第6話 王都到着
ヘンリックとの出会いから半月後、ステラが王都へと出立する日が来た。
ちょうどステラの天敵の星が動く日である。自分だけの予定であれば日程をずらしたかったが、ヘンリックをはじめとしたあまりにも大勢の人間が動いていたので、それは叶わなかった。
この間、ヘンリックとは手紙のやり取りをしていた。他人に見られたら愛があるか疑われるだろう事務的な文書のやり取りばかりだった。
ヘンリックが送ってくれたメイドと財務に明るい執事が乗ってきた馬車を借りて、入れ替わるようにステラは王都に向かう。
カエルムはしばらくステラの腰に抱きついて、なかなか離してくれなかった。
ステラは
彼女の大切な荷物はそのくらいだった。
住み