第9話 お披露目

 パーティー当日の夕方、ヘンリックがイトワール伯爵家まで馬車で迎えに来た。

 あの日に仕立てた灰の衣装を彼は着こなしていた。

 衣装に鮮やかさはない。

 しかしヘンリック本人に隠しきれないきらびやかさがあった。

 銀の髪はきらめき、灰の目は光を放っていた。

「行こうか、ステラ」

「……はい」

 ステラはぎこちなくうなずいた。なんとなく帽子が傾いているような気がして落ち着かず、何度も直した。

 ヘンリックの馬車にはステラとヘンリック、ユッタにヘンリックの侍従が乗り込んでいた。

 最初、彼らの間に会話はなかった。

 しかし、やがてヘンリックが、事務的な話のために口を開いた。

「今日のパーティーには、会場を提供してくれたチューダー侯爵の娘でアンネという令嬢が参席しているはずだ」

「アンネ様、ですか」

「いつも顔の左半分をヴェールで隠しているから一目で分かる。そいつを真っ先に紹介するから、今日はそいつとくっついて行動しろ」

「……ええと、アンネ様はどのようなお方なのですか?」

「俺の友人、アダムの婚約者だ」

「ご友人……」

 王都で生まれ育った王子である。友人の一人や二人いて当然だろう。

 一方、ステラには友人と呼べるような令嬢はいない。

 イトワール伯爵家には男の子しかおらず、彼は今、海外に留学中だった。

 あまり接したことはなく、ステラにとっては知らない人と言っても良いくらいの人物だった。

「アダムは国王陛下の妹君の子だ」

「となるとヘンリック殿下の従兄弟なのですね」

「ああ。騒がしくて無礼なやつだ。こいつとは別に仲良くしなくていい」

「はあ……」

 遠慮のない物言いにむしろ二人の親密さが感じられて、ステラは少しだけ微笑ましく思った。

「ああ、そうだ、ヘンリック殿下、はやめろ。ヘンリックで良い」

「え……」

「親しい人間にはそう呼ばせている。殿下と呼ばれるのは堅苦しくて好きではない」

「は、早く言ってください……!」

 せめて一ヶ月前、再会したときに言ってくれれば、この一ヶ月その呼び方を練習できただろうに。

「今、思い出した」

 しれっとヘンリックはそう言った。

「…………」

 やっぱりこの男のことはどうにも好きになれない。不満が胸中に広がるのを感じながら、ステラはため息をついた。


 到着したのは王宮ではなくひとつのお屋敷だった。イトワール伯爵家よりも大きく、王都の中心に近い。

「ああ、ヘンリック殿下」

 出迎えてくれたのは小太りの男だった。汗をかいているが、小綺麗にしていてあまり嫌な感じはしない。

「本日は大変お世話になります。チューダー侯爵」

 ヘンリックは深々と頭を下げた。

「こちら婚約者、レーヴェ星見伯家のステラです」

 ヘンリックに紹介され、ステラはドレスをつまんであいさつをする。

 ドレスが到着してから、散々ユッタに付き添ってもらい練習した礼は我ながら様になっていた。

「ようこそ」

 チューダー侯爵は星見伯の娘にも変わりのない笑顔を向けてくれた。

 チューダー侯爵に玄関の中へと導かれながら、ステラはふと空を振り仰いだ。まだ空に星は見えなかった。


 会場のホールにはすでに人が溢れていた。

「…………」

 ステラは汗ばみ息を呑む。

 オルティス公爵家に行ったとき、ステラには目的があった。

 しかし今のステラにあるのは使命だ。それは自分で思っていたより大きな違いらしかった。

 そんなステラの手を、ヘンリックは軽く握った。

「行くぞ、ステラ」

「はい……」

 ダンスホールに足を踏み入れると、多くの視線がこちらを捉えた。

 このパーティーはヘンリックの友人にステラを紹介するもの。

 だからヘンリックの顔を知らないものはそうそういないだろうし、ステラの顔を知らなくともその黒衣で誰かはすぐわかる。

 遠慮のない視線が二人に降り注ぐ。

「…………」

 ステラの手は震えた。

「ご機嫌よう、諸君」

 慣れきった声音で、ヘンリックはホールに呼び掛けた。

「初めての方が大体だろうから、紹介する。こちらレーヴェ星見伯家のステラ嬢、私の婚約者だ」

「ご機嫌よう」

 小さな声を喉から絞り出して、うつむくように礼をした。ドレスを抓む手が一気にぎこちなくなる。

 ここは自分にはふさわしくない場所だと、ステラには注がれる視線からひしひしと感じられた。

 そんな二人に拍手の音が届いた。

 一人の青年が大きな動作で手を叩いていた。

 それにつられてホールにまばらながら拍手が広がっていく。

 ヘンリックは小さくうなずくと、ステラをダンスホールのひときわ奥へいざなった。


「アンネ」

「ご機嫌よう、ヘンリック殿下」

 アンネと呼ばれたご令嬢は振り返った。

 淡いブルーのドレスに身を包んだ彼女の顔の左半分は、確かにヴェールで覆われていた。ドレスの形はステラが身につけているものと近い。流行しているというのは本当なのだろう。

