第109話

 後日、俺とルーチェはスノウに招かれ、ハウルロッド侯爵家の館へと訪れることになった。

 〈幻獣の塔〉での事件について、改めて礼を言いたい、とのことであった。


 イザベラに連れられ、侯爵邸の廊下を歩む。


「こんな立派な建物、初めて来ました……。アタシ、浮いてないですか? やっぱりエルマさんだけで来た方がよかったんじゃ……」


 ルーチェがおどおどと周囲を見回していた。


「何を言うか。二人共、お嬢様の大恩人だぞ? 気遅れすることなど何もなかろう。それに……あまり大層なもてなしを期待されても困るぞ。今回の場に、当主様は一切関与していないからな」


 ルーチェの様子に、イザベラが苦笑する。


「娘の恩人の歓待に、父であるハーデン侯爵様も顔を出すのが筋ではあるが……大変忙しい御方でな」


 イザベラがやや申し訳なさげに口にする。


「ハーデン侯爵様は、娘であり、跡継ぎ候補の筆頭であるスノウ様に対しても冷たさが目立つ。体面や礼儀より実益を優先する御方で、元々こうした場にまともに出ることの方が珍しい。気を悪くはしないでくれ」


「えへへ……アタシ、それを聞いてむしろ、ちょっと安心しちゃいました……。おっかない人だって聞いてたもので、顔を合わせたらどうしようかと……」


 ルーチェが頭を掻きながらそう話す。


 俺としては、できればこの地の領主である、ハーデン侯爵とは顔を合わせておきたかった。


 この都市ラコリナで頻発する、異常な〈夢の穴ダンジョン〉災害……そして、それを引き起こす〈哀哭するトラペゾヘドロン〉。

 世界を脅かす災害である〈夢の穴ダンジョン〉を利用して、何か悪しきことに用いようと企てている人物がいることは明らかなのだ。

 放置しておけば取り返しのつかないことになる、という確信があった。


 この辺りを探るには、俺はハウルロッド侯爵家について、あまりに情報が少ない。

 ハウルロッド侯爵家は容疑者であると同時に、この都市を守る最大規模の戦力でもある。

 この場を利用して、頭であるハーデン侯爵と顔を合わせて、彼の様子を探りつつ、一連の事件に対する侯爵家の姿勢を確認しておきたかった。


「イザベラさん、ハーデン侯爵様って、すっごくおっかない顔をしてるって本当ですか……?」


 ルーチェが声を潜めてイザベラへと訊く。


「……ルーチェ、あまりそういう話を館の人間にするものじゃないぞ」


「ご、ごめんなさい、噂で聞いて、気になっちゃってて……」


 イザベラは周囲をちらりと見て他に人間がいないことを確認すると、ニヤリと笑った。


「ああ、凄くおっかないぞ。とんでもない強面で、竜のような大きな口、悪魔のような尖った耳鼻、小鬼のようにギョロリとした目……。フフ、お嬢様が母親似の愛らしいお顔でよかったものだ」


 イザベラが手をワキワキと動かし、ルーチェを脅かす。


 ……この人、意外とノリがいいな。

 スノウにもかなり冷たいようなので、イザベラとしてもハーデン侯爵はあまり好きではないのかもしれない。


「こっちが客間で……」


 イザベラは扉を開けながら、言葉を途切れさせた。


 豪華なシャンデリアに、上品な長机が視界に飛び込む。


 ……そしてその中央には、竜のような大きな口に顎、悪魔のような尖った耳鼻、小鬼のようにギョロリとした目玉を持つ、壮年の大柄な男が座っていた。


「あ……ハーデン侯爵様……」


 ルーチェが顔を青くして呟いた。


「吾輩も、妻似でよかったと思っておる。美人だろう? スノウは」


 男がイザベラを見て、ニヤリと笑った。

 イザベラは顔を真っ青にして、パクパクと口を動かしていた。


「どどど、どうして客間に……?」


「いかんのか? 父親が、愛娘の歓待の場に顔を出しては」


「すみません、イザベラ。父様が、やはりエルマさんと話をしてみたい、と……」


 ハーデン侯爵の傍らのスノウが、しどろもどろとそう口にした。


「座りたまえよ。君と話がしてみたかったのだ、エルマ君」


「は、はぁ、どうも……」


 俺はぎこちなく頭を下げた。


 ハーデン侯爵と顔を合わせられたのは思わぬ幸運だったが、しかし、どうにも不気味な雰囲気の男だった。

 聞いていたより冷酷な印象はない。

 飄々としており、むしろ陽気で明るい人物にも思える。

 ただ、対峙しただけで、得体の知れなさを覚える。

 ただの人相の悪い、お茶目な父親というわけがない。


 全員で席に着き、すぐに豪華な料理が運ばれてきた。


「エルマさん、エルマさん、アタシ、マナー合ってますか? おかしなところあったら、言ってくださいね? ね?」


 ルーチェが不安げに、俺へとチェックを求める。


「そう硬くならずともよい。吾輩らしかおらんのだからな」


 ハーデン侯爵が大きな口を開き、笑みを浮かべる。

 その後、自身の皿の上のステーキを切り、豪快に口へと運んでいく。


「は、はい……ありがとうございます」


 ルーチェはぺこぺこと頭を下げてから、安堵したように息を吐く。


「思っていたより怖い人じゃなさそうですね、エルマさん」


「……だといいんだがな」


 明らかに、スノウとイザベラが委縮している。


 エドヴァン伯爵家では、父アイザスがよくハーデン侯爵の悪口を言っていた。

 自尊心が高く、底意地の悪い男だ……と。


 ルーチェは平民であるし、俺も既にエドヴァン伯爵家より廃嫡された身である。

 ハーデン侯爵が平民である俺達に何かを仕掛けてくるとも考えにくいが、それをいえば、娘の恩人にわざわざ直接会いにくるような人物でもないと、イザベラからそう評されていたのだ。

 多少身構えておいた方がいいかもしれない。


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