第2話 女神ケレス

相葉ナギは、夜道を一人歩いていた。彼の年齢は、17歳。

身長は173センチほど。そこそこに整った顔立ち。


黒いYシャツに、ジーパンという出で立ちで、静かに夜道を歩いていた。


目的地のコンビニが彼の視界に映る。

相葉ナギは立ち読みする漫画を思い浮かべて、少し喜色を浮かべた。

次の刹那、相葉ナギの視界に純白の閃光が爆ぜた。その時、相葉ナギは、


『死んだ』

と思った。 


 本能が『死』を告げていた。全身の細胞、精神、魂にまで『死』という絶対的な存在が駆け巡る。


(今まで死んだ人たちは死ぬ瞬間、こんな感覚を味わってきたのか……)


そして視界が白い闇に閉ざされ、そのまま相葉ナギは意識の全てを失った。



◆◇◆◇◆◇




意識の回復とともに視界が徐々に鮮明になってきた。ナギの瞳に周囲の景色が映り込みはじめる。


「……よ、よかったぁ。……なんとか肉体を再生できました……」



清楚な美しい女性の声が聞こえた。ナギは仰向けの体勢で寝ていた。視線を動かして、自分のいる場所を見て絶句する。



地平線の先まで全てが白い鏡のような床になっており、空までもがすべて白い。距離感が狂う。頭がおかしくなりそうな光景だ。


(これは……一体どういうことだ?)


ナギは首をわずかに動かした。ナギの目の前に、16歳ほどの少女がいた。



「意識が戻ったようですね。安心しました……」


少女が翡翠色の瞳に安堵の色を浮かべてナギを見た。ナギは呆然としながら少女を見た。


 少女はあまりに美しすぎた。


 宗教画の天使のような美貌。黄金の髪に、翡翠色の瞳。


 司祭のような衣服を着ており、白を基調として黄金の装飾が施されていた。


  ナギが思わず見惚れていると、少女が恐るべきことを口にした。


「申し訳ありませんでした! 相葉ナギさん! 私のミスで貴方を殺してしまいました!」


ナギの目が驚愕で見開いた。


(私のミスで殺した? どういうことやねん?)


 あ、なぜか俺、関西弁になっちゃった。


「そ、そ、それで、その……まずは、現状の説明をさせて頂きます……」


少女が頭を深々と下げて、申し訳なさそうに説明し出した。


少女の名は女神ケレス。夢幻界むげんかいという神様のいる世界に星の数ほどいる神の一柱ひとり。彼女は、地球の管理を仕事にしているそうだ。その中の一つに、次元震の調整というものがある。


この宇宙は異なった次元がいくつも存在する多元的な存在だそうだ。


それが時折、ふとした調子でぶつかり合い、次元震が発生する。


その次元震を調整して発生させないようにするのが、女神ケレスの数ある仕事の1つだそうだ。


だが、次元震の数はあまりに膨大である。


そのため調整ミスをして、次元震の発生を食い止めることができないことがあり、運悪く相葉ナギは次元震に巻き込まれ、一瞬で木っ端微塵。分子以下のレベルにまで解体されて即死したのだそうだ。


「ああ、ようやく終わりました。相葉ナギさん。私の神力を吹き込んで、貴方の肉体、精神、魂、全ての再構築が完了しました……」


女神ケレスはそう言うと、額の汗を手で拭って肩で息をした。

どうやら、相当苦労し、かつ疲弊したらしい。相葉ナギは上半身を起こして、自分の両手を見ながら呟いた。


「そうか……。俺は死んだのか……」


 本能が『自分が死んだ』と告げていた。


 あの時、次元震に巻き込まれた時深く魂にまで理解したのだ。


 だから今、『死んだ』ということに納得してしまっている自分がいた。


 相葉ナギが形容しがたい表情を浮かべると、女神ケレスがいきなり土下座した。


「本当に申し訳ありませんでした……。私をお気に召すようになさって下さい。殴られても、蹴られても、文句は言いません!」


 女神ケレスの顔は青ざめ、慚愧の念で体中が震えている。


 相葉ナギはそんな女神ケレスを見て首をふった。


怒る気力はなかったし、自分でも意外だが「しょうがない」と達観してしまっていた。「死」という強烈すぎる出来事が、ナギの心から怒りを奪い取ってしまっていたのだ。


それに女神ケレスが、心から謝っていることが伝わってくる。そんな相手を責めることはできない。 


 それにこれは事故のようなものだ。


 次元震に巻き込まれてのは、自分の不運という側面もある、とナギは思った。


「いや、しょうがないですよ。顔を上げて下さい」


 ナギは起き上がると、女神ケレスに土下座を止めるように即した。


「すみません……。本当になんとお詫びすれば良いか……」


女神ケレスは土下座を止めても、深く頭を下げ続けた。黄金の長い髪がたれて床に流れる。


「いや、もういいですから……。それより、俺は地球に帰れるんですか?」


「そ、それは……」


女神ケレスの顔が再び青ざめた。女神ケレスが言うには、ナギは一度死亡した。


その魂を地球に戻すのは、神の法律――神律しんりつに違反するのだそうだ。


魂の管理は別の神の業務であり、女神ケレスの権限で勝手に相葉ナギを地球に戻すのは不可能らしい。


魂を管理している神様と交渉して、相葉ナギを地球に帰還させるように説得してみる、と女神ケレスは言った。


「ですが、非常に厳しい交渉になると思います。また、結果がでるまで時間がかかるでしょう。魂を管理する神は厳格で……その……かなり頑固な御方なので……」


女神ケレスが、俯きながら言う。


 ナギは頬をかいた。


 女神様の態度を見ていると、交渉が難事であることが分かる。


(結果は期待できないかも知れないな……)。


「それでですね。現状においては、これからナギさんには異世界に転移し、生活していただくしか選択肢がないのです……」


「異世界……ですか?」


ナギが小首をかしげる。まさか自分がライトノベルやアニメのような展開に遭遇するとは思わなかった。


「はい、……それで……」


女神ケレスが叫ぶと同時に、ナギの足下に魔方陣のような光が広がった。


「な、なにごとですか?」


ナギが叫んだ。


「因果律が動き始めました! このままナギさんは、強制転移して異世界に移動します!」


ナギは驚いて、目を見開いた。まだ女神様の説明が終わっていないぞ!


