第15話 5月30日(日)

「おっはよーございまーす!」


 放送局の重い扉を開けてあかりは元気に挨拶をした。

 おはようございますと発したけど時刻は15時を回っている。夕方と言っても差し支えのない時間だ。


「お疲れ様。今日も元気だね」


「はい。2週間に1回のラジオ収録ですから」


 声を掛けてくれたのは放送作家の元坂もとさかさん。無精ひげに赤い丸メガネという若干胡散臭い外見をしている。

 最初の頃は苦手意識があって緊張していたけど、何回か収録しているうちにおもしろいおじさんだとわかった。


「今回は公開録音発表の反響がすごいよ。内田さんのファンからもメールが来てる。さすが内田さんだなあ」


 元坂もとさかさんはメールの束に目を通しながらしみじみと頷く。


ラジフラは隔週更新なので収録は2週間に1度。日頃からたくさんのメールを頂いているように思えてもそれは2週間分溜まっているからだ。


それが今日はいつもの3倍近い厚みになっている。内田先輩のファンが願掛けの意味を込めてメールを送ってくれたんだと思う。


「あ、変な意味じゃなくてね。春町はるまちさんのファンからも熱いメールが届いてるよ。ほら」


 慌てた様子で元坂もとさかさんが一通のメールを差し出した。あかりはそれを手に取り、自然と目に入ったラジオネームに体温が高くなるのを感じた。


「日本に渡米さん律儀だよね。読んでて微笑ましかったよ」


「あはは。本当ですね。気持ちが高ぶりすぎてお礼を送るのが遅れましたって、言わなきゃ気付かないのに」


「そうそう。一応タイムスタンプは載ってるけどさ、作家の僕でもそこは全然気にしないよ」


「でも、こういう風に書いてもらえると本当に喜んでくれたんだなって思います」


「たしか日本に渡米さんって春町はるまちさんと同じ高校二年だったよね。こういう若者が当選してくれておじさんも嬉しいよ」


「高校生でイベント参加って結構ハードル高いですからね」


「ん? 春町はるまちさんも経験あるの?」


「あー、いえ。お金も掛かるし帰りも遅くなるからいろいろ大変だろうなって想像しただけです」


 オーディションを受ける前。一度だけお年玉をはたいて内田先輩のライブに行ったことがある。ちなみに連番者はお母さんだ。お母さんの見守りがあるなら行ってもいいと言われてわたしは迷わずその条件を受け入れた。


 最初はあまり興味のなさそうだったお母さんが終演後には内田先輩にハマっていて、しれっとあずみん呼びに変わっていたのがおもしろかった。


 今にして思えば、あの時にお母さんの心を声優の世界に引き入れておいたのがオーディションを受けるのにプラスに働いたような気がする。


「で、どうする? 日本に渡米さんのメールは紹介する?」


「はい。これだけ熱意のあるメールなら他のリスナーさんも納得してくれると思います」


「うん。僕もそう思うよ」


 当初、公開録音に無料招待の枠はなかった。でも、内田先輩のゲスト発表をしたあとに応募を開始すれば先輩のファンだらけになるかもしれない。反対に、チケットを一通り販売したあとにゲストの発表をすれば先輩のファンから不満が出る。

 その折衷案として普段からのラジフラリスナーを招待することになったのだ。

 ただ、元から座席数は多くないので一組二名様というかえって争いを生みそうな設定になってしまいあかりは内心ハラハラしていた。


「日本に渡米さんが誰を連れて来るのかも楽しみです」


「最近はリスナー同士がSNSで繋がってるから日本に渡米さんのところにオファーが殺到してたりしてね」


「メールには……特に書いてないですね。」


「まさか僕らがリスナーさんにドキドキさせられるとは。この招待席だけは座席番号がわかってるから女の子を連れ込んだらすぐにわかるぞ」


「もしまみまみさんの幼馴染が日本に渡米さんだったらビックリですよ。っていうか、早く言ってくれみたいな」


「ははは。もし幼馴染ならとっくにカミングアウトしてお互いにネタにし合ってるでしょ。あ、でも、公共の放送でいちゃつくようなら僕がメールをボツにするかな」


「それって職権乱用じゃないですか?」


「違う違う。番組の公共性を保つためにだね……」


「ふふ。元坂もとさかさん言い訳が苦しい」


 職権乱用。ある意味ではあかりもこれに当てはまると思う。アニメが好きで、春町はるまちあかりを演じることが楽しくて声優になった。


 だから憧れのあずみんが内田先輩になり、一緒にお芝居をしてラジオもできている。その裏で、わたしは声優ファンである春原すのはら優希ゆきとしてあずみんにメールで恋愛相談をした。


