「魔法院より召集がかかりました」

「呼び出し、ですか?」

「はい、申し訳ないのですが本日はここで失礼致します」


 もう何度目の講義か判らないくらい回を重ねて、でも相変わらず打ち解けない二人を前に休憩の準備をしていたところで唐突にリーン様が声を上げた。いつもの貼り付けた微笑みは消え、キビキビと教本を片付けると席を立つ。控えていたメイドにローブを、と声をかける姿は既に高度魔法師のそれだ。


「てかいつ呼び出しあったんだよ、誰も来なかったろ」

「使い魔が今しがた」

「使い魔……」

「恐らくですが、この後クロード様にもお声がかかるかと。何か大きなことが起きたようです」


 魔法に憧れる少年であれば目を輝かせずにはいられない「使い魔」と言う言葉に、クロード様はまるで叶わぬ恋に身を焦がすように熱いため息をつく。が、続く言葉にクロード様もチャンネルが切り替わったようだ。ただのポンコツ男子から、侯爵家の息子としての顔になる。


「ジン、すぐに確認を。先生は少し待ってください。私のところにも連絡が来るならばうちの馬車で飛ばした方が早い。流石にここに竜は呼べないでしょう」


 一部の魔法師たちは確かに竜で移動することもあるが、間違いなくスペースの問題で当家に呼び出すことは出来ないだろう。


「すぐに確認してまいります。お二人はご準備を」

「頼む」

「お願いします」


 メイドにあとを任せると、私もまた執事としての仕事に頭を切り替えた。



   ◇



「先生の方には、呼び出しの内容についてはっきり伝えられましたか?」

「いえ、こちらには大きな問題が起きたからすぐに集まるようにとしか」

「こちらも似たようなものです。不在の父と兄の代理ではありますが、こんな子どもですら呼び出さなくてはならないということは公爵家のみならず侯爵家を動かす必要があるということ。……一体何があったというのでしょうか」


 馬車はかなりの速度で王宮に向かっていた。通常の道では遠回りだからと、森の中を抜けていこうと提案したのはクロード様だ。いくら治安がいいからと言っても森の中では何と遭遇するか判らない。しかもクロード様とリーン様以外には御者と私──執事兼護衛兼教育係兼雑用係──しか連れて行かないという。機動性を考えればそれも致し方ないが、いくらクロード様が騎士の家系で優秀であったとしても危険なことには変わりはない。

 それでも結局はクロード様の提案通りに、馬車は森の中を全力で走っていた。人の通らない森の中を進んでいるため手加減せずにスピードを上げられるのはいいことだが、辛うじて道という体裁を保っているだけで整備していないために馬車はずっとがたがたと不規則に揺れている。女性を乗せて通る道ではないなと思うが、リーン様も森を通ることに賛同した。これだけ急ぐことを優先させるということは、もしかしたらリーン様はもっと何かしら情報を与えられているのかもしれない。一介の侯爵家より、魔法院所属の高度魔法師の方がもたらされる情報は多い。


「状況によっては、しばらく講義は出来ないかもしれません」

「もちろんです。先生の職務を優先してください」


 こんなにちゃんと敬語で話せるなら、普段からこうしていれば好感度も上がるんじゃないだろうか。そんな余計なことを考えながらクロード様の隣で私もまたこのあとのことを考える。

 クロード様のお父様、つまり侯爵家当主は嫡男であるお兄様と共に視察中である。間の悪いことに連絡が取りづらい地方に行っているため、事態を伝えられるのは数日後になってしまうだろう。既に伝令は出しているが、お二人が戻って来られるまでにはさらに数日。侯爵家としての決定事項が必要になった場合クロード様のお名前だけでは弱い。現在の事情を知っているとはいえ果たして王宮側はそれを認めてくれるだろうか。そんなことを考えていると、どこか強張った声が耳に刺さった。


「ジン、様子がおかしい」


 考え事をしていた私は、クロード様の声で初めて駆けるようだった外の景色がだいぶゆっくりと流れていることに気付く。クロード様は既に剣に手をかけ、窓から外を伺っていた。


「ジンは外の確認を。先生は頭を下げて、なるべく馬車の中央へ」


 慌てて薄く扉を開け外を確認するが、少なくとも見える範囲には何も異変は見られない。ならばと次に御者席へと繋がる小窓を開ければ、そこには本来あるべき御者の後ろ姿ではなく黒い何かが見えた。ぬめぬめとした皮膚、ゆらりと動く細い尾は明らかに人間でも獣でもない。

 その姿の隙間から、御者であったものがちらりと見えた。手には手綱を握ったまま、頭部を失った肩。恐らく自身に何があったのか理解する前に絶命したのだろう。それ故に馬が暴れずにいてくれたのはある意味ラッキーではある。

