第12話 5月25日(火)朝

 世界がいつもより輝いて見える。それはたぶん日差しのせいだけじゃない。

 いつもなら寝不足気味であくびが出る火曜日の朝なのに、今日に限ってはアドレナリンがドバドバ出ているのか目は冴えていた。


「おっはよ音弥おとや。にひひ」


 媚びへつらうような気持ち悪い笑みを浮かべる幼馴染に普段ならツッコミを入れている。だけど、かつてないほどの幸福感に包まれている今日の僕は全てを受け入れ許す。


「おはよう。気持ち悪いくらい機嫌がいいじゃないか」


「当然じゃない。アタシは音弥おとやみたいな幼馴染がいて超幸せよ」


 真実まみはまるで恋人のように体を寄せてくる。冬ならともかくすでに夏のように太陽が輝く5月下旬ではとにかく鬱陶しい。

 それでも僕が幼馴染のスキンシップを拒否しないのは心の余裕が半端ないからだ。


 恋人や伴侶のいる人の方がモテるのは余裕があるからという説を聞いたことがある。要は異性にがっつかない姿勢がかえってモテるというものだ。


 モテたい時にモテたくて、もうモテなくていい状態にモテる。

 人間というのは実に面倒くさい。


「既読が付かないから昇天したのかと思ったわ」


「ある意味当たってるかもな」


「え? アタシの胸が当たってる?」


「当てるものがないのに?」


 僕の腕にまつわりつき胸に押し当てる真実まみ。しかしそこにあるのはただの壁。腕を優しく包み込むものがないので何も当たっていない。


「むぅ~。音弥おとやの今後の人生でこんなチャンスはもうないかもしれないのに」


「見くびるな真実まみ。僕にはあかりんという運命の相手がいる」


「ぷぷ。公開録音に当選したくらいで運命って」


 身長的には見上げているのに態度は完全に見下して真実まみが笑う。


「2週間配信されてるから聞き直してみろ。あかりんは僕のことを覚えていた。そして大量のメールから僕を当選させた。これは完全に運命だろ」


「あーはいはい。それならアタシもあかりんの運命の相手ね。名前を憶えられてて一緒に公開録音に行くんだから」


「……いいのか真実まみ? 今までの僕なら真実まみしか誘う相手がいなかった。でも今は違う」


「ま、まさか……」


「ふふ。そのまさかだ」


 僕の本命はあくまでもあかりんだ。でも、女友達が一人もいない男ではあかりんに相応しくないように思う。高校生らしくしっかり交友関係も広げているのだ。


「岸田くんとそういう関係に……!? やだ、アタシに新しい扉を開かせる気?」


「ちげーよ! 春原すのはらさんだよ。岸田はあかりんに興味なさそうだけど春原すのはらさんはあかりんファンだから」


「にひひ。音弥おとやがアタシ以外の女の子を誘えるのかしら」


「でででできるわ。同じあかりんファンなんだから」


「フラれたらアタシが慰めてあげるから試しに当たって砕けてみれば?」


 幼馴染に煽られて頭にカッと血が上る。

 だけど僕は自分で言ったことを思い出した。


「今このタイミングで誘ったら僕が日本に渡米ってバレるよな」


「そうね。まだ抽選販売の結果は出てないから公開録音に参加が決まってるのは日本に渡米さんだけ」


「友達になって早々になんか自慢みたいでイヤだな……」


「にひひ。やっぱり持つべきは可愛い幼馴染ね」


「自分で可愛いと言えるその精神力は認めてやるよ」


 スプリングスノーと同じ髪型にしてるだけあってそこそこ可愛いのは認めている。だけどそれを口にするのは憚られるので精神面を褒めておいた。

 人間は中身も大切なのだよ。


「いつかタイミングを見計らってカミングアウトしたいわね。にひひ。優希ゆきちゃんの驚く顔が楽しみ」


「実は春原すのはらさんもメール投稿者だったりしてな。それこそ僕らよりもたくさん読まれてるような有名なさ」


「あり得るかも。なんかただならぬ雰囲気っていうか、オーラみたいのを感じたのよね」


真実まみもか。実は僕も春原すのはらさんの声って良いなって思ってたんだ」


「たしかに。ボリュームは小さいけどよく通るのよね。まだちょっとしか話したことないのに耳に残る感じ」


 春原すのはらさんの声に感じたカリスマ性みたいなものはどうやら僕の勘違いではなかったらしい。声優ファンで同性の真実まみもそんな風に感じているのならきっと春原すのはらさんの声は魅力的なんだ。


音弥おとやもアタシみたいに優希ゆきちゃんをネタにしてみればいいんじゃない? もしかした身近な人が日本に渡米なんじゃって気付くかもよ」


「なんか友達を売るみたいで気が引けるな」


「そう? アタシはなんの罪悪感もないけど」


「それは真実まみのメンタルが異常に強くて僕に対する遠慮がないからだな」


「にひひ。まるで夫婦みたいね」


「よくもまあ恥ずかしげもなくそういうことを言えるね」


 客観的に見て真実まみは可愛い女の子に分類されると思う。

 胸はないし子供っぽいところに目をつむれば恋愛経験のない男を自由奔放にひっかき回してくれるのはポイントが高い。


 第三者からすれば僕の人生のSSRを引き当てているんだろうけど、人間というのは隣の芝生が青く見えるものなのだ。


 真実まみというSSR幼馴染が側にいるからこそ、僕は同級生声優にガチ恋したのかもしれない。


「ってなわけで、公開録音はアタシと行くこと。最初から約束してるのはアタシなんだから文句ないわよね」


「はいはい。ないですよ」


 こんな風に適当にあしらうのも傍から見れば夫婦っぽいのかなと思いつつ、僕らは二人並んで初夏の通学路を歩いた。

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