第19話 6月2日(水)昼

 あずみんのライブまであと4日。水、木、金と授業を乗り切って土曜日に準備をすれば翌日には本番当日だ。否が応でもソワソワしてしまう。


岸田きしだは結構落ち着いてるのな」


「うん?」


「いや、今週末はあずみんのライブだろ。それなのに平常心を保ってるなって」


「もちろん楽しみだよ? でも俺のイチオシはるいたんだし、今回は保護者みたいなもんだし?」


「保護者って……真実まみと一緒に行くならその気持ちはわからんでもないけど」


「それより米倉よねくらのソワソワは本当にライブなのか? 俺が天海あまみさんと一緒なのとか、春原すのはらさんと連番なのが理由なんじゃないの?」


「違うから。…………すまん。全否定はしない。女子と一緒っていうのは緊張してる」


「んふふ」


「なんだよ気持ち悪い」


 さほど緊張している様子のない岸田きしだは他人事のように気持ち悪い笑みを浮かべてとても楽しそうにしている。

 

 真実まみと一緒なら向こうが勝手にペラペラと喋るからどんなコミュ症でも自然と時間が過ぎていくし、一年近い付き合いだから気が楽なのは想像が付く。


「お、天海あまみさん」


「にひひ。可愛い幼馴染参上!」


 なぜそんなポーズを取るのか理由は不明だけど、足を肩幅に広げて腕を組んでいる。自分を戦隊ヒーローかなにかだと勘違いしているのだろか。


岸田きしだに用か? 邪魔ならどくけど」


「ん~。岸田きしだくんはもちろんだけど音弥おとや優希ゆきちゃんにもかな。優希ゆきちゃんは?」


「さあ? トイレじゃないか?」


 春原すのはらさんは僕らがオタクトークをしている横で大人しく本を読んでいる印象しかない。友達になって早々に中間テストが始まって席は離れ離れになったし、この前ライブチケットを譲ってもらったのが最後の会話だったりする。


 一緒にライブを見に行く友達なんだからもっと積極的に絡まないといけないと頭ではわかっていても女子に声を掛けるきっかけがつかめず今に至る。


音弥おとや優希ゆきちゃんと一緒に行くんでしょ? よかったわね。アタシ達がライブの話題で盛り上がってる時に仲間外れにならなくて」


「それは、まあ……。持つべきは幼馴染じゃなくて友達だな」


「むぅ……」


 たまたま友達からチケットを譲ってもらっただけで幼馴染と友達に上も下もない。特に僕の場合はどちらに対しても恋愛感情を抱いてないのだからなおさらだ。


 それなのに今回たまたま岸田きしだをライブに誘った真実まみに対して悪態を付いてしまう。


「まあまあ。たまにはいいじゃん。結果的に4人で行くようなもんだしさ」


「あ、優希ゆきちゃん」


真実まみちゃん。久しぶりだね」


「にひひ。優希ゆきちゃんだって隣のクラスに遊びに来ていいんだからね」


 この学校に他のクラスの教室に入ってはいけないなんて校則は存在しない。だから真実まみの許可を取る必要もないし、春原すのはらさんの意志で隣のクラスに行くのも自由だ。


 だけど真実まみはわかっていない。自分のクラスですらちょっと居づらいやつが簡単に他のクラスに足を踏み入れられないことを。


「う、うん。今度ね」


 ほら、春原すのはらさんが困ってるじゃないか。こういう子に対しては真実まみみたいな遠慮のないやつがズケズケと他のクラスにやって来てくれる方が助かるんだ。


「さて、これであずみんのライブに行く4人が揃ったわね」


「そうだな。席はだいぶ離れちゃってるけど」


 春原すのはらさんはお父さんの仕事の関係でもらったチケットなので関係者席に近い場所だ。1階の奥の方でちょっとステージからは通そうだけど参加できるだけでもありがたい。