 思わず出そうになった声をギリギリで抑え込み、そっと小窓を閉めた。


「クロード様、どうやら魔物が。御者が食われたようです」


 抑えた声で伝えれば、クロード様は僅かに笑ってみせた。


「呼び出された理由が判ったな。ひずみの復活だ」


 この王国内には、長い間魔物が出てくることはなかった。過去に存在した優れた騎士や魔法師たちが、王国近辺に存在するひずみ──そう呼ばれる魔物が生れ出づる場所──を尽く潰していってくれた。それがこの王国が発展した一番大きな理由だ。それ以降、何十年の長きに渡りこの国は魔物の脅威を感じることなく大きくなり続けた。そして今、恐らくその平穏が新たなひずみ発生により崩されたのだ。


 馬車はさらに速度を落とし、やがて動きを止めた。静かになった外からは、ぐしゅり、じゅぶり、と不穏な音が僅かに聞こえた。

 クロード様は、混乱しているのか微動だにしないリーン様に視線をやる。それから、その足元へと跪いた。


「先生はこの国を支える礎たる高度魔法師。私が必ずお守りします。どうかこのままここで」


 リーン様は視線を、ゆっくりとクロード様へと向ける。その表情は、緊張に強ばっているのかまるで微笑んでいるように見えた。


「ジン、行くぞ」

「はい」


 剣を持ち、私はクロード様とそれぞれ左右の扉から外へと踏み出した。



 幸いなことに、魔物は単体のようだった。周囲に視線をやるが、少なくとも御者席にいる以外は姿を確認出来ない。そっと扉を閉じると、ゆっくりと御者席の方へと近付く。出来れば気付かれる前に先制攻撃をしたいところではあったが、御者を腹に詰め込んで満足したのか魔物がちょうどこちらへと目を向けた。

 私は大きなモーションで剣を構え、それからゆっくりと目を逸らさないまま一歩後ずさる。まずはリーン様から、馬車本体からこの魔物を遠ざけなければならない。それに魔物の背後で機会を伺うクロード様の存在に気付かれるわけにもいかない。腹がくちくなったからか魔物の動きは鈍い。それでも己に突き刺さる害意は判るのか、のっそりと身体を起こし、御者席から降りるとゆっくりとこちらへと向かってくる。

 魔物についての知識は、正直あまり多くはない。もちろん学問としてある程度は頭に入っているものの、所詮座学だ。王国に魔物が現れなくなってから生まれた身としては、本物を目の前にしてすぐに弱点や攻撃法を思い出すほど余裕を持てるわけもないし、そもそもこんな姿の魔物が教本に載っていたかすら判らない。

 魔物越しに、クロード様と視線を交わす。自分より十歳以上年下の主が小さく頷く姿に、私は遠ざかろうとしていた落ち着きが戻ってくるのを感じる。一歩、また一歩と後退し、よし、馬車からは充分距離を取った。

 種類も、種族すら判らないが、この手のぬめぬめとしたタイプは火の攻撃と直接攻撃だ。……たぶん。

 詠唱、そして発動。優秀な執事は炎くらい操れなくてはならない。というよりそもそも私は執事兼護衛兼教育係兼雑用係としてクロード様のおそばにいるのだ。闘うための能力はそれなりに持ってるつもりだ。そうは言っても剣の腕はクロード様にそろそろ抜かされそうだし、炎とて小さな火球程度しか扱うことは出来ないが。

 私は魔物に向けていくつかの火球を投げると、そのまま魔物の方へと走り出した。

 視線の端で、クロード様もまた勢い良く駆け出しこちらに向かうのが見える。私が魔物の元へと到達するより早く大きく剣を振りかぶると、こちらに意識を向けていた魔物の首元へクロード様の剣が深々と突き刺さった。


 それは、叫びとも呻きともとれないくぐもった音とともに地に伏した。


 魔物は、どのタイプであっても基本的な弱点は首だという。クロード様の剣が刺さったままの姿に恐らく倒せているのだとは思うが、何せ経験がないのだから生死の判別がし辛い。クロード様もさすがに初めてのことに緊張していたのか、まだ剣を握ったままだ。握ったままと言うよりは、恐らく強く握りすぎて手が強張り離すことが出来ないに違いない。クロード様だとて私と同じ、初めて魔物と対峙したのだ。人を斃すのとはまた違う恐怖や緊張感がある。彼はうつ伏せに倒れ込んだ魔物の上に馬乗りになるようにして、呆然と魔物の姿を見つめていた。


