第31話 6月9日(水)

―みなさん、こんばんは。武道館ライブを無事に終えた……はずの内田杏美うちだあずみです。以前からお知らせしている通り今日の放送までがライブ前に収録している分になります。リスナーのみんなはもう武道館ライブを終えてるんだよね? ああ、成功してますように、楽しんでもらえてますように。


 水曜日の21時は『内田杏美うちだあずみの探偵事務所』の時間だ。

 オーディションに合格して声優になってからはラジオトークの勉強目的で聴くようになってしまったけど、最近は米倉よねくらくんをわたしの幼馴染という設定にして恋愛相談を送ったり、今日は武道館ライブ直後ということもあり純粋にファンの立場でこの時間を待ち望んでいた。


 ♪ぴろりん


 番組の開始と同時にスマホから通知音が鳴った。

 最近、同じ声優ファンの友達できたのでこの音にも耳が慣れてきている。


“緊張してるあずみんも守ってあげたくなる。好き”


 メッセージの送り主はその友達の一人である真実まみちゃんだった。

 10歳も年下の女の子に守ってもらいたいと内田先輩が思っているかは置いておいて、いつも現場でわたしを、春町はるまちあかりを引っ張ってくれる先輩の声色から緊張が伝ってくるのはなんだか新鮮だ。


“武道館ライブが大成功してるってわたし達は知ってるから尚更かも”


 わたしが声優をやっていることは先生にしか伝えていない。

 たぶん、卒業してからも自分から言うことはないと思う。


 顔が似てるとか、声が似てるとか、あるいは人気が出て過去を暴かれるとか、そういう形になってしまう気がする。


―今日の放送ってみんなどんな気持ちで聴いてるんだろ。ライブが無事に終わって、私だけが緊張してて笑ってるのかな。そうであってほしいなあ。武道館が成功するなら私はピエロでも何でもなる!


「ふふ。あずみんらしいな」


 大きな目標のためなら細かいことは気にしない。ただ可愛いだけでなくこういう豪快なところが女の子人気が高い理由だ。


 わたしもこんな風になれたら良いなと春町はるまちあかりの性格を作っているけど、根っこの部分はわたしなので二の足を踏んでしまう。


 米倉よねくらくんはあかりんが武道館に立ったら嬉しいと言ってくれた。そのためにはまずアーティストデビューをしなければならない。

 その話が舞い込んだ時、わたしは、あかりは前向きな気持ちで受け入れられるだろうか。


―CDデビューしかてから5年経つんですけど、まさか自分が一人で武道館のステージに立つなんて思ってなかったなあ。1回か2回主題歌を歌って、それで終わりだと思ったらありがたいことに好評で、この緊張はみんなのおかげです。


 ♪ぴろりん


“緊張がアタシ達のおかげでって感謝されてるのかしら”


“あずみんなりの照れ隠しの感謝かもね”


“同じ照れ隠しでも音弥おとやとは雲泥の差だわ。あずみんのはツンデレみがあって良き”


米倉よねくらくんだって心の中で喜んでるじゃないかな?”


 真実まみちゃんはわたしの後押しがなくてもきっとアピールを続ける。あとはそれを米倉よねくらくんが素直に受け止めるかどうかの問題。

 

 押してダメなら引く。あずみんのライブで真実まみちゃんはそれに近い行動を起こした。わたしが米倉よねくらくんを誘ったせいであまり引けなかったかもだけど、真実まみちゃんもしっかり戦略を練っている。


―いつまでも緊張でガチガチになってるわけにもいかないのでお便りを紹介します。ラジオネームぼっちのグルメさん。ありがとうございます。えーっと、ウソこれ、ハッハッハ。あずみん、武道館ライブお疲れ様でした。まさか一曲目があれとは思いませんでした。ライブ中にはあんな行動もするし、最後は感動のあまり視界が歪んでしまいました。


「ふふ。すごくふわっとした感想」


―すごいねこれ。まとめ録りを予想して中身のない感想メールを送ってくれましたね。しかもだいたい合ってるっていうね。ふわっと、こう、間違いは書いてないみたいな。でも、ちゃんとした感想メールもください。お願いします。


 ♪ぴろりん


“これは一本取られた。ライブの感想メールでこんな技があるなんて”


“次は同じことをする人が増えるから全スルーされるかも。もしかして真実まみちゃんもメール送ってるの?”


 既読が付いてもなかなか返信が来なくなった。

 ラジオネームを知らせるのがイヤなのかな?

 わたしもちょっとウソが混じった相談メールを送ってるからラジオネームは知られたくないから気持ちはわかる。


―私ね、いただいたお便りは全部読んでるですけど、たまに作家さんが隠すんですよ。今みたいなメールを。だから油断も隙もなくて。メールのサプライズは作家さんが成功の手助けをしてくれるのでこれからもみんなからの挑戦を待ってます。


“挑戦を待ってるって。わたしも送ってみようかな”


 すでに何度かメールを送った経験があるのに、まるで未経験のような言葉をスマホに打ち込んで送信した。


 声優であることを隠し、ラジオネームも隠し、どんどんウソが積み重なっていく。


“アタシも挑戦してみるわ。音弥おとやと岸田くんも誘ってみんなでサプライズよ!”


“誰のが読まれるか勝負だね”


―結婚報告とか、ライブがきっかけで付き合い始めたとか、そういう報告も待ってるからね。私のことは気にしなくていいから。当探偵事務所はみんなの幸せを願っています。


 ♪ぴろりん


音弥おとやとの既成事実を送ってみようかしら”


 もしそんなメールを送って放送で流れたら米倉よねくらくんはどんな反応をするだろう。

 本気で怒る? それとも、真実まみちゃんに押し負けて付き合う?


 さらっとこんなことが言える距離感。わたしは真実まみちゃんと米倉よねくらくんから漂う夫婦感に太刀打ちできない。

 だから早く二人に付き合ってほしいのに、米倉よねくらくんは春町はるまちあかりへの想いをどんどん加速させている。


 文字を打っては消し、打っては消しを繰り返してようやく送信をタップした。


“さすがに怒られるからやめた方がいいよ”


“あずみんにウソをつくのもよくないよね。ありがと。思い止まった”


 わたしは真実まみちゃんを止めた。

 そして、彼女の返信に胸がチクりと痛む。


 米倉よねくらくんと真実まみちゃんが付き合い始めればわたしはこの気持ちを諦められるはず。

 諦める方法はわかっているのに最後の一手を打てない。


 わたしは友達にウソをついている。

 春町はるまちあかりであることを隠している。


 その春町はるまちあかりも、こんなにも声優としての自分を認めてくれる米倉よねくらくんが好きになっている。


 こんな複雑な状況を内田先輩ならどう解決するだろう。

 先輩にだって好きな人はいたはずだ。

 

 でも、恋愛関係の噂話は一切聞かない。

 バレていないのか、はたまた恋愛はしないと自制してきたのか。


「好きな人が自分以外の人と付き合ったら諦められると思いますか?」


 春原優希でも、春町はるまちあかりでもなく、スノー原という自我がどこにあるのかわからなくなっているラジオネームを使って、わたしはまたウソの相談を送信した。

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