 このヴェールも流行りのおしゃれなのだろうかと、ステラはボンヤリと思った。

「こちらがステラだ。ステラ、こちらチューダー侯爵の一人娘、アンネ嬢だ。さっき話したアダムを婿にとってチューダー侯爵家を継がれる予定だ」

「は、はじめまして」

 ステラはドレスを抓んだ。

「はじめまして、ステラ様」

 アンネも同じくドレスを抓んで礼をする。様になっている。そう思った。

「今宵は婚約お披露目パーティーの会場に当家を選んでいただき、光栄です。どうぞ、楽しんでいってくださいませ」

「はい……」

 ステラはぎこちなく笑った。

「ええと、今、アダムは……ああ、いた」

 アンネが目を留めたところにはガンガンとエールを喉に流しこむ男がいた。

 拍手を最初にしてくれた男だと、ステラは気付いた。

 何やら周りの男性陣と歓談している。

「……後で良い」

 ヘンリックはどこか呆れたようにそう言った。

「アンネ、悪いがご令嬢方にステラを紹介してやってくれ」

「承知しました」

 アンネはうやうやしく礼をする。

 ヘンリックはステラ達の元から去って、アダムの方へと歩いて行ってしまった。

「よ、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 アンネは小さく笑うとステラを促した。

 一つ目の人の塊に連れて行かれる。

 そこは令嬢が塊を作っていたが、数人の令息もいた。

「今日、招かれているもののほとんどは婚約者がいます」

 そこに向かう途中でアンネがステラに囁く。

「ペアになっている男女はほとんど婚約者同士だと思ってもらって構いません」

「なるほど」

 ステラは小さくうなずく。

「ヴィルヘルミーネ」

「あら、アンネ」

 塊の中でひときわ目立つ赤いドレスの女がアンネに目を留め、さらにステラへ目を向けた。

「ステラ様、こちらグンダール伯爵令嬢ヴィルヘルミーネ嬢です」

「はじめまして」

「はじめまして。イトワール伯爵家のご令息には兄がお世話になっています」

 ヴィルヘルミーネはにっこりと笑うと、そう言った。

「そうですか……」

 ピンと来ていない男のピンと来ない交友関係を話されても、少し困る。

「こちら私の婚約者のケヴィンです」

 ヴィルヘルミーネの横で彼女を見守っていた朴訥とした男をヴィルヘルミーネは紹介してきた。

 ケヴィンはステラに笑みを向けた。

「よろしくお願いします、ステラ嬢」

「はい、よろしくお願いします」

 そんな中身のないやり取りが十数組分続いた。彼らの名前を覚えられる気がしなかった。

 天の星の名前なら、無数に覚えているというのに。


「……疲れた」

 人の輪から出ると、ステラはアンネとユッタにしか聞こえない声で、そうつぶやいた。

 アンネとユッタは苦笑した。

「少し、奥で休みましょうか」

 アンネがステラの腕を優しく取る。

「お願いします……」

 二人はまるで古くからの友人のように、腕を組んで歩き出した。

 オルティス公爵家では誰にも相手にされなかった自分が、今日はずいぶんと多くの人間と交流をした。

 それはヘンリックの婚約者という立場があるからだ。そう思うとなんだかハリボテの関係が一気に怖くなる。

 この関係が終わればまたステラは誰にも相手にされない星見伯の娘に戻る。

 こうして腕を組んでいるアンネも、どういう態度になるか。

 そう思うとなんだか胸の奥に重たい塊が落ちてくるようだった。


 そんな物思いにふけりながら歩いていたせいだろうか、ステラは歩いていく先に立っている令息の存在に気付かなかった。

 彼の背中に軽くぶつかる。

「あっ!」

 ステラがよろめく。アンネもつられて、倒れていく。

「ステラ様っ、アンネ様っ」

 ユッタが声を荒らげる。

 アンネが床に転ぶ。ステラはその上にのしかかるようになる。

 パサリと、アンネの帽子が落ち、ヴェールが外れる。

「ああっ……」