「クロード様、生死の確認を致します。今しばらく剣はそのま、」


 クロード様の顔がこちらを向き、次の瞬間その目が見開かれる。何が起きたのか判らなかった。唐突に視界がぶれ、ぐ、と詰まった呼吸は内から噴き出した何かにさらに阻害される。上下の感覚が判らなくなり、ただなぜか鮮明に土の匂いが鼻を衝いた。


「ジン!」


 どこか遠くでクロード様の声が聞こえた。条件反射のように姿を確認しようとして、身体が動かないことに気付く。いや、動いているのかもしれないが、まるですべての感覚を手放してしまったようだ。なぜか呼吸が満足に出来ない。辛うじて開かない瞼を懸命に持ち上げれば、視界には地面、自分の手。その合間を縫うように見えるのは、複数の魔物に囲まれる、クロード様。

 別の魔物が、いたのだ。それとも血の匂いに呼び寄せられたのか。それが、私の身体を吹き飛ばした。


「…に、…ッて……!」


 逃げてください、そう叫ぼうとしたとき、突然に場違いに可愛らしい笑い声が聞こえた。次の瞬間、視界を奪う程の閃光。


「いーち!」


 あまりにも眩い光に思わず目を閉じる。


「にーい!」


 可愛らしい女性の掛け声とともに、次々と白い稲光が瞼に映る。


「さん!」


 そして、轟音。バリバリ、と音がしたはずなのに、耳が許容範囲を超えたのか瞬時無音になったようにさえ思えた。眩い光が収まったことを確認し、ゆっくりと瞼を上げる。

 クロード様は、そのままそこにいた。未だ剣を手にしたまま、魔物の上に微動だにせずいる。そして彼を囲うようにしていたはずの魔物たち、それらは全て消えていた。消えて──地面に黒々とした何かを残して、消えていた。

 もう一度クロード様に目を戻し、そして彼の視線の先を辿る。

 だいぶ離れたところにある馬車。扉が開き、現れる黒いローブ。


「……先生」


 絞り出されるようなクロード様の声に、何があったのかを理解した。これは、リーン様の攻撃魔法だ。彼女の攻撃魔法で、先ほどまでいたあの醜悪な魔物たちが一瞬で消えたのだ。

 全身を現したリーン様は、遠目ではあるがなぜか満面の笑みを浮かべているように見えた。いや、視界がだいぶ霞んでいるから見間違いだろうか。

 どうであったとしても、一刻も早く起き上がりクロード様の無事を確認しなければならない。が、僅かに身じろぎをしようとしたところで胸を引き絞られるような痛みに呻き声すら出なかった。息が出来ない。


「…………え」


 次の瞬間全身が急激に熱くなった。と言っても火のような熱さではなく、温い湯に包まれるような心地よい熱だ。知らず知らず詰めていた息をふ、と吐き出す。それと同時に涼しい清らかな風を浴びたかのように体温が緩やかに落ち着くのが判った。そして、呼吸が出来るようになっていることに気付く。……回復魔法、だ。

 身を起こせば、軽々と起き上がることが出来た。さっきまでの痛みが嘘のようだ。


「ジン!」


 ようやく剣から手が離れたのか、クロード様がこちらへと走ってくるのが見えた。見たところ、何の怪我もしていないようだ。安堵でほっと息をつく私の、少し手前でクロード様は足を止めた。手で、自らの顔を指差す。


「無事でよかった、……無事なのは判るんだけど、お前かなりホラーな状態だぞ」

「え?……ああ、ええ」


 言われてよく判らないままに顔を手の甲で拭えば、べたりと赤黒いものが触れる。魔物に吹き飛ばされた瞬間に、内臓が損傷して吐血したんだろう。それともあの息苦しさから考えて、肋骨が折れて肺に刺さったりしていたのだろうか。まあいずれにしろ今は何ともない。回復魔法様様だ。そうだ、リーン様は。

 視線を馬車の方へと向ければ、リーン様もまたこちらへと歩いてきているのが判る。ゆったりとした足取りで、そして──やっぱり満面の笑みだった。

 今まで一度も見たことのない満面の笑みはとても可愛らしい、のに、なぜか背筋にぞわりとしたものが走った気がした。

 なんだかよく判らない自分の感覚に蓋をし、私はリーン様へと近付きそして足元に跪く。


「リーン様、助けて頂きありがとうございました。また魔物の盗伐、お見事でございます」

「先生、私からも御礼申し上げます。お守りするどころがお手を煩わせてしまい、申し訳ございません。しかし素晴らしい、美しいまでの攻撃魔法でした」


 クロード様もまた私の横に跪き、同じように首を垂れた。表情は窺えないものの、声が明らかに興奮している。ああ、この人まあまあの魔法オタクだったな。

 リーン様は、屈みこむと私たちの手を取り、無言で立ち上がらせた。さっきと寸分も違わない微笑み。艶やかな頬は赤みを帯びて、瞳は潤んでいるように見える。まるで、恋に酔った乙女の顔だ。


