第10話 5月20日(木)昼

 昼休み。ついに作戦決行の時間がやってきた。

 自然に雑誌を落とすところ。米倉よねくらくんに拾ってもらった時のリアクション。春町はるまちあかりに反応するか内田先輩に反応するかの場合分け。声優ファン友達になろうって言う練習。


 授業中に頭の中で何度も何度もシミュレーションした。

 おかげで寝不足なのに居眠りはしなかったけど授業内容はあんまり入ってきていない。


 帰ったらちゃんと復習しないと……。


「んふふ。さて、米倉よねくらくん」


 一緒にお昼を食べるために米倉よねくらくんは椅子を後ろ向きにして岸田きしだくんの机にお弁当を置いた。

 そこまでのいつもの昼休みの光景だけど、一つだけ違うのは岸田きしだくんだ。


 いわゆるゲンドウポーズをして意味深な笑みを浮かべている。


「どうした岸田きしだ。名作アニメにでもハマったか」


「とぼけるな米倉よねくらよ。昨日の内探の続きだよ」


「続き?」


 内探、それは『内田杏美の探偵事務所』の略称だ。米倉よねくらくんも岸田きしだくんも聞いていたみたい。

 もしかしてわたしがスノー原ってバレちゃった?


「世の幼馴染はあまりに鈍感すぎると思わないかね」


「そうだな。スノー原さんの幼馴染とかな」


「はっはっは。まだとぼけるかね」


 よかった。話題の中心はスノー原じゃなくてその幼馴染だ。幼馴染っていうのはウソで本当は米倉よねくらくんのことなんだけど気付かれてないみたい。


「今からでも俺が幼馴染になれないだろうか。こう、記憶を改変して」


「なにを言ってるんだお前は」


「けっ! 生まれた時から約束されたヒロインがいる人生SSR野郎にはわからないだろうな」


「リセマラして引いた初期SSRより追加されたSSRの方が強い。きっと岸田きしだの方が良いSSR人生だぞ」


「くぅ~SSR持ちの男に言われると腹立つ」


 人生をソシャゲのガチャみたいに例えてる時点でどっちもどっちだな~なんて心の声でツッコミを入れると自然に口角が上がってしまった。


 いけないいけない。会話を盗み聞きしてるってバレちゃう。落ち着いて。素知らぬふりをして雑誌を落とすんだから。


 ずっと春町はるまちあかりを演じてきて、それでオーディションに合格したわたしにならできる。演技力はまだまだかもしれないけど、米倉よねくらくんは認めてくれているんだもん。


「それにしても幼馴染は人生SSRっていうのは名言だよな」


「思った。内探って年末になると流行語大賞やってるじゃん? 僕、絶対この発言に投票する」


「たぶんこの言葉は一生覚えてるわ」


 二人が内探の話題で盛り上がっているのを聴いてやっぱり内田先輩はすごいと思った。一生忘れられないような名言をあかりは残せているだろか。

 もちろん炎上とかそういうのではなく、リスナーの心に残るような言葉を。


「俺はるいたん一筋だけどあずみんのトークを聴いていると惹かれるものがあるね」


「おお! 岸田きしだの対象年齢が少し下がった」


「下がってねーわ。るいたんは18歳なんだからむしろ上がってるんだよ」


「ははは。悪い」


 堀川瑠衣さん。わたしが生まれるから活躍しているベテラン声優さん。内田先輩から聞いた話だと、18歳教らしくどんな年下の後輩とも優しく接してくれる天使のようならしい。


 子供の頃に見ていたアニメのヒロインを演じていた人でもあるので、オタクの部分をちゃんと隠していつか現場でご一緒したい。


「んじゃあ、あずみんで対象年齢を上げたついでに、あかりんで対象年齢を下げてみないか?」


「なんだよそれ。詐欺の勧誘かよ」


 岸田きしだくんの指摘に吹き出しそうになった。米倉よねくらくん、それ全然理屈が通ってないよ。あと、布教は嬉しいけどついでで勧めるのはちょっと悲しい。


 なんて悲しんでる場合じゃない。ちょうど内田先輩と春町はるまちあかりの名前が出たこのタイミングこそ雑誌を落としてわたしも声優ファンであることをアピールするチャンスだ。


 机にしまっておいた雑誌を引っ張り出して、自然にそれを米倉よねくらくんの方に向けて投げるように落とす。


 内田先輩と表紙を飾った号が汚れるのは心が痛む。でも、わたしにできる大胆な行動はこれしかない。


 心の中で内田先輩に謝りつつ、わたしは作戦を実行した。


 バサッ!


