第28話

「えっと……〈王の彷徨ワンダリング〉って……〈夢の主〉が〈夢の穴ダンジョン〉奥地から出てきて、内部の徘徊を始める現象ですよね? 今の泣き声、〈夢の主〉のものなんですか?」


 ルーチェが俺へと不安げに尋ねる。


 ルーチェも〈王の彷徨ワンダリング〉については知っていたらしい。

 冒険者全員が知っておかねば大変なことになる知識なので、当然といえば当然だが。


 〈夢の主〉は〈夢の穴ダンジョン〉の心臓であり、通常は奥地に引き籠っていて動かない。


 だが、例外的に〈夢の穴ダンジョン〉奥地から出てきて、内部を歩き回ることがある。

 それが〈王の彷徨ワンダリング〉である。


 発生条件はいくつか存在するが、最も多いのは冒険者が〈夢の主〉へと挑み、ほとんどダメージを与えられずに逃走した場合である。

 〈夢の主〉は逃げ出した冒険者を追って奥地から飛び出し、しばらく〈夢の穴ダンジョン〉内を徘徊するようになる。


 今回も恐らく同じことだ。

 実力の及ばない冒険者が無理をして〈夢の主〉へと挑み、まともにダメージを与えられずに敗走したのだろう。

 もっとも〈天使の玩具箱〉の主は少し特殊であり、前情報と準備なしでダメージを与えることが困難であるため、〈マジックワールド〉でも〈王の彷徨ワンダリング〉の発生率が高かった。

 情報共有の薄いこの世界では尚更の話だ。


 〈王の彷徨ワンダリング〉については、冒険者ギルドでも注意喚起しているのを耳に挟んだことがある。


 俺も厄介な事態を引き起こしてくれた……とは思うが、冒険者達の認識不足のせいだとは一概にいえない。

 この世界とゲームの世界では情報量が違い過ぎる。

 迷惑なことには変わりないが。


「間違いない、今の赤ん坊の声は〈天使の玩具箱〉の主のものだ」


「ま、まずくないですか? ここの〈夢の主〉って、かなりレベルが高いんですよね? 完全攻略の推奨レベルが五十でしたし……」


「いや、実はそこまでまずくはないんだ。確かに対応を誤ると面倒なことにはなるがな」


「え……そうなんですか?」


 ここの〈夢の主〉の移動速度はそこまで速くない。

 素早さに秀でたルーチェであれば、袋小路にでも入り込まない限り、今のレベルでも余裕で逃げ切れる。

 