「……いいの。それよりクロード様は実技をご所望でしたね」

「え、ええ、そうですが……」

「ええ、ちょっとここら辺で腕試しでもなさいましょうか。幸い試合相手ならたくさんいるようですし」

「……え?」

「それはどういう……?」

「ほら見て、人間と仲間の血の匂いにどんどん寄ってくるの。この森はきっとひずみから近いのね、とっても豊富な人材だわ」


 この場に相応しくない、とろけるような優しい声が怖い。慌てて視線を向ければ、先ほどとはまた違う魔物が数体、引き寄せられるように馬車の方へと向かっていくのが見えた。それから、こちらへと向かってくる個体も。


「ちょっと失礼しますね」


 魔物の存在に驚く間もあればこそ、失礼、のし、くらいのところで、頭からものすごい衝撃が落ちてくる。思わずよろける身体を無理やりに立て直し、遅れて頭から水をぶっかけられたのだとわかった。どれだけの量を一気に放出したのか判らない。顔を拭えば、血の気配など既にどこにもなかった。


「あなたのその血の匂いに寄って来ちゃってるの。みんなこっちに来ちゃうとやりにくいから失礼したわ。さ、じゃあとりあえずあの一体を斃してもらいましょうか」

「リーン様、その、仰っている意味が」

「師匠、判りました!不肖ながら先陣を切らせて頂きます!」


 視線を横に送れば、そこにはもう一人満面の笑みを浮かべる人物。ああ、なんかこっちにも変なスイッチ入った。

 リーン様は、鷹揚に頷く。


「魔力が枯渇するまでやっていいわ。あとは私が仕留めるから全力で行きなさい」

「はい!」


 森の道を選んで正解だったわぁ、といううっとりとした呟きは、果たしてクロード様の耳に届いただろうか。


 ふと、王立魔法院で家庭教師を依頼したときのことを思い出す。


 王立魔法院は国の確かな機関だが、いかんせんその特殊性から変わり者が多い。クロード様の家庭教師としてお迎えするからには、より優秀で、また品位人格にも優れた人物でなくてはならない。候補として挙げられた数人の、その身上書だけでは判らない人となりを調べるために、私は魔法院の事務官や侍女に聞き込みをした。もちろん魔法師についての詳細な情報漏洩は固く禁じられているから、漠然とした情報のみだ。それでも日頃身近で働いている者たちから僅かでも得られるものがあればとあれこれ聞いて回った。

 その先で毎度のように聞く二つ名があったのだ。あいつには気を付けろよ、あの人だけは避けた方がいいわ、あの方はちょっと、あれはほら自分から危険に飛び込むっていうか。言い方はそれぞれだったが、つまりは要注意人物である。その人物の二つ名が──『酔いどれ』。酔いどれバーサーカーとまで言う者もいた。当然それが誰なのかは教えてもらえない。けれどこちらが候補者の名を出して評判を尋ねているのだから、確実にその中にいるということだ。恐らく酒を飲むと人格が変わって暴走する類なのだろうと、絶対に酒を飲まない年齢の人物を家庭教師に決めたのだが……どうやら浅慮であったようだ。酔うのは酒だけとは限らない。歌に酔うもの、恋に酔うもの、そして魔法に酔うもの──


「そんな小さいのを撃ち込んでどうするっていうの」

「師匠!これより大きいものはまだ教えて頂いておりません!」

「あれだけやりたがってたんだからやり方くらい予習しているでしょう。出来ないなら気合で突入」

「はい!気合で突入します!」

「クロード様突入はおやめください!魔法!魔法で戦ってください!」

「ジン様も多少は使えるのでしょう、ほら、ご主人様をお守りなさって」

「リーン様!もう少し具体的なご指導を!」

「ジン行くぞ!」

「クロード様!」

「ほらほらほらほら早くしないと私がやっちゃうわよぉ」

「やって頂いて何の問題もございません!クロード様、突入は!おやめください!」

「師匠!見てください撃てました!」

「ちっさいの出た」

「褒めて頂いた!」

「クロード様今のは一ミリも褒めておりませんむしろ貶しておりますというよりどちらでもいいので魔物を!攻撃して!」



 誰もが知るであろう、この国を魔物の脅威から救った英雄たちを讃える歌劇『酔いどれ』。

 物語中に酔っ払いなど一度も出てこないにも関わらず、この歌劇がなぜそう呼ばれるのかは、ごく一部の人間しか知らない。



〈了〉

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魔法に憧れる少年の始まりの物語 甲斐瞳子 @KAI_Toko

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