どうせ下らない人生
⑬
「死ぬ前に行ってみたい場所があるんです」そう雛木が切り出した翌日、俺は深夜三時から車を走らせていた。
目的地は秋田県秋田市にある国際教養大学中嶋記念図書館という場所だった。
どうやら一部では名の知れた図書館らしく、風情のある内装が芸術的で美しいのだそうだ。
「何もこんな早くからじゃなくても……」
出発前、寝不足を拗らせた雛木が小言を口ずさんでいたが、俺は中央道と首都高の朝の混雑で足止めを食らいたくなかった。
「夜の高速道路ってなんかワクワクしますね」
高速に乗るやいなや、打って変わって雛木は上機嫌だった。
「どういう感性してるんだよ」
「いやよく考えてみて下さいよ。普通の高校生がこんな真夜中に悪い大人と首都高に乗ってるんです。中々経験出来るものじゃないですよ」
「普通の高校生はこんな悪い大人についていかない」
「細かいことツッコまないでくださいよ。ていうか時雨さん、私の年とか気にならないんですか。高校生ってバラしたの今が初めてなのに」
そういえば、最初会ったときは結局聞けなかったんだったな。だがまあ。
「大体予想はついてたからな」
彼女は大学生にしては若いし、中学生にしては大人びすぎてる。
「はぐらかしていたつもりはないんですけど、時雨さんの一個下ですよ」
「あーそうか」
「興味なくても興味ある振りくらいしてください」
「……なんて革命的な発見なんだろうか、興奮して夜もレム睡眠に入る前に目覚めてしまう」
「寝てるじゃないですか……。ていうかその冗談分かりにくすぎません?」
片手運転に切り替え、俺は煙草を一本取り出して火を点けた。
「あ、そういえば、一本下さい」
「構わないが、今のはなんの そういえば なんなんだ」
俺は雛木にショートピースの缶を差し出しながら言う。
「一応これも、やり残したことの一つなんですよ。あ、あとお酒飲むのとかも。本当はブラッシュアップして消した案なんですけどね。たまたま丁度よく時雨さんがダメ人間だったので、どうせならと思って」
「……下らなすぎないか?」
俺は呆れるように表情筋を白けさせた。人生でやり残したことがそんなもので彼女はいいのだろうか。
「なんとでも言ってください。どうせ下らない人生なんです。やり残したことだって、大層じゃありません」
煙草を咥えるには少し、彼女の相貌は綺麗好きすぎるようで、お世辞にも似合っているとはいえなかった。
「初めは深く吸い込もうとするなよ。ゆっくり、少しずつだ」
俺の親切な助言もむなしく、一口吸うなり彼女はゴホゴホとせき込んだ。
「こんなものにお金を落とすなんて、お馬鹿さんのすることだと思います」
助手席から鋭い視線が飛んでくる。自分から言っておいてこいつ……責任転嫁もいいところだ。
「自分がよけりゃいいんだよ」
「それはそうですけど……私には理解しかねます。あーそれと、これ流していいですか?」
そう言って彼女は鞄から一枚のcdを取り出した。
「ブルーハーツか。用意のいい奴だ」
「夜、ブルーハーツの流れる車内で煙草を吹かす女子高生。どうです?イカしてないですか?」
彼女はしたり顔で煙草に口をつけ、そしてまた滑稽に咽返った。
「面白いジョークだな」
「鼻で笑わないでください、怒りますよ」
⑭
パーキングエリアやサービスエリアで小休憩を挟みつつ、ひたすら車を走らせ続け、秋田に入った頃にはもう十三時を回っていた。
七時間以上に渡る長距離移動は、一年近くまともに運転をしてこなかった俺にはかなり堪える旅路だった。
くたくたになった体と、すかすかになった胃袋の両方を一度に解消するべく、俺達は図書館に出向く前にファミリーレストランに立ち寄ることにした。
「この街に来たのは、もう一つ理由があるんです」
そう言いながら彼女はフォークで最後の一口となった魚介パスタをクルクルと巻きつける。
「それもやり残したことに関係してるのか?」
「はい。私の中で、一番重要な、やり残したことです」
丁寧に咀嚼したパスタを飲み込み、口元を拭って、ストローでミルクティーを吸うと、彼女は改まったように居住まいを正した。
それは、これから大事な話をするという無言の前置きだった。
「彼に、手紙を書きたいんです。それは私がやり残したことの中でも、一番大きな意味のあることなんです。この街に来たのは、その手紙を書くにあたり、相応しい場所だと考えたから。という理由もあるんです」
「……その彼とこの街に、なにか縁があるのか?」
「いえ、そういう訳でもないんです。ただ、最後に行きたい場所で、最後の手紙を書くというのが、素敵だと思ったんです」
「なるほどな。……それで? その彼とお前の間に、何があったんだ? 死ぬ前に手紙を書きたい相手なんて、そうそういるもんじゃない。お前にとって、なにか重大なことがあったんだろ」
「あの人は……この生涯で唯一、私を好いてくれたんです」
彼女はそう言うと、瞼を閉じて、自分の世界に浸るように少しだけ間を作ってから、また目を開けた。
「誰にでも優しくて、いつも人の心配ばかりして、笑っている。彼は、そんな男の子でした」
彼について話す彼女の表情は、これまで俺に見せたことのない、新たな一面だった。
凍てつく雪原の地から一転して、温かい湯舟に浸かったかのような、全身の緊張が解けた顔だった。俺はその顔に、見覚えがあった。
当時、俺はまだ小学生だった。
その頃はまだ家庭に新緑が残っていて、稀にではあるが、三人で食卓を囲むこともあった。既に城の大部分は崩壊していたが、子の笑顔という一本の柱が辛うじて両親を繋ぎ止めていた。
その日俺は、母と二人、ダイニングテーブルの上のケーキを囲んで父の帰りを待っていた。俺の誕生日を祝う為だ。
しかし父は予定時刻を過ぎても帰ってこず、遂には夜も二十三時になっていた。
父と連絡もつかず、これ以上待っていたら日を跨いでしまうというタイミングで、俺と母は仕方なく二人でケーキを食べ始めた。
その間、母は父との昔話を聞かせてくれた。二人が結ばれる前の、淡い回想だ。父との日々を語る母の顔は、それまで俺に向けられたことのない、穏やかなものだった。
薄雲のような、朧げな記憶。気付くと反射的に、俺は追憶に没頭していた。
「時雨さん?」
「あぁ……悪い、続けてくれ」
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