 重騎士である俺は少々怪しいが、こういうときの逃げ方も、〈夢の主〉の性質も熟知している。

 まず追い詰められるようなことはない。


「声とは別方向に逃げつつ、出口を目指す。〈王の彷徨ワンダリング〉時の〈夢の主〉も、〈夢の穴ダンジョン〉から出ることはしないんだ」


 そう、それだけの簡単な話だ。

 別に特別厄介なイベントであるわけではない。

 冒険者業はできることを全部やっているつもりでも、予想外の難事が舞い込んでくる。

 〈王の彷徨ワンダリング〉くらいで済んでよかったというものだ。


 そこまで急がなくてもいいくらいなのだが、何があるかはわからない。

 魔物に囲まれでもしたら追い付かれかねない。

 俺達は早速踵を返し、来た道を引き返すことにした。


 だが、すぐに雷鳴のような轟音と共に、人の悲鳴が響いてきた。

 俺は思わず立ち止まり、音の方を振り返っていた。


 曲がり角の先から、男女二人組の冒険者が姿を現した。

 二人共血塗れで深手を負っているのは間違いない。

 女の方は意識が朦朧としているらしく、相方が彼女の肩を担ぎ、半ば引き摺るように歩いていた。


「助けてくれっ! と、突然、これまでとは桁外れの強さの魔物が出てきて……!」


 どこか甘く考えていた。

 これはゲームではない。

 この〈王の彷徨ワンダリング〉で、きっと何人も死者が出ている。


 ここで逃げれば、目前の二人は間違いなく命を落とすだろう。

 あんな状態で逃げ切れるわけがない。

 ゲーム知識のある俺には、それが簡単にわかった。

 そして俺には、彼らを助けられるだけの知識と力がある。


『我々貴族は、平民共よりも遥かに偉い。贅を尽くし、当然なのだ。何故かわかるか? それは我々が、大きな力と……そして領地と民を守るという使命を持っているからだ』


 父親の言葉だ。

 別に今となっては、彼を盲信しているわけでも、尊敬しているわけでもない。

 情がなく、頭が硬く、横暴で身勝手な男だ。


 だが、あの言葉だけは心に残っている。

 〈加護の儀〉のことも、貴族としての使命を優先した結果なのだと思えば、許せないまでも理解はできる。


 そして俺も、腐っても貴族の端くれなのだ。

 転生者として前世の記憶がある。

 だが、エルマ・エドヴァンとして十五年……エドヴァン伯爵領を守る次期当主として生きてきたのも、間違いなく俺なのだ。


 父からは、俺にその力はないとして、家から捨てられた身だ。

 しかし、自分にその力はあると……俺はそう信じている。


 今更次期当主に戻りたいわけじゃない。

 父を見返してやりたいわけじゃない。

 ただ、それでも、信じてきた誇りと矜持までは捨てたくなかった。


「……ルーチェ、悪い。俺が魔物の気を引くから、二人を助けながら外まで案内してやってくれないか?」


「それは構いませんが……で、でも、ここの〈夢の主〉は、推奨レベルに近い【Lv:50】前後なんじゃないんですかぁ? さすがにエルマさんでも……」


「敵の性質はわかってる。ちょっと気を引いてから逃げ切るくらい、俺単体ならできることだ。元々重戦士は、敵を引き付けるのが基本的な戦闘スタイルだからな」


 俺は言いながら、負傷している二人の許へと駆けた。

 俺の後をルーチェが追う。


 二人の背を追うように、奇妙な姿の魔物が現れた。


 黒い帽子を被り、赤い軍服に身を纏う。

 手には短剣を有しており、大きなラッパを背負い、革のベルトで身体に太鼓を固定して……と、随分と派手な格好をしている。


 目の代わりにバツ印があり、鼻が高く、コミカルな顔付きをしている。

 そして全身につるりと光沢があった。

 〈マジックワールド〉のときとまるで変わらない。


「おでましか……ブリキナイト!」


 刃と身体が、返り血で濡れていた。

 既に一人以上奴の犠牲になっていることの証だった。


「俺が時間を稼ぐ! 俺の仲間がここから出口までの道筋を知っているから、あいつに教えてもらって逃げてくれ!」


 俺は二人と擦れ違いながら、彼らへとそう言った。


「す、すまない……ありがとう、本当に!」


 男が俺へと頭を下げる。


 俺は剣を抜き、向かってくる魔物……ブリキナイトへと刃を構えた。


――――――――――――――――――――

魔物:ブリキナイト

Lv :40

HP :21/47

MP :31/31

――――――――――――――――――――


 ……なるほど、HPは削れている。

 最悪よりはマシってところか。


「エルマさん! 確かに強い魔物ですけれど……相手は弱っています! きっとアタシでも、力になれると思うんです! 二人で倒しましょう!」


 ルーチェが俺に並び、〈鉄石通し〉をブリキナイトへと構える。


「……いや、倒すのは無理だ。ルーチェ、逃げてくれ」


「で、ですが……!」


「ブリキナイトはな、〈夢の主〉の本体じゃないんだ。ただの手足みたいなもの……すぐに本体が来る」


 俺がそう口にしたと同時に……先頭のブリキナイトに続き、二体のブリキナイトが姿を現した。

 ブリキナイトは動かないバツ印の目を俺達へと向ける。

 なぜかその顔は、冷たく笑っているように感じた。


 ルーチェは三体のブリキナイトを前に蒼褪めた。


「嘘……【Lv:40】が、三体……」


「ちょっと時間を稼いだら、すぐに後を追いかける」


「ダ、ダメですようっ! こんなのエルマさん一人に任せて、アタシだけ逃げられるわけが……! だってエルマさん、アタシを仲間にしてくれるって……!」


「はっきり言わないとわからないか? 足手纏いに気を遣って戦えるほど、ヤワな相手じゃないんだよ。邪魔になる」


 俺が言うと、ルーチェはぐっと口を閉じた後、俺へと頭を下げた。


「……そう、ですよね。ごめんなさい」


 そう言い残して、ルーチェは逃げた二人と同じ方へと走っていった。

 

「すぐ……追い付いてくださいね、エルマさん」


 俺はその言葉に、振り返らずに小さく頷いた。

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