第3話 しらき、白木百花
部活動見学を終えた翌日。風の無いうららかな日だった。昨日の苛立ちは収まり、代わってどうしようもない不快感が胸にうずまいていた。私にとって自由な時間を奪われるのは耐え難い苦しみだった。
今日の時間割は教材が多い。肩がおかしくなりそうなほど重い鞄を背負いながら、私は登校完了時刻三十分前に教室に着いた。
一分ほどそうしたが特に面白いものも無かったので教科書をしまった。社会の資料集でも読もうかと机を探っていると、一人の女子生徒が私に話しかけてきた。
「えっと、スミタニさん?」
面倒な奴もいたものだと思いながら見上げると、彼女の胸元の名札には「白木」と書かれていた。その名前には見覚えがあった。確認するようにそのまま顔を見れば、顔自体はすっかり記憶から抜け落ちていたが、「白木」の名が似合わないという印象を昨日と同じように抱いた。
「うん。
名札を見ながらさりげなく自己紹介を促せば、「白木」ははっとしたように話し出した。
「しらき、
「へえ。ま、他の小学校のことなんか知らないけれど。全然ってことは一応知り合い居るんでしょ? 人少ないなら仲良いんじゃないの?」
そう言うと白木はあからさまに戸惑った。我ながらもう少し愛想良くできないのかと思うが、必要に駆られないせいでずっとこの調子なのだ。
「あ」だの「う」だのと返事に困っている白木を待つ間に、机の中を探っていた手が資料集らしき物を捉えたので机の上に出した。地図帳だった。
流石に地図帳に見るものは無いだろうと仕舞いなおしていると、やっと言葉が見つかったらしい白木が目を泳がせながら言った。
「いや、えっとね。住谷さんが学年で一番だって聞いて、どんな人なのかなって……」
こんなあからさまに擦り寄ってくる人間には初めて会った。とても気分が悪い。
「見世物じゃないんだけど」
「それはごめん。でも、やっぱ気になるし」
「それはあんたの問題でしょ」
結局何がしたいのかも曖昧なままの白木に私はだんだんと苛立ってきた。おそらく友達を作りたいのだろうけれど、何故無愛想極まりない私に話しかけたのかがわからない。ただひたすらに面倒で仕方がなかった。
苛々していたところで教室のドアが開き、「すみゃあ!」という声が響いた。教室は一瞬静かになり、すぐに元の騒々しさを取り戻した。浮田が登校してきたようだ。
小走りで机の隙間を通ってきた浮田は、私の机の前で肩掛け鞄を床に置き、白木の横に並ぶように立って私に話しかけた。
「すみゃあ早いね」
「こんなもんでしょ」
「私としてはかなり早く来たつもりだったのに。今日も先越されちゃった」
浮田はわざと無視していた白木の方を向いた。浮田は身長が高い。十センチほど見下ろしたところにある白木を見て、浮田は言った。
「昨日会ったよね。住谷に何か用でもあるの? ここのクラスじゃないでしょ?」
「そうなの?」と私が聞けば、浮田は白木がこれまでの三日間教室に居なかったということを教えてくれた。私が顔を覚えるのが苦手な分、彼女のこういう記憶力の良さは助かっている。
白木はやや威圧的な浮田に迫られて委縮しているようだった。私はちょっと可哀想ではないかと思いながらも、白木に迷惑していたのは事実なので口出しはしなかった。何も言えない白木にさらに半歩分詰め寄って浮田は尋ねた。
「シロキ? シラキ? ハクボク、だか何だか知らないから取りあえずシラキさんって呼ぶけど。ねえ、住谷が迷惑してそうだなあってのはわかってるでしょ。それでもここに留まって、話しかけてんのはなんで? 別に住谷じゃなくていいじゃん」
浮田は畳みかけるように言葉をぶつけていく。このままでは彼女が悪者になりそうだと思って私は少々口を挟んだ。
「私が一番だから、興味湧いたんだって」
「へえ?」
白木をにらむ浮田をじっと見つめると、私の視線に気づいた彼女は白木から一歩距離を取った。自分でもヒートアップしていることがわかったらしい。はあ、と息を吐いてから、机を挟んで私の目の前にいた彼女は隣に移動してきた。
彼女たちの間には沈黙が降りた。手持無沙汰な私は机を指でトタタッと叩いた。私の近くで硬直状態が続いているのはストレスだった。
浮田がすっかり落ち着いたにも関わらず白木は何も言わない。言い訳する余裕が与えられても言い返さない白木に私はしびれを切らし、机をトントンと叩いた。私の意図を浮田は察して口を開いた。
「住谷は優しいから、『どっか行けよ』なんて直接的なことは言わないんだよ」
