第18話 6月1日(火)深夜

 中間テストの全科目が終わった日。こんな日くらいは勉強を休んでもいいという悪魔のささやきを振り切ってわたしは数学と英語の復習に勤しんでいた。


 春町はるまちあかりとして活動していることは学校には言ってある。元から帰宅部なので授業が終わったあとにアフレコをするのは時間的に問題はなかった。


「今回は日程に救われたなあ」


 ラジフラの収録が残り3科目の最終日前日だったのが幸いした。もしも一週間収録日が早かったら先週のテストがボロボロだったかもしれない。


「6月……!」


 卓上のデジタル時計は日付が変わって6月1日を表示していた。あずみん……内田先輩のライブまで一週間を切っている。


 今後の勉強になるはずだからとマネージャーの深沢ふかざわさんがチケットを用意してくれた。それも2枚も。


 理由を尋ねたら深沢ふかざわさんが他の仕事で行けなくなった分をわたしに、正確にはあかりに託してくれたそうだ。

 でもごめんなさい。このチケットは春町はるまちあかりとしてではなく春原優希として使わせてもらいます。


「バレたら怒られるのかな」


 クラスメイトの男の子を誘うなんて恋愛禁止の女性声優としては完全にアウトな行為だと思う。だけど、春町はるまちあかりとしての交友関係はまだそんなに広くない。明るく振る舞ってはいるけど根っからの人見知りがどうしても壁を作ってしまう。


「これはデートじゃない。デートじゃない」


 繰り返しつぶやいて自分の心に言い聞かせる。

 だって真実まみちゃんと岸田きしだくんも一緒だし、ライブ中は米倉よねくらくんの隣に座ってるけどステージのあずみんに夢中になるだろうし……うん、絶対にデートではない。


 わたしの、そしてあかりの恋愛未経験歴はちゃんと守られる。もし入場の時に関係を聞かれたら米倉よねくらくんをお兄ちゃんってことにしよう。


「お兄ちゃん」


 当日になって違和感がないように試しに声を出して練習してみる。

 引っ込み思案でいつもお兄ちゃんの後ろに隠れるような妹。

 春町はるまちあかりとは真逆の性格で、わたしに近い存在。


「こういうタイプならわたしが春町はるまちあかりだってバレないよね」


 演技になるとつい力が入ってしまってあかりが出てきてしまう。だから出来るだけあかりとは遠い位置のキャラを演じることで誤魔化す。

 

「ふふ。ちょっとドキドキして楽しいかも」


 やっぱりお芝居をすると心が踊る。思い通りに表現できなくてモヤモヤする日もあって楽しいだけではない。でも、この声で自分とは違う人間になれる時間はわたしの人生にとってかけがえのないものだ。


 だからこそ、隣に本人がいると知らずに本気で春町はるまちあかりの演技を褒めてくれた米倉よねくらくんに対して好意を抱いてしまった。


「うう~~~」


 さすがに勉強の集中力も切れてしまいベッドに横たわった。

 クッションを抱いてゴロゴロと転がると睡魔の魔の手が少しずつ伸びてくる。


米倉よねくらくんとライブに行くの、大丈夫な気もするしダメな気もする。ううう~~~」


 もし悪意のある人間に正体がバレてしまったら。そのリスクだけは絶対に0にすることはできない。

 デビューして半年程度の新人声優を追い回すような記者はいないと思う。でもそれはわたしの願望であって確定事項ではない。


 深沢ふかざわさんからも怪しい人物が近くをウロついていたらすぐに連絡するように言われている。

 あかりを守ってくれているからこそ、その信頼を裏切るような行為もしたくない。


「いっそ米倉よねくらくんと真実まみちゃんが付き合っちゃえばいいのに。幼馴染なんだしさ」


 幼馴染なんてアニメの中かラジオにメールをくれるリスナーさんの周りにしか存在しないと思っていた。

 まさかこんな身近に幼馴染がいて、それも声優さんが好きなんてすごい偶然だ。


「……そしたら諦められるのかな」


 米倉よねくらくんと真実まみちゃんが幼馴染から恋人になる。

 その周りを岸田きしだくんとわたしが声優ファンの友達として囲む。


 さすがにクラスメイトの男の子と趣味の話をするくらいなら問題ないはず。

 

「そうだよ。行動した上で、友達として終わらせるって決めたんだ」


 恋愛どころか友達も少ないわたしが幼馴染の背中を押せるかはわからない。だけど、なにか行動を起こしてそれでも二人が恋人にならないのなら、きっと二人はずっと幼馴染のままなんだ。


「うん。ちゃんと諦めが付かないといつまでも悩んじゃう」


 付き合って良いのか悪いのかで言えば、それは絶対に悪いことだ。

 わたしはただの女子高生ではなく、新人声優でもあるんだから。


 米倉よねくらくんみたいに春町はるまちあかりに恋をしている人を裏切ることになってしまう。


 あかりはみんなの夢であり続けるために、わたしの欲望を抑えなければならない。


 演技やトークとは全然関係ないプライベートの恋愛だけど、今の声優とはそういうものだと理解してわたしはオーディションに挑戦して勝ち抜いた。


「あかりが声優を引退したら米倉よねくらくんが悲しむもん。悲しんでくれるくらいの声優にならないと」


 もし米倉よねくらくんが推し変したなんて知ったらわたしは気絶するかもしれない。

 あかりみたいな新人は次々に現れる。

 今はデビュー特需でお仕事をもらえているけど、最終的には実力の世界。


 米倉よねくらくんが好きと言ってくれた演技をいつまでも届けられるように、わたしはこの恋心に決着を付けなければならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る