魔法で、非常に使い勝手が良く、レベルがあがると強力な武器になるそうだ。セドナが紅く咲いた花を愛おしむように撫でていると、その手に魔法光が宿った。
『それ、次はアーティファクト(魔導具)が来るぞい』
セドナの手に白く輝く弓が現れた。大きく優美な弓で全身が純白に輝き、弓の両端には鋭い短刀が、装着されている。
『《白夜の魔弓(シルヴァニア)》じゃ。両端にある短刀は《白夜刀(シルヴァニアン・ソード)。こいつは随分と凄い魔導具を召喚したものじゃわい。さすがワシの《愛し子》よ』
レイヴィア様が誇らしげに言った。
「ありがとうございます。レイヴィア様、ナギ様」
セドナは嬉しそうに弓の弦を引いた。どうやら気に入ったらしい。尖った耳が、パタパタと上下に動いている。
セドナは、《白夜の魔弓》を手に持ちクルクルと操った。優美な舞踏のように繊麗な体を動かして魔弓を操る。時々、槍のように扱い弓の両端にある魔刀を突く。
なるほど、戦国時代の弭槍はずやりと同じだな、と俺は思った。
弓の両端にある刃で突く、斬る、という攻撃ができる。
弓矢として扱い、矢による狙撃、すなわち遠距離攻撃も可能だし、槍として扱い近距離攻撃もできる。実践的な良い武器だ。
武器……か……。
ふと、俺は郷愁の思いに駆られた。自らの愛刀が脳裏をよぎる。
相葉家の宝剣。愛刀・〈斬華(ざんか)〉。
円心・爺ちゃんから受け継いだ名刀。地球に残してきたままだ。もうあの刀に触れることが出来ないかと思うと、切ない気持ちになった。
「あの……ナギ様。如何されましたか?」
俺の機微を察したのか、セドナが心配そうに尋ねてきた。
「いや、何でもないよ。しかし、良い弓だね。綺麗でカッコイイ。セドナによく似合う」
俺がそう言うと、セドナは弓を抱きしめて、
「はい」
と無邪気に微笑んだ。
『さて、《眷臣の盟約》の儀式は終わりじゃ。ワシはまた眠りにつく。セドナよ』
「はい」
『……ワシが不甲斐ないせいですまぬ……。どうか許してくれ』
「いえ、大精霊様は、いつも私達一族を全力で護って下さいました。昔も今も……。ですから、どうか謝らないで下さい」
レイヴィア様の心が俺に伝わった。レイヴィア様が、忸怩たる思いでいるのが分かる。
『すまぬ……、ナギよ』
「はい」
「頼む」
レイヴィア様はそれだけを俺に言った。そして、それだけで十分だった。
「はい」
俺も短く答える。
レイヴィア様が、微笑したのを俺は感じた。そしてレイヴィア様の気配が、消えた。
わずかな間、沈黙が室内に降りた。
俺はセドナに顔をむけた。
「セドナ、今日も頑張ろうか」
「はい。よろしくお願いいたします」
白い魔弓を抱きしめたままセドナは深々と俺に頭を下げた。
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