第21話 6月6日(日)待ち合わせ

 梅雨入りが近いと言われている空はどんよりと曇っている。強力な晴れ女と呼ばれているらしいあずみんも梅雨前線には勝てなかったようだ。


「蒸し暑いなあ」

 

 自然とそんな愚痴がこぼれくらい秋葉原駅は湿気と大量の人で蒸し風呂のようになっていた。

 僕も春原すのはらさんも秋葉原に詳しくない。空調が効いた屋内に避難したいけど、その避難先をうまく文字で伝えられる自信はない。


 だから蒸し暑いのを我慢して当初の予定通り改札前で待つのが一番良いんだ。


「心頭滅却すれば火もまた涼し」


 誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいてそっと瞳を閉じる。

 構内を行き交う大量の人が蒸し暑さを助長するならば視界からの情報をシャットダウンすればいくらかマシになるはず……。


 なりはしなかったけど、女子と二人きりで秋葉原巡りというシチュエーションで上がった心拍数を落ち着けるにはちょうどよかった。


「米原くん……?」


「はっ!」


 一瞬、あかりんに名前を呼ばれたのかと思った。落ち着いたはずの心拍数が一気にあがり血液が全身を勢いよくめぐるのがわかる。


「大丈夫? 具合悪いの?」


「違うんだ。暑さに打ち勝つために精神統一を」


「ふふ。米原くんおもしろい」


 僕の目の前にいるのは間違いなく最近友達になった隣の席の春原すのはらさんだ。


「もしかして今日はあずみんのイメージカラーを意識した?」


「う、うん。実は」


 あずみんのイメージカラーであるオレンジ色のロングスカートにブラウスというちょっと明るめなファッションが意外だった。


春原すのはらさんを見たら本当にあずみんのライブに行けるんだって実感してきた」


「逆に米倉よねくらくんの恰好がふつうすぎるんだよ」


 対する僕はと言えばチノパンにチェック柄のシャツという面白みのないファッションだ。僕一人なら何でもないけど隣を歩く春原すのはらさんに申し訳ない気持ちになる。


「アニメショップが開くまで少し時間があるから、米倉よねくらくんがよければライブに合った服を買いに行かない?」


「それはありがたいけど春原すのはらさんはいいの? つまらなくない?」


「ううん。でも米倉よねくらくんがそんな風に言うなら、ふふ、わたしのコーディネートには絶対服従なんてどうかな」


「……お財布に優しければ」


「安心して。そういう高いのは選ばないから」


 長い前髪が初夏の風に揺れる。教室では垣間見ることのできない春原すのはらさんの表情はあかりんを彷彿とさせた。


「なんか今日の春原すのはらさんテンション高いね」


「へ、変かな?」


「ううん。なんだか真の自分を解放してるみたいで良いなって思って」


「なんか表現が中二臭い」


「僕らはそういう人種でしょ?」


「うーん。一緒にされるのはちょっと……」


 わざとらしくイヤそうな顔を作りつつ口元は笑っていた。真実や岸田以外のオタク友達は春原すのはらさんが初めてでそれも女子ときている。

 ちょっと……いや、かなり緊張して今日という日を迎えたのは杞憂に終わりそうだ。


「さ、早く行こ。今日はやりたいことがたくさんあるんだから」


 空はどんよりと曇っているのに、なぜか青空の草原で春原すのはらさんが僕の手を引いて走るシチュエーションが頭に浮かんだ。

 

 声そのものが良いだけでなく発声や発音の仕方がまるで声優さんのように感じる時がたまにある。

 春原すのはらさんが望むならぜひ声優の道に進んでほしいくらいだ。


「走らないで春原すのはらさん。ライブまで体力が持たない」


 自分達と同じく体力がない側の人間だと思っていた春原すのはらさんが意外にも機敏な動きを見せて驚いてしまう。

 もしかしたら今日という日は彼女の新たな一面をたくさん見られる日になるかもしれない。

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