第8話 結婚の準備

 夕食まで時間があった。ヘンリックが何やら視線を送ってくるので、ステラは仕方なく自室にヘンリックを招いた。

「……ようこそ」

「邪魔をする。どうだ、王都での生活は」

「今のところイトワール伯爵家から出ていないので……ああ、でも星は……いえ、なんでも」

「ああ、星が見えなかったと聞いたぞ」

 ステラがボカした言葉をヘンリックは拾い上げた。

 ユッタが事細かに報告書を書いているのは知っていたので、ステラは黙って受け入れた。

「……天文台の件は担当大臣に話を通している途中だ。もう少し待っていろ」

「あ、ありがとうございます……」

 ステラはそれには素直に頭を下げた。

「…………」

「…………」

 沈黙。話題がない。気まずい。

 ステラは助けを求めるようにユッタに視線を送る。

「お茶を煎れてまいります」

 違う。

 そう言う間もなくユッタはヘンリックの侍従を連れて部屋を出ていった。

 完全にふたりきりになった。気まずさが加速する。

「……天文台に同行しても良いか」

「え」

 思いがけない言葉にステラは口をアホっぽく半開きにした。

「そのアホみたいな顔をやめろ。王子と結婚するなら淑女のフリくらいしろ」

「はい……」

 厳しい言葉だったが、はしたない行動だったのは間違いない。ステラはさすがに素直に口をつぐみ、黒い扇子を取り出す。これで隠せば少しはマシだろう。

「古びた扇子だな」

「……すみません。本日、ドレスといっしょに手配してもらいましたので、しばらく我慢してください」

「ああ」

 ヘンリックがうなずいたのを見て、ステラは問う。

「……あの、淑女の『フリ』でよろしいので?」

「いい。本当の姿など、人は誰も知らないものだろう」

 さらりとそう言ってヘンリックはステラの顔を真正面から見つめた。

「それで、天文台に同行する件だが」

「ええっと、ご興味があるのなら、ご自由に……。私に殿下の行動を制限する権利などありませんし……」

「そうか」

 ヘンリックはうなずくと、どこか柔らかく微笑んだ。

(いつもこういうお顔をしてくれてれば親しみやすくて、良いのに)

 ぼんやりとステラはそう思った。

「お待たせしました」

 折よくユッタが戻ってきた。二人はお茶を飲むことで、沈黙をごまかした。

 語り合うべき言葉を、二人はひとつも持ち合わせてはいなかった。

(偽りの婚約者……だものね)

 ステラは苦笑を今度はティーカップの陰に隠した。


 晩餐は豪勢だった。

 第一王子を招くにふさわしい食卓を見て、ステラはレーヴェ星見伯家ではこれを用意することが出来ないだろうと思った。その思考は小さな棘のように胸に刺さる。

「ブリアーナ地方に伝手があるのですか?」

 赤ワインを堪能しながら、少し機嫌が良さそうな顔でヘンリックはイトワール伯爵に尋ねた。

「今年のブドウは不作だったから、なかなか手に入らなかったはずですが」

 ブリアーナ地方はワインの名産地として知られている。お酒には興味のない飲めないステラでも知っている名前だ。

「妹の嫁ぎ先でして、毎年送ってくれるのですよ」

「ああ、となるとブリアーナ子爵のところですか」

 ふむふむとヘンリックはうなずく。

「殿下がお望みとあれば、贈らせますが……」

「いえ、そのようなことで職権乱用をしていては、示しがつきませんから」

 ヘンリックはゆるりと頭を横に振った。

 しかしその顔は少し名残惜しそうだった。

「でしたら、わたくしがもらったものをお譲りしましょう。姪の婚約者殿へ少し早い結婚祝いということで。もちろん後々正式な品は贈ります」

「それは……いえ、ありがとうございます」

 ヘンリックは何か言いかけたが、素直に受け取ることにした。

「そういえば、殿下もご自分の王室領にブドウ畑をお持ちでしたよね?」

「ええ、まあ、まだまだ道楽の域です」

 ヘンリックは苦笑いをした。

 ヘンリックの王室領はブリアーナに近いところにある。オーラクという地方であることをステラは手紙のやり取りの中で聞いていた。

 どちらもブドウの産地に適した気候をしている。

 ヘンリックにオーラクのワインをレーヴェ星見伯家に送ろうかとも手紙で言われたが、ステラは酒を飲めないし、父は病気で禁酒している。弟が大きくなったらとステラは返答していた。

「イトワール伯爵はワインはお好きですか?」

「ええ、好物です」

「では、満足いくものができましたら贈らせていただきます」

「それはありがとうございます」

 晩餐は伯父とヘンリックがワイン談義に花を咲かせることで進んだ。

 言葉を挟む隙がないことをありがたく思いながら、ステラは食事を口に運ぶ。

 ステーキが美味しかった。

「それにしても、殿下はステラ嬢のどこをお好きになられたのですか? いえ、もちろんステラ嬢は我が妻に似てお美しくいらっしゃいますから、見初められるのも不思議はありませんが」