「ナギさん! 異世界についたら手紙を送ります。それを読んで下さい!」


女神ケレスの言葉が終わるとほぼ同時に、相葉ナギの体が忽然と消えた。




◆◇◆◇◆◇



 ナギは広大な森の中にいた。巨大な木々が天高くそびている。


 強い陽光が空から降り注ぎ、得体の知れない猛獣の叫びが遠くから響く。


「……異世界か……」


ナギは独語した。


 そして周囲を見渡す。ここがどこなのか、異世界だとしてどの程度の文明レベルなのかがまったく分からない。


 ふと上空から羽音が響いた。


 鳥かな? と思いナギが見上げると、なんと天使のような翼を生やした封筒が飛んできた。


(あ……もう、間違いなく異世界だ……)


 この現象が異世界だと端的に示している。


 やがて羽の生えた封筒がナギの手元まで飛んできて封筒の羽は消えた。


 おそらくこれが女神ケレス様からの手紙だろう。


 ナギは封筒をあけた。中には恐ろしく達筆な日本語が書かれていた。


『相葉ナギ様。女神ケレスです。

相葉ナギ様、このたびは誠に申し訳ありませんでした。

私のミスのために貴方を死に追いやったこと、慚愧の念に堪えません。

本来ならば、このような謝罪の手紙程度で済むことではありませんが……(以下、深い謝罪と自らの非を懺悔する言葉が、300文字以上続く)……』


『では、本題に入ります。

ここは異世界の惑星フォルセンティアです。

いわゆる剣と魔法の世界で、文明レベルは中世末期ヨーロッパ程度。

なぜ、このフォルセンティアという惑星に転移したかと言うと、貴方は元々死後にこの惑星フォルセンティアに転生する予定だったからです』


「死後はここに……転生……か……」


ナギは感嘆するような声を出して、手紙の続きを読む。


『私は「魂を管理する神」と交渉して、ナギさんが地球に帰還出来るようにするために全力を尽くすつもりです。ですが、先程もご説明しましたが交渉は難航するでしょう。


【魂を管理する神】は厳格で頑迷な性格の御方です。説得するには時間がかかるでしょう』


(説得には時間がかかる……か……。これは期待しない方が良いかもしれない……)


 絶対不可能でも、女神様の立場としてはそう断言することは出来ないだろう。


「無理だから諦めろ」と言わない所に女神様の誠意を感じるな。


『それまでの間、なんとかこの惑星フォルセンティアで生き延びて下さい。この世界は、人間、怪物、魔獣、エルフ、ドワーフなどが生息する、剣と魔法の世界。非常に危険な世界です』


ナギはゴクリと唾を飲んだ。


『一応、司法も警察組織も存在しますが、日本ほど整備されてはいません。本質的に武力で自分の身を守らねば生きていけない恐ろしい世界なのです。武力がなければ奴隷にされたり、殺される可能性すらあります』


中世末期のヨーロッパ程度の文明ならば、そうだろうな。


『この恐ろしい世界で生きていくために、貴方に私の神性しんせい即ち、神の力を恩寵として差し上げます』


おお! 女神ケレス様からのチートスキルか!


そいつはありがたい!


 チートスキルがあり、最強無双の戦闘能力があれば余裕で生きていける!


 戦闘力は単純に敵に勝つだけでなく、経済的報酬まで賄える非常に使い勝手の良いスキルだ。


腕に覚えがあれば警護の仕事や傭兵などで食べていけるし、山賊や強盗などの犯罪者から身を守るにも武力は非常に重要だ。


『私が差し上げる恩寵の名は《食神しょくしんの御子みこ》。私は料理の神様という一面をもっているので、それをナギさんに与えます』


 ん? ……料理の女神?  あの人、料理の女神だったのか。


『この後、メニュー画面で、【食神の御子】の能力を閲覧して下さい。それでは相葉ナギさん、貴方の今後の御多幸を心よりお祈り申し上げます。女神ケレスより』


ナギが読み終わると同時に手紙が消滅した。


「メニュー画面……か……」


 ナギは独り言を呟いた。


 するとナギの脳内に四角いメニュー画面が開いた。


「おお、ゲームみたいだ。半透明で発光している!」


ナギは興奮した。


メニュー画面に白い文字が浮かび上がり、同時にそれが音声でナギの脳に響いた。



『相葉ナギ様、貴方には女神ケレス様より、特別なスキルが与えられました』


「特別なスキル……。どんなスキルなんだ?」


 俺が呟くと、メニュー画面が綺麗な声で答えた。


『【食神の御子】は相葉ナギ所有の女神ケレスからの【恩寵スキル】です』

 

恩寵スキル……か、凄そうだ。


『【食神の御子】のスキル説明です』



『この恩寵スキルにより、貴方はプロの料理人並の腕前になり、美味しい料理を作れます。良かったですね』

「アホかぁあああああああああああ!」


ナギは空に向かって絶叫した。

彼の17年間の人生の中で、最も大きな声が出た。






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