白木はうつむいて返事をしない。しかし、うつむいていても座っている私からは顔が見えている。心ここにあらずという表情、と言えばいいだろうか。返事もできないくらいに何かを必死で考えているように見えた。
ぼうっとその顔を眺めていると意外と顔が良いのだと気が付いた。特に目が良かった。くっきりした二重に長く豊かなまつげ、流行りのぷっくりとした涙袋。ちっとも好もしくはないが、確かにウケの良い顔立ちだった。
おそらく五秒ほど経っただろう。白木が返事をしないので浮田は努めて穏やかに声をかけた。
「ねえ、大丈夫? 気分でも悪いの?」
「ぁ、あ……っと、えっと。私、邪魔だったかな?」
白木は視線をさまよわせながら震えた声で答えた。
「邪魔なんて言ってないよ! ただ、ね? あんまり知らない人にぴったりくっつかれたらさ?」
浮田は机の上に置いていた私の手にその指先を重ねてきた。私に話せと言っているのはわかるが気持ち悪い。不自然でない程度に振り払ってから、私は立っている白木を見上げて言った。
「ごめんね。私、人見知りで」
「あ……そう、なんだ。ううん、私こそごめんね」
白木は少し顔色が良くなったが、それでもまだ表情の強張りは取れていなかった。行動力はあるくせに小心者だなと思い、私はなんだか面倒になって浮田に対応を任せた。
「浮田、
「白木さん。そういうわけなんだ。あんまり意地悪しないであげてね」
「うん……うん、ごめん。浮田さんにも、なんか迷惑かけちゃって」
「私はいいよ。気にしてないから。じゃあね」
「うん」
白木は立ち去ろうとして、何を思ったのかその場に留まった。既視感がある状況だった。
彼女は「あの」と言って私と浮田を見た。
「また会いに来てもいい?」
浮田は私の意向に従うだろうと考えて私は答えた。
「嫌って言うと思う?」
「え、っと……」
「ふふっ。別にいいよ」
「あ、ありがとう! それじゃまたね!」
彼女は今度こそ背を向けて教室を出て行った。姿が見えなくなったと思うと、浮田は私の肩をつかんで話しかけた。
「ねえ、どういうつもり」
私は肩から浮田の手を引き剥がした。非常識なくらいの力でつかまれていたので本当に邪魔だったのだ。いつものじゃれあい程度の触り方とは全く違って彼女の感情の強さがうかがえたが、気を遣ってやるつもりはなかった。そんなに怒ることではない。だから彼女が悪い。
椅子に座りながら体の方向を変えて浮田に向き合うと、普段の身長差の比にならないほど高い位置に浮田の顔があった。指で座るように指示すると彼女は素直に従った。
椅子の背もたれにもたれかかりながら、一つ縛りにした自分の髪をもてあそぶ。浮田は私を見ていた。たっぷり十秒は待ってから私は口を開いた。
「何がそんなに気に食わなかったの」
浮田の目が不自然に揺れた。そのまま視線はゆらゆらと下に向いていき、軽く首を垂れたような状態で止まった。
「……何でもないよ」
「そう」
彼女が何でもないと言うならそれ以上追及しない。私は探偵ではないのだから、真実を見えるところまで引っ張り上げる義務はない。隠したいものは死体だろうが何だろうが隠しておけばいい。いずれ土に還るのなら、面倒な手続きを嫌って放置したっていいだろう。
「いつまで座り込んでるの。早く立ちなよ」
浮田はおもむろに立ち上がり、床に置いていた鞄を自分の席に持っていった。そして、それを机の上に乱雑に放ったと思うとまた私のところに歩いてきた。
私よりもはるかに良い家柄なのに、彼女の所作や言動にはまるきり繊細さが無い。それが私は嫌で、目に付くとついつい指摘してしまうのだ。
「下品だよ」
「ごめんって」
そう言いながら浮田は私の前の座席に座った。その席の生徒はぎりぎりに登校してくる上に、いつの間にか浮田が許可を取ったらしく、占領していても問題はないそうだ。
浮田は私の机に腕を乗せて頬杖をついた。やたらと見てくるので改めて彼女の顔を確認したが、特に面白いものもなかった。切れ長の目。地味な顔立ち。華々しさや愛らしさとは縁遠い平々凡々な造りだ。
つまらないと思いながらぼんやりしていると、突然彼女がふふっと笑い出した。
「気でも触れた?」
「いや? すみゃあだなあって」
「触れたな」
「違うって」
その後はいつもの調子を取り戻した浮田がてきとうに話を振り、私がてきとうに返して話を広げて、とくだらないやりとりをした。そうこうするうちに予鈴が鳴って、浮田は惜しむように自分の席に戻っていった。一限目は数学だった。
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