 値段相応にきちんと製本された雑誌は良い音を立てて床にぶつかった。

 きちんと春町はるまちあかりと内田先輩が肩を寄せ合う写真が見える状態で。


 落下地点も申し分なし。米倉よねくらくんが一番手に取りやすい位置だ。

 あとは脳内で繰り返したシミュレーション通りに会話の選択肢を選ぶだけ。こういうゲームは昔から何度も攻略してきたので自信はある。


「落としたよ」


 机の上にスッと置かれる声優雑誌。

 正体がバレたら炎上必死のアピール作戦。声優ファンは厳しいので男友達がいるだけでも評価が厳しくなる。


 それでもわたしは、自分を一番好きと言ってくれたクラスメイトと仲良くなりたい。わたしは春原すのはら優希ゆき春町はるまちあかりではないんだと自分に言い聞かせる。


「ありがとう。実はわたし、声優さんが好きで」


 気が早るせいで聞かれてもいないことを自分から喋ってしまった。

 これじゃあ近付くと勝手に吹き出しが現れる村人Aだ。


「そうなんだ。アタシもよ」


 ん? アタシ?

 その一人称で冷静さ取り戻したわたしは耳に入ってきた声を解析する。

 ちょっと幼くて生意気で、だけど憎めない可愛いらしい声。


 声優デビューしたらロリキャラで人気が出そうな声の持ち主は、少なくとも米倉よねくらくんではない。もちろん岸田きしだくんも違う。


 いつも教室でうつむいているので顔を上げるのに勇気がいる。

 我ながら、春町はるまちあかりを演じている時はよく堂々と正面を見られるなと感心する。


「この二人ならアタシは断然あずみん派ね。あなたは?」


「えっと……春町はるまちあかり、かな」


 演じるキャラクターに合わせてサイドテールのウィッグを付けた笑顔のあかりと同じように、サイドテールで一点の曇りもない笑顔を見せる女の子。


 そういえばこの前、米倉よねくらくん達と一緒にお喋りしていたようが気がする。


「あかりん推しだったらアタシの幼馴染ね。こいつ、こんなに可愛い幼馴染がいるのにガチ恋してんの」


「自分で自分を可愛いなんて言う幼馴染とあかりんじゃ比べものにならん。出直してこい」


「出直したら音弥も考え直してくれるの?」


「考え直した上であかりんを選ぶ」


 息の合った熟年の夫婦のように楽しそうに話す米倉よねくらくん。幼馴染の女の子だって名前で呼んでるし、アニメと違ってリアル幼馴染は勝ちヒロインなんじゃないの?


「よかったら友達になりましょう。女性声優の女の子ファンって少なくて」


「あ、えと……」


真実まみはこんなだけど根はいいやつだからさ。僕からもお願い」


「こんなだからって何よ。音弥からお願いされる意味もわかんない」


 幼馴染のイチャイチャを見せつけられてわたしの心はオーバーキルされていた。まさか米倉よねくらくんにこんな可愛いらしい幼馴染がいたなんて。


 でも、ちょうど良かったのかもしれない。この子が側にいる限り、わたしと米倉よねくらくんは恋人関係にならない。


 男友達との交友も気を付けないといけないけど、教室で声優さんの話をするくらいならきっと大丈夫。


「うん。よろしくお願いします」


「アタシは天海あまみ真実まみ。隣のクラスだからまた遊びに来るわね」


春原すのはら優希ゆき……です」


「オッケ。優希ゆきちゃんね。アタシのことは真実まみでいいから」


「うん。真実まみ……ちゃん」


 いきなり下の名前で呼ぶことに抵抗はあったけど、相手がちゃん付けで呼ぶのならこちらもそれに応えるのが女子ルールだ。

 こんな風に親し気な呼び方をするのは久しぶりなのでちょっとドキドキする。


「で、何の用だよ。まさか春原すのはらさんの落とし物を拾いにわざわざ隣の教室から来たのか?」


「んー? 何しに来たんだっけ? 忘れちゃった。思い出したらまた来るから。バイバイ優希ゆきちゃん」


 天海あまみさん……優希ゆきちゃんは小さく手を振って台風のように教室を後にした。


「ごめんね春原すのはらさん、騒がしくて」


「ううん」


 優希ゆきちゃんみたいな女の子に憧れてわたしは春町はるまちあかりを生み出したんだもん。ちょっと圧倒されるところはあるけど、理想の自分を見ているみたいで楽しい。


「あの、春原すのはらさん」


「は、はい」


「よかったら俺達とも友達にならない? 結構声優さんのラジオにメール送ってたりしててさ」


 知ってるよ。なんて言えるはずもない。

 もしわたしが春町はるまちあかりと知ったら岸田きしだくんはどんな反応をするんだろう。


 気を遣って表面上だけでも推してくれるのか、はたまた信念を曲げないのか。


 それを考えるとちょっと恐い。

 でも、岸田きしだくんは“俺達”と言った。達の中には米倉よねくらくんが入っている。


 だからわたしは迷うことなく返事をした。

 

「喜んで」


 ほんの少し春町はるまちあかりが顔を出してしまったかもしれない。

 だって、あかりのファンが目の前にいるんだもん。

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