初日:知らない誰かと、知っている筈の自分

一夜明け、大学のラウンジにて、朝

 燦々と秋晴れの日差しが降り注ぐ大学のラウンジ。

 暑すぎず寒すぎず、人工的に室温を調整された環境はなんとも居心地がいい。

 1限目の授業時間にわざわざラウンジを訪れる人間なんてボクくらいなもので、エアコンがうるさいと思える程度には静かなのも心地よい。


 すでに1限目の講義は始まっているが、授業をサボっているわけではない。

 なんとなく家に居るのが落ち着かなくて、早めに大学に来てしまったのだ。


「はぁ……」


 ため息が空気に混じって溶けていく。


 平和だ。

 この上なく現実だ。


 大学での日々は何も変わらない。

 昨夜の怪異の影響はこのボク、伊那西拓いなにし たく以外にはなんの影響も与えていない。


「……いや、もう一人いたか」


 高伊勢抄たかいせ しょう

 幼馴染の元イケメン。

 死ね神と名づけた不気味な骸骨に何度も殺された挙句に美少女に転生させられた哀れな親友。

 殺されたことも、性別が変わったことも本人はさほど気にしていないような様子ではあったが……。


 抄は今日は大学には来ていない。

 抄にとって大学の講義は単位とイコールだ。

 出席がつくかどうかもわからず、そもそも出席したところで卒業ができるかも危うい状況では二度寝の誘惑に負けるのも仕方がないだろう。


「……はぁ」


 ため息の音が静かな空間に溶けていく。


 平和なのは見かけだけだ。

 問題は山ほどあって、それでも解決策が見つからないから見ない振りをしているだけ。


 抄はこれからあの姿でどうやって生きていく。

 戸籍だってないのと同じだ。

 男と女の抄が同一であることを証明できる人間なんて存在しない。

 あの美少女と抄の共通点なんてその記憶、 つまりは内面にしかない。

 そしてあの夜の証言をボクがしても、決して誰も信じはしない。


 抄の未来は絶望的だ。

 この日本という国で、超常の力によって転生した人間がまともに生きていけるとは思えない。


 抄が美少女になった責任の大半はボクにあるのだから、責任をもって何かしらの解決策を見つけなければならないのだが……。


「あーあ……」


 問題があるのは抄だけではない。

 ボクだって昨夜の出来事による後遺症をあの死ね神から受け取ってしまっている。


 死を拒む理由。

 それを探せと残して死ね神はいなくなった。

 もしそれを見つけたら、死ね神はまた現れるのか。

 それを見つけることができなければ、死ね神は永遠に現れることはないのか。


 疑問は尽きず、解答を出すことも不可能だ。

 けれども悩んだままでは気分が晴れず、何をするにも気力が沸かない。

 これだったら、あのとき願いを叶えてもらいながら殺されたほうがましだったのではないか。


「……死にたいなー」


 死にたい。

 それは人が問題に直面したときに現実逃避として呟く言葉だ。

 もちろん本当に死ぬ気はなく、大抵はこの言葉を皮切りに重い腰を上げて現実と直面し始める。


 そんなある意味やる気スイッチのような言葉なのだが、ボクの目の前には死ね神が現れていた。

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