「ごほっ」

 思わず咳き込む。

「あらあら、ステラったら照れちゃって」

 伯母が微笑む。しれっと夫が自分の自慢をしたことなど受け流している。絶賛にも慣れすぎるとこうなっていくらしい。

「…………」

 しかしステラは照れていない。困っている。

てらいのない、まっすぐさに惹かれました」

 さらりとヘンリックは伯父に返した。

 心にもないことを、とステラは複雑な気持ちになる。

「ありがとうございます、殿下」

 愛想笑いを浮かべると、ステラは再び黙々と食事を口に運んだ。


 イトワール伯爵が持たせてくれたブリアーナのワインを両手に、上機嫌でヘンリックは帰りの馬車に乗り込んだ。

「それじゃあ、ステラ、次はパーティーで」

「はい……た、楽しみにしています」

 見送りに出た伯父伯母の手前、ステラはそう言う他なかった。そんなステラの嘘にヘンリックは少し苦笑して、帰っていった。


「……つかれた」

 ステラは日課の星の観測を終えると、ユッタの世話で風呂に入り、ベッドに倒れ込むとそうつぶやいた。

「お疲れ様です」

 ユッタはそんなステラの体に優しく掛け布団をかけてくれた。

「……ユッタ、あなたは、私がヘンリック殿下に嫁ぐこと……どう思っているの?」

「…………私はそれに意見を申す立場にございません」

 ユッタは少し困った顔をしながら、そう言った。

「……私が聞きたいの。じゃあ、そうね、仮定の話でも良いわ。昔から王宮に勤めているような忠臣たちの目に、レーヴェ星見伯の娘はどう映るでしょうか?」

「……思いのほか、悪くはありませんでしたよ」

 ユッタはそう言った。ステラは思わぬ評価に驚いた。

「正直に申し上げれば、殿下が突然、独断で婚約者をお決めになったときは……その奔放さにどうしたものかと家臣一同頭を抱えましたが……私の目に映るレーヴェ星見伯嬢は、ひたむきに星を見上げる好ましい女性です。ヘンリック殿下が惹かれる部分があるのもうなずけました」

「…………」

 てっきりユッタには婚約が打算によるものだとヘンリックは説明しているものだと思っていたが、どうもそういうこともないらしい。

 ユッタにすら、本気で二人が恋に落ちたと思われているのだろうか?

 これ以上ないまでに虚飾にまみれた関係だというのに。

「ステラ様、わたくしはお二人の婚約関係そして結婚がつつがなく進行するのをお手伝いするために参っております。不安などあるようでしたら、遠慮なくお申し付けください。その解消のために動く所存でございます。……ヘンリック殿下は、その、いささか言葉が足りないところがありますので」

「…………ありがとう」

 ステラは礼を言いながらも、複雑な気持ちであった。

「……ねえユッタ、殿下は隣国の王女様と本来なら結婚するご予定だったのよね?」

「はい、あちらの王女殿下が生まれた頃からその方向で話は進んでおりました。しかし、一年前、隣国と王妃様の生国の間に武力衝突が発生、我が国は板挟みになり、結局婚約は破棄されました」

「……そう。殿下は、その、それについて気にされているのかしら?」

「……どうでしょう。そもそもヘンリック殿下とあちらの王女殿下は顔を合わせたこともありませんでした。手紙のやり取りすら、恐らくしていません。勝手に決められた婚約が勝手に破棄されたことに憤りこそすれど、あちらの王女殿下という個人への思いがあるわけではないかと……」

「……同じね」

「ステラ様?」

「いえ、なら良いの。王女殿下なんてすごいお方と比べられたらどうしようかと、そう思っただけだから」

「……左様ですか」

 ユッタは少し気にした顔をしたが、コクリとうなずいた。


 ステラはひっそりと思った。ヘンリックは個人に思いを寄せない。ステラにも、王女にも、役割しか求めない。

 それは、ある意味では楽なのかもしれず、少しだけ寂しい思いがした。

「……もう寝るわ。おやすみ、ユッタ」

「はい、おやすみなさいませ」


 ステラは目を閉じた。

 疲れていたわりにはなかなか寝付けなかった。




 パーティーの一週間前に、ドレスが届いた。黒衣のドレスは、レースやドレープがあしらわれていて、黒一色とは思えない豪華さを誇っていた。

「ああ、似合っているわ!」

 伯母が嬉しそうにステラを柔らかく抱きしめた。

「楽しみね、パーティーでお披露目するの」

「……はい」

 ステラは鏡の前でぎこちない笑みを浮かべた。

 思い切り被れば顔を隠せるほど大きな帽子が頭に乗っている。

 首元はリボンで出来たチョーカー。

 スクエア型に開いたデコルテ、ふんわりと包まれた胸に、すっきりした袖。

 ドレープの施されたスカートは斜めにカットが入っている。

「お似合いですよ」

 ユッタがそう言って、珍しく微笑んだ。

 ステラには、似合っているかどうかわからなかった。


 鏡の中の自分はどこまでも自信なく笑っていた。

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