虚無

 私の寮部屋は無くなっていたので、空き部屋を新しく与えられた。

 私物は、全て親の家に送られたそうだったが、私が2人に会いに行くのはかなり後になってからだった。


 私の尊敬する、地域情勢調査部部長パトリック・チャーネルが一度だけ見舞い来た。(彼は、私の状態を理解していたのだろう。多すぎ、少なすぎず、完璧な頻度だった)


 そして彼は諭すように言った。


「ハル。君は戻って来たが、まだ還ってはいない。今はとにかく休め」


 彼は、私がこれから直面する事実を予見してそう、助言したのだろう。だから、私は、肉体と魂が整うまで、しっかり休む事が出来た。身体が動かないのではなく、身体を休ませたのだ。


 私は、そこから一ヶ月程、ベットとその周辺だけで過ごした。

 大半は、天井を見つめながら、妄想巡らし、微睡む時は、誰かがケンビョウから部屋に来て、夢の中では私がケンビョウへ連れ戻されて過ごした。


 やはり、神経が相当参っていたのだろう。


 意識がある時は、ずっと“もし”の話を考えていた。


 もし、私が支配者階級だったら、もし、私が、圧倒的な力を持つ傭兵だったら、もし、私が億万長者だったら………あの遅咲きの獣人族の国を平和に出来ただろうか? 死者を減らせただろうか?


 もし、報復をするから、誰にだ? 


 私に与えられた唯一の救いは……この精神状態の中で、虚無と無気力だけが実感として残った事だろう。


 凶行に及ぶような行動力を持てないまま……とにかく、寝転がり続け、生き続け、耐えた。


 本当にちょうど一ヶ月だったと思う。恐ろしく冷静に、『歴史に“もし”は無いと考えるようになった』


 問題は何も解決せず、私は、ただ生きているだけだったが、それが私の全てでもあった。

 

 そして、そのタイミングで感情を動かす起爆剤に会ったのも、単なる偶然ではなかったのかも知れない。


 その時、私は、ベットに座っていた。少し動く気力が戻っていたからだ。

 その時、部屋の扉のノック音が響いた。

 自分で歩き、扉を開けた。(その当時の私には、それは立派な偉業だ。笑うなら一緒に笑おう)


 そして、そこには、凄腕の傭兵で、私の命の恩人キャロライン・コードウェルがいた。


 真っ黒なローブをフードをしたうえで着込むので、シルエットは、細長い寸胴か釣鐘のようだった。

 コードウェルと私は、彼女の頭頂が私の目線の高さにある程度の身長差があるので、私が彼女を見ると、彼女は私を見上げる形になる。

 つまり、フードの奥には、黒髪の不機嫌そうな顔で、白目がはっきりとわかる目が私を見つめていた。

 コードウェルは、私をじっと見た後、よく通る声で言った。


「ブラックウッド。一稼ぎしないか?」


 その時、彼女は、敵意が無いことを表す為に笑みを作ったが、これがまた不気味だったが、それはお互い様だったと思う。私は、一ヶ月泣いたり、呻いたりしかしていなかったので、肯定するつもりで返事をした時の声は……怒ったアライグマのようにしゃがれていた。


 コードウェルに連れられ、寮を出てた私は、そのままバームズ街へと繰り出し、メイン通りを抜け、雑多街を抜け、繁華街を越え、売春街まで来た。

 コードウェルは、女性で、私は男なので、この辺りでドギマギしたのを覚えている。要するに期待したのだ。

 が、コードウェルは、宿も娼婦達も無視して、さらに区画を南へと進んだ。

 そして、ラクラル通りを越えた。バームズ街にある、このラクラル通りを越えても、繁華街っぽさと売春街の雰囲気は尾を引いているが、そこは貧民街と暗黒街の区画だ。


 まともな人間は行かないし、真っ当な人間は、生きられない。

 雑居する灰色いレンガか、灰色いレンガ調の建物。その間を張り巡らす細い路地。その全てが汚く、ゴミだらけで退廃的な雰囲気をかもしている。


 そんな中を、コードウェルの先導で、2ブロック程進んだ。

 そこで、酒場に行き着いた。その名も『バースのバー』

 レンガの窯のような建物が、柿の皮のような塗料で塗られ、看板は……恐らくベンチチェアの板を流用した物だったのだろう。


 コードウェルが店に入ろうとするが、私はたじろいだ。虎穴に入らずんば虎子を得ずとはいうが、私はそもそも虎子は要らないのだ。


 コードウェル。カラスのような魔女がしびれを切らす。


「さぁ、おいで」


 寸胴のようなシルエットのローブが避け、彼女の手が、私の手を掴む。

 彼女は、手に革製の指抜きグローブをしたいので、手を掴まれる感覚は、爬虫類を掴んだ感覚に似ていた。

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