 悲痛な叫びをアンネが上げる。

 ステラは慌ててアンネに顔を向ける。

 そこには、アンネの顔の左半分には、醜く引き攣れた跡があった。

 ステラはとっさに自分の帽子を脱ぎ、アンネの頭に深く被せた。

「ごめんなさい、アンネ様、大丈夫?」

「だ、だいじょうぶ……」

 ちっとも大丈夫ではない震える声が返ってきた。

 アンネの帽子は転がっていって、すぐには手の届かないところへ行ってしまった。

 ステラは慌てて立ち上がる。

 アンネの手を引き、ユッタに手伝ってもらってアンネを立たせる。

「アンネ!」

 緊迫した声とともに男が飛んできた。アダムだった。

 アンネを抱き寄せるようにするとアダムはステラの帽子をアンネの頭に深く押し込んだ。

「行こう、アンネ。ありがとう、ステラ嬢」

 アダムは小さくつぶやくとアンネをほとんど抱きかかえるようにして、ダンスホールから去り、その先の小部屋に入った。ステラは慌ててそれを追いかけた。


「ふー……」

 ソファにアンネを座らせると、アダムはため息をついた。

 アンネはソファに倒れ込むように座り込んだ。

「大丈夫、アンネ、大丈夫だよ。ステラ嬢がすぐに帽子を貸してくれたから、そう見られてはいないさ」

 宥めるようにアダムがアンネを抱きしめる。

 婚約者同士の近い距離感に少し居心地が悪い思いをしながら、それをステラは見守っていた。

「で、でも、す、ステラ嬢に、み、見られたわ……」

「それがどうした。それでお前を蔑むような女性を、ヘンリックが選ぶわけないだろう」

「わ、わからないじゃない……」

 アンネの声はすっかり震えて小さく、泣きそうになっていた。

「だ、だって、すぐステラ嬢は、わ、わたしに帽子を被せたのよ……み、醜いと思ったからじゃない……」

「アンネ、それは君自身がヴェールで隠しているのを見ていたからだろう。俺はステラ嬢の顔を見ていた。その顔に君を見下すような色はなかった。他の連中とは違うよ」

 アダムが必死にアンネを宥める。

 ステラは何を言っていいのかわからなかった。

 実のところステラはあの一瞬で、何かを考えたというわけでもない。

 あの時はただアンネの陥った恐慌状態をどうにかするのに必死だった。

 それでも確かに、ヴェールで隠していたのなら、見られたくはないのだろうと、言われてみればそう思う。

 しかしどんな言葉も今の状態のアンネの救いにはなりそうになかった。

 ステラは助けを求めるようにユッタを見た。

 ユッタは静かに頭を横に振った。

 アダムに任せる他ないだろうか?

 ステラの頭の中にグルグルとかけるべき言葉の断片が渦巻いては形にならずに消えていく。

 安易な慰めも、軽薄な保証も、彼女にはできなかった。

 それができるほど、ステラはアンネのことをよく知らない。

「おい、大丈夫か」

 ヘンリックが小部屋にノックもせずに入ってきた。

 その手にはアンネの帽子とヴェールが握られていた。

「ああ、ヘンリック、ありがとう」

 アダムが礼を言う。

「回収はしたが、こりゃ、駄目だな」

 ヘンリックはそう言いながら、ぐしゃりと潰れた帽子をアダムに手渡す。

「まあ、しょうがない。ほら、アンネ」

 アダムがアンネを立たせようとするが、アンネはプルプルと震えて、どうにもならなかった。

「……すまん、ヘンリック、今日はもう……」

「構わない。すまないな、アンネ」

 小さく声をかけると、ヘンリックはステラの肩を抱いた。

「あ、あの……」

「帽子はまた買ってやる」

「いえ、帽子は別に良いのですが……その、アンネ様が……」

「いいから、行くぞ」

「は、はい……」

 ステラはヘンリックに引きずられるようにして小部屋を出た。

 アンネにもアダムにも声をかける暇すらなかった。

 小部屋から去る二人の後ろをユッタがひっそりとついてきた。

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