第8話 5月20日(木)深夜

 収録現場で毎週のように会っていたのに、今度も活躍していれば何度でも顔を合わせる機会はあるはずなのに、それでも久しぶりに呼ばれたスノー原という名前にわたしの胸は高鳴っていた。


 日付は変わってもう深夜2時。明日も学校なので早く寝ないと授業中に居眠りをしてしまう。ノートを貸してもらえるような友達はいないので取りこぼすわけにはいかない。

 頼れる人がいないからこそわたしは強くなった。


「内田先輩……ううん、あずみん。わたしのこと覚えててくれたんだ」


 春町あかりとして活動している間はあくまでも尊敬する先輩として接している。うっかりファンの部分が漏れることはあってもまさかスノー原だとは思うまい。


 だから単純に嬉しかった。春町あかりではなく、スノー原として記憶に残っていることが。


「だけど、同じ趣味か……」


 米倉くんが声優ファンなのは隣の席なのでよーくわかっている。わたし自身もアニメや声優が大好きでオーディションを受けたクチなので話は絶対に合う。

 だからこそ、春町あかりという顔を持つわたしは頭を抱えている。


「あかりんって良い声優さんだよね。わたしも好きなんだ……なんて言えないよお」


 早く眠らなければならないのに布団をギュッと抱きしめてベッドの上を転がり回る。動いたせいで余計に目が冴えてしまった。


 この業界は謙虚でありつつも、ある程度の自惚れがないと心が折れてしまう。

 どんなに批判されようが自分は最大限の良い演技をした。


 そういう思考にならないとやっていけないとマネージャーも深沢さんから言われている。


 だけど、そうは言ってもまるで自画自賛しているみたいで恥ずかしい。

 万が一にも正体がバレようものなら過去の発言を掘り起こされてステマ声優なんて呼ばれてしまうかも。


「あずみんのことは好きなのかな」


 わたしと……ううん。あかりとダブル主演の内田先輩。先輩が演じるサマーメイプルは露出の多い魔法少女なのに恥ずかしがり屋ですぐに真っ赤になる女の子。


 普段は大人しい雰囲気なのに、吹っ切れて戦闘モードになるとイケメン化してスプリングスノーを助けてくれるギャップが人気を集めていた。


「それでも米倉くんはあかりを選んでくれた」


 実際、サマーメイプルの方が内田先輩効果も相まってかなり人気があったらしい。ダブル主演じゃなくてサマーメイプルをメインに据えた方が良かったなんて話も耳に入ってきた。


 それでもいつも元気で前向きなあかりを演じたおかげで、あかりはアニメの収録を乗り越えてラジオも任されている。


「内田先輩をきっかけに春町あかりに話題を持っていく……うぅ、男の子と喋り慣れてないわたしにできっこないよぉ」


 せっかくもらえたあずみんからのアドバイスをわたしはうまく活かせない。それが歯痒くて悔しい。


「ウソの幼馴染設定はやめておけばよかった。でもわたしの立場を書いたら内田先輩にバレるし……うぅ」


 一度作った幼馴染設定を壊すのは大好きなあずみん、強いては内田先輩の信頼を損ねるみたいで絶対にできない。


「わたしもまみまみさんみたいに大胆になれればなぁ」


 幼馴染に胸を見せた的な内容のメールだったと思う。もしかしたら作り話かもしれないけど、あかりの番組にもメールをくれる人を疑いたくはない。

 それに、あんなにおもいしろい幼馴染エピソードがたくさん送られてくるんだから実在する幼馴染だと思う。


「まみまみさんと幼馴染くんは順調なんだね」


 あかりの番組には恋愛相談を送ってこないけど、わたしは他の番組に恋愛相談を送っているのを知っている。

 だから、あかりはまみまみさんが思っている以上にまみまみさんのことを知っている。勝手に友達みたいに感じるくらいに。


「ボディタッチとかは無理でも……」


 一旦寝るのは諦めて部屋の明かりを付ける。本棚には今までに集めてきた声優雑誌が詰まっていて、あかりが内田先輩と表紙を飾った号は表彰状のように飾ってある。


「この雑誌を米倉くんが拾ってくれたら会話のきっかけになるかも」


 床に落として汚れてしまうのはちょっと気になるけど、今のわたしにできる最大限の大胆な行動はこれしかない。

 それにあかりだけじゃなくて内田先輩も写っている。わたしはあくまであずみんのファン、米倉くんは春町あかりのファンとしてこの雑誌を手に取ってもらえばいい。


「あずみんに相談して良かった」


 ずっと憧れていたあずみんと並ぶ自分の姿は作られたものだけど、間違いなくわたしが生み出した春町あかり。

 大きな声でわたしがあかりと言える日は来ないかもしれないけど、たった一度しかない高校生活に悔いを残したくない。


 それに、わたしの声と演技を好きと言ってくれた米倉くんにお礼を言いたい。春町あかりとしては無理でも、わたしが代わりに。


 ギュッと雑誌を胸に抱きしめて気持ちを込める。

 

 恋愛禁止の春町あかりが、春原優希としてクラスの男の子と接点を持とうとしている。深沢さんが知ったら絶対に怒るだろうな。


 でも大丈夫。米倉くんが好きなのはあくまでも春町あかりだから。春原優希なんてたぶん見向きもされない。

 友達で終わるってわかってるからこそ、何もせずにはいられない。


 オーディションを受けなければ春町あかりがデビューしなかったように、雑誌を落とさなければ拾ってもらえない。

 わたしは最初、オーディションは不合格だと思っていた。だけど現実は真逆の結果になった。


 自分が予想した結果と同じになるとは限らない。だから動かないと。


 カバンに雑誌をしまってベッドに潜る。明日のことを頭の中で何度もシミュレーションしているうちに意識がなくなって、気付いたら朝になっていた。

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