第108話

 〈夢の主〉であるポタルゲを討伐したことで〈夢の穴ダンジョン〉の崩壊が始まり、全てが白い霧に包まれて消えていった。

 景色が一転し、俺達四人は〈幻獣の塔〉の入り口であった、森奥の崖壁前へと立っていた。


「……私達以外には誰もおらず、か。犯人が間抜けにも〈夢の穴ダンジョン〉に残ってくれていれば、話は早かったのだがな」


 イザベラが周囲へ目を走らせ、溜め息を吐く。


 もしポタルゲの〈王の彷徨ワンダリング〉を引き起こした人間が〈夢の穴ダンジョン〉内にいれば、俺達と並んでこの辺りに現れているはずだった。

 ただ、そんな間抜けな証拠を残してくれるような相手ではなかったらしい。


「……本当に私の親族なのでしょうか。確かに皆さん、次期当主となるために命懸けで研鑽しておられます。私を疎んでいる方だっています。でも、このような真似に出るなんて」


 スノウが信じられない、といった調子で口にする。


「お嬢様……人の本心など、わからぬものです。わかりやすい悪党など恐れるに足りません。しかし、本物の下衆こそ、それと悟られぬように厚い仮面を被るもの」


「しかし、これまでハウルロッド侯爵家の家督争い絡みでここまでの凶行など、行われたことがありませんでした」


「他の当主候補の仕業ではなく、彼らを擁立する者の中によからぬ輩が紛れ込んでいるのかもしれませんね」


 イザベラとスノウが、此度の〈夢の主〉を用いた暗殺未遂について話し合っている。

 今回の事件、ポタルゲの動き方次第であったために失敗する可能性もあったはずだが、その分犯人を絞ることが非常に難しい。

 なにせ〈夢の主〉が消えてしまえば、全てが無に帰す〈夢の穴ダンジョン〉内での犯行だ。

 証拠など、残るわけがない。


「徹底してますよね……。山賊を嗾けて消耗や負傷を誘って、〈夢の主〉を誘導するなんて。貴族間の争いって、どこもこうなんでしょうか?」


 ルーチェがちらりと俺を見る。


「どうだろうな……」


 実力不足と見做されて追い出された俺が言うのもなんだが……エドヴァン伯爵家では、このような争いは俺が知っている限りはなかった。

 元々エドヴァン伯爵家は、過去の当主の実力頼りで今の地位を築いてきた。

 貴族の中では政治に関しては疎い方であるし、他の伯爵家と比べれば影響力もさして大きくはない。


 対してハウルロッド侯爵家は、王国内において五本の指に入る大貴族である。

 その分、しがらみや内輪の争いの苛烈さも比ではないだろう。


 加えて、俺には別の疑問もあった。

 この〈夢の穴ダンジョン〉を熟知した手口に、一切姿を現さない周到さ……。

 〈嘆きの墓所〉での事件と同じだ。

 同一犯だと考えるべきだろう。


 元々ハウルロッド侯爵家が怪しいという話ではあったし、今回も侯爵家の内輪揉めに用いられたようなので、筋は通っているといえる。

 しかし、周到な犯人の割に、目的に一貫性がないように感じるのだ。

 何となく誘導されているような、気色の悪さがあった。


 俺は崖上を見回すが、気に掛かったものは見つからない。


「どうしましたかぁ、エルマさん? 何か気になるものでもありましたか?」


 ルーチェが目で双眼鏡を作り、俺の視線を追う。


「普通……侯爵家の令嬢狙ってこんな大事件を引き起こしたら、その顛末くらいは確認したがると思ったんだ。安全に隠れて様子を見るなら、あの崖の上だろうと思ってな」


「なるほど……」


 生死なんて、放っておいても後でわかることだ。

 しかし、それでもここまでのことをしでかせば、直接確認したくなるのが人間というものだろう。

 ましてやここは、崖の上なんていう、安全なポジションまで用意されている。


 なのに、全く人の気配がない。

 僅かでも余計なリスクは取りたくない、ということか。

 徹底している。


「不気味な相手だ」


 確かに存在していることは明らかなのに、その正体の輪郭だけがぽっかりと穴が開いているようだ。


「えっと、あの……イザベラ」


 スノウがイザベラへと手招きする。

 イザベラが彼女へと耳を寄せる。


「ふん、ふんふん、なるほど……はい、承りました」


 イザベラがすくっと背を伸ばし、俺達の方を見る。


「エルマ、お前達が心配することではない。此度の犯人は、私達侯爵家が決着を付けねばならない問題だ。お前達はお嬢様の命の恩人……改めて、礼を言わせてもらう。一冒険者に助けられたなど、次期当主として恥だが……それが今の己の現状と受け止め、精進に励みたい……と、お嬢様は仰られている」


「あ、ああ……うん、どうも……」


 そうした言葉は、直接言ってもらいたいものだが……。

 スノウは侯爵家に相応しい、誇りと信念を持つ実力者なのだが……天は二物を与えずというか、何故対人能力だけこうも低いのか。


 スノウはイザベラの背で呼吸を整えていたが、覚悟を決めたようにきゅっと口を結ぶと、ばっと俺達の前に飛び出した。


「あっ、あの! 命を助けていただいたこともそうですが……私、ポタルゲを圧倒した御二方の姿に、感銘を受けました! とても格好よかったです! 私も貴方方のように強くなって、ハウルロッド侯爵家の名に恥じぬ当主になりたいと、そう思いました! ですから……その、本当にありがとうございました!」


 スノウは顔を赤くしながらも、一気にそう口にした。

 言い終えてからは、そっと逃げるようにイザベラの背へと回り込んだ。


 俺は彼女の様子に呆気に取られていたが、すぐに自分の口が綻んでいることに気が付いた。


「ありがとう……ハウルロッド侯爵家の次期当主にそう言ってもらえて光栄だ」


 イザベラの背後で表情を硬くしていたスノウだが、俺の言葉を聞いて相好を崩した。


「お嬢様がここまで心を開かれるとは珍しい……」


 イザベラは嬉しそうにそう口にしていたが、ハッと表情を一変させ、スノウを守るように彼女の前に出た。


「い、言っておくが、平民の身でお嬢様に手を出そうと思うなよ!」


 ブンブンと腕を振り、指先を俺へと向ける。


「何を言っているのイザベラ!?」


 スノウが愕然とした表情でイザベラを見る。

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