 これだって一般人の職権乱用と言えなくもない。わたしは、あかりは、自分の都合の良い立ち位置をころころと移動している。

 そんな罪悪感をおくびも出さずにあかりは元坂もとさかさんに笑顔でツッコミを入れた。


「まあ、とにかく今回は公開録音への反響が大きかったからふつおたたくさん紹介しよう。読まれたからと言って当選するとは限りませんって注釈も付けて」


「ええ、その注釈いります?」


「いるいる。僕も一人のリスナーだった頃は勝手に当選するって信じてたもん。なんかラジオでメールを読まれるのって運命を感じるんだ」


「へえ~、じゃああかりの運命の人もこの中にいるかもしれないですね」


「一般男性ってやつ? なくはないかもね」


 あかりは声優業を始めてまだ半年程度なので実際に本人からご報告を受けたことは一度もない。でも、一般男性というのが周りいるような大人ではなく、芸能人ではない業界人なんだろなと予想はしている。


 例えば元坂もとさかさんみたいな作家さんも世に顔は知られていないけど声優さんと出会う機会はたくさんある。

 

元坂もとさかさんが担当してきた番組でパーソナリティとリスナーさんが結婚したことってあるんですか?」


 もし日本に渡米さんの正体が米倉くんだったら、それはもう運命だ。だから、あくまでも冗談半分のようなノリで元坂もとさかさんに尋ねた。


「ないね。やっぱりタレントとファンの壁は大きいよ。一般男性はパートナーであってファンではない。いや、ファンだけどちょっと種類というか熱の入れ方が違うのかな。仕事の姿勢とかには惚れこんでるのかもしれないけどさ」


「あはは。そうですよね。あかりがリスナーさんと熱愛発覚したら炎上しそう」


「それは勘弁してくれよ? 作家の僕が仲介したと思われても困るし」


「大丈夫です。こう見えてあかり恋愛初心者ですから」


「初心者だから恐いんだよぉ……」


 メガネの奥の瞳がじんわりと潤っているのがわかった。どうやら本当にあかりが恋愛絡みで何かしでかしそうと心配しているようだ。


 春町はるまちあかりとしては一線を画せても春原すのはら優希ゆきとしては危ない橋を渡っている。どうにか気持ちを抑えようと努力はしているけど、もしこれが爆発してしまったらわたしは……。


 米倉くんが好きなのは声優の春町はるまちあかりであってわたしではない。自分にそう言い聞かせて、あかりのスイッチを入れ直す。


「あかりはあかりのことを好きでいてくれる人、みんなが好きなんです。ある意味浮気症みたいなものですね」


「はは。そんな風に言える間は安心できそうだ」


「でも、本当にみんなを本気で好きになったらどうしよう。何股もかけて炎上もマズいですよね?」


「世の中にはそういうシチュエーションが好きって人もいるし……って女子高生に何を言ってるんだ僕は」


「ホントですよ。元坂もとさかさんってたまに変なこと言いますよね」


「声優さんは変わった人が多いからちょっとずつ色んな悪影響を受けたんだよ」


「悪影響ってあかりからもですか?」


「うん。今とかね」


「ひっどーい」


「って、言いつつおいしいって思ってるでしょ?」


「はい!」


「声優さんはなんでそういうタイプが多いんだよ。作家としては楽だけどちょっと心配になるかな」


「そんな心配されなくてもあかりは正統派JK声優として伸びていきますから」


「ははは。そういうのを自分で言っちゃうのが変わってるんだよ」


 わたしは春町はるまちあかりを演じることで作家さんとのコミュニケーションを円滑に進めた。春原すのはら優希ゆきなら父親くらいの男性とこんなに会話を弾ませられない。


 もちろん、元坂もとさかさんも作家としていろいろパーソナリティであるあかりと話しておきたいというのもあると思う。


 あくまでお仕事。仕事上、会話をしなければ番組作りが進まない。仕事をする春町はるまちあかりはとても魅力的で、プライベートの春原すのはら優希ゆきはなんのおもしろみもないただの声優ファン。


 いつかわたし自身がしっかりと自信を持つために、今は春町はるまちあかりを演じる。

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