「にひひ。アタシ達は2階だけどステージにめちゃくちゃ近いのよ。絶対にあずみんと目が合うわ」


「それは素直に羨ましい。けど、間違っても奇声を発するなよ?」


「発しな……い保証はできないけどライブを壊さないように善処するわ」


 マイペースで自由な人間ではあるものの内田杏美への愛は本物だ。だから僕も本気で奇声を発する心配をしているわけではない。信じてるぞ真実まみ


「こほん。アタシのことはどうでもいいの。せっかくだからそれぞれ待ち合わせ、その後に4人で合流するのってどうかしら?」


「ん? 一度僕と春原すのはらさんだけで待ち合わせするってことか?」


「そうよ。アタシは岸田きしだくんと待ち合わせするの。にひひ。可愛い幼馴染が寝取られる気分はどう? 興奮する? 嫉妬しちゃう?」


「寝取られてねーし自分で言うなバカタレが」


「ふふ。米倉よねくらくんと真実まみちゃんって仲が良いんだね」


春原すのはらさん。こいつの言うことは真に受けない方がいい」


 あと寝取りの話題で笑わないで。なんとなく春原すのはらさんには不倫とか寝取りとかと無縁な存在であってほしい。


「そうかな。こんな冗談が言えるなんてすっごく仲が良いんだなって伝わってくるよ」


「でしょう? こんなに可愛い幼馴染に好かれてるなんて音弥おとやの人生ってSSRよね。それなのに手の届かない声優にガチ恋しちゃって」


「届かないと思って諦めるのが一番カッコ悪いんだぜ?」


「ほらこの調子。本当に残念な幼馴染でアタシじゃなかったら見捨ててるわね」


 まるで自分が聖人かのように自信満々に胸を張る。声優にガチ恋している男と友達でいてくれているのは感謝してる。だからこそ、早いとこ幼馴染だからという理由だけで恋人関係を勧める風潮を終わりにしたい。


「でも、そしたらわたしと米倉よねくらくんが待ち合わせするのは真実まみちゃんから寝取ったことになるのかな?」


「にひひ。優希ゆきちゃんも言うじゃない」


「だから女子がそういうこと言うな!」


 真実まみの口から出る寝取りと春原すのはらさんの口から出る寝取りは同じ言葉でも重みが違う。春原すのはらさんの声だと妙なリアリティがあって心臓によくない。


「なによそれ。男女差別?」


「そういうんじゃないけどさ……なんとなく」


「今みたいな発言は聞く人が聞いたら炎上案件だから気を付けるのよ」


「……はい」


「ふふ。真実まみちゃんと米倉よねくらくんって姉弟きょうだいとか親子みたいなところあって本当にお似合って感じ」


「そうなんだよ春原すのはらさん。試しに一度付き合ってみればいいのにな」


「バカタレ。そんなことしたらあかりんに対して不誠実だろ」


「はいはい。そうですね」


 僕とあかりんはまだ正式に付き合っているわけではない。でも、運命の相手でこれから交際、果ては結婚まで見えているのだから他の女の子、特に真実まみみたいな幼馴染とは距離感に気を付けなければならない。


「とにかく当日はそれぞれの組で待ち合わせしましょう。にひひ。アタシが岸田きしだくんとどんな風に過ごすか気にするといいわ」


「いや、そんな気にならんけど。迷子にはなるなよ」


「とりあえず合流するのは開演の1時間前でいいか? せっかくだから武道館の前でみんなで集まりたいし」


「そうね。開演が18時だから17時に武道館の前に集合。それまではそれぞれの組で自由に過ごす。にひひ。楽しみだわ」


「ごめんね春原すのはらさん、真実まみが強引で」


 真実まみの強引さとそれに乗っかる岸田きしだがどんどん話を進めていく。そこに僕を加えた今までの3人組ならそれで良かった。でも今は春原すのはらさんも仲間に入っている。

 さすがに呆れられていないかちょっと顔色を伺ってしまう。


「ううん。こんな風にみんなでお出かけとか初めてだから楽しい」


「それなら良かった」


 やっぱり春原すのはらさんの声は素敵だ。はかなげで、それでいてその奥に力強さを感じる。それこそ過酷な運命に立ち向かうことを決意したスプリングスノーみたいな……。


「? 米倉よねくらくんどうかした?」


「あ、ううん。春原すのはらさんって声優さんみたいな声だなって思って。ははは」


「……っ!」

 

 よほど恥ずかしかったのか米倉よねくらさんはうつむいてしまう。長い前髪で隠れた表情がさらに見えにくくなってしまった。


「ごめんごめん。でも、素敵な声だなって思ってさ。声優ファンの習性みたいなものだと思って気にしないで」


 必死な僕のフォローを受けて春原すのはらさんはこくこくとと小さく頷いた。

 声があかりんみたい似ているような気がしたけど性格はまるで反対だ。あかりんだったらきっと全力で僕の誉め言葉を受け止めて喜びを表現するはず。


 こんな時でもあかりんのことを考えてしまうなんて、真実まみの言う通りちょっとガチ恋をこじらせてるかもしれないと反省した。

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