第32話 6月13日(日)

 どんよりとした空模様は嫌いじゃない。家の中にいるのは自然になるから。

 でも、これからわたしは、あかりは真夏みたいな明るい女の子にならなければならない。

 それが演じるということで、みんななが、米倉よねくらくんが求めるあかりだから。


「おっはよーございまーす!」


「お疲れ様。今日も元気だね」


「天気が悪いからこそテンションを上げていかないとって。あと今回は内田先輩のライブに行った話ができますし」


「ああ、そっか。関係者席で入れたんだっけ? 僕も内探の作家してるふるかわくんに誘われて行ったよ」


「え? 元坂もとさかさんもいたんですか?」


「お互い気が付かなかったね。入口入って左側の席でさあ、内田さんのウインク可愛かったな~。まさか関係者席にまでサービスしてくれるなんて思わなかったよ」


「あず……内田先輩のウインク見れたんですね。席近かったかもです」


 あのウインクが自分にだけ向けられたものだとは思っていない。視線が一瞬絡み合った気はしたけどあれだけ大勢の人がいれば同じような気持ちになった人は当然いる。


 米倉よねくらくんだってあかりんイチオシって言いながらもあのウインクには心惹かれてたんだし。


「近くにいたなんて気が付かなかったよ。春町はるまちさん変装うまい?」


「万が一にもバレたら大変って思ってだいぶ地味な格好で行きました。いつか人気声優になった時の練習みたいな?」


春町はるまちさんらしいね。デビュー作が内田さんと共演だしその心意気は大事だと思うよ。気持ちはすでに人気声優だ」


「そこは素直に人気声優って言ってくださいよ」


「いやあ、内田さんのあの勢いを見ると……」


 元坂もとさかさんは腕を組んでわざとらしく悩むポーズを取る。

 春町はるまちあかりはこういうイジり方をしても良い。


 そんな風に思ってもらえるのは大歓迎だ。

 あかりのキャラ作りがうまくいっている証拠だと感じられて嬉しい。


「ごめんごめん。春町はるまちさんは内田さんと肩を並べる人気声優だ」


「むぅ。さすがに武道館声優と同列っていうのは見え見えのお世辞で萎えるんですけど」


 あかりはあかりでわざとらしくむくれて拗ねてみせる。

 普段のわたしなら絶対にしない。

 今日も台本ではない自然な春町はるまちあかりを演じられている。


「お世辞じゃないさ。メールも着実に増えてるし少なくともラジオでは対等だと僕は思ってる」


「マジですか! あかり、今週も頑張ります!」


 元坂もとさかさんはおだて上手だ。

 ただ褒めるだけじゃなくてイジってから持ち上げる。

 アメとムチじゃなくてアメとアメなんだけど、酸っぱいアメと甘いアメみたいな、あかりの気分が落ちない工夫をしてくれる。


「でも内田さんのライブ話に終始するのはダメだからね。あくまでもここは春町はるまちさんの番組なんだから」


「えっ……3時間のライブを1クールかけてじっくり語るんじゃないんですか?」


「内田さんの番組よりも語ってるねえ」


「それくらいの価値がある素晴らしいライブだったじゃないですか」


「うん。それは認めるよ。その気持ちは公開録音の時に楽屋で本人に伝えようか。なんと春町はるまちさんは持ち時間無制限だ」


「さすがに公私混同はちょっと……」


「ラジフラを1クール内田さんのライブの感想にしようとしたのは違うのかな?」


 さすがに1クールは冗談としても今回分は丸々ライブの感想でも良いと思っていた。関係者席に向かってウインクとか内田先輩のファンを公開録音前に惹きつけるのにも打ってつけだと思うし。


「さ、今回の収録は長くなりそうだ。いざとなったら僕が無理矢理にでも止めるから」


「あかりを暴走する兵器みたいに扱わないでくださいよお」


「スプリングスノーは後半で暴走してたじゃないか。あ、じゃあそれを止めようとする僕はサマーメイプルか」


元坂もとさかさん内田先輩を汚さないでください」


 わたしは冷たく言い放った。

 春町はるまちあかりの声を作らず学校で発する声に近いトーンで。

 初主演で初共演の思い出でけはイジってほしくなかったから。


「ごめんごめん。ま、春町はるまちさんが伝えたい想いを時間内に収めてくれればいいだけの話だから」


「わかってますよ。もう。元坂もとさかさんが内田先輩の代役を務めようとするからですう」


 さっきのマジトーンもあくまでも声優ならではの声色ネタという方向にもっていく。あかりの明るくて奔放なキャラは便利だとつくづく感じる。


「より。それじゃあよろしくお願いします。まず一通りメールチェックしましょう。今回はライブの感想もあるからふつおたは少なめにする?」


「うーん。ざっと見た感じ公開録音への期待も多いからちゃんと読みたいです。前半がライブの感想で後半がふつおたでもライブの比重が大きいです?」


「コーナーは飛ぶけど……ま、いっか。意外と感想が簡潔にまとまったらコーナーをやる感じで」


「ふふ。コーナーを飛ばすならアリと……」


「あっ! しまった」


 そこまでしまったという雰囲気を放たず元坂もとさかさんは頭を抱えた。

 こうなることはお互いに想定済みで、意見をすり合わせたに過ぎない。


 だけどこういう小さなすり合わせが本番では一番大切なこと。

 ちょっとした違和感はやがて大きな歪みになって現れる。


 それは理解しているのに、わたしはウソにウソを重ねている。

 だんだん自分が悪い女のような気がしてきた。


元坂もとさかさんこのメール読みたいです。すごいですよ。あかりが内田先輩のライブに行ってるんじゃないかって予想してます」


「関係者席のメンツを予想するとはね。導入としても自然だし採用しようか」


「はい。お願いします」


 そんな感情はおくびも出さずしっかりと仕事をこなせるのは、春町はるまちあかりを演じているかだと思う。

 素のわたしならきっと恋と仕事の狭間で悩んで沼にハマっていた。

 

 あかりのお喋りを好きな人が喜んで聴いてくれる。

 そう考えると、春町はるまちあかりの声が少しだけ高く設定された気がした。


 米倉よねくらくんが恋してる春町はるまちあかりは、今日もちゃんとイチオシ声優でいられるように頑張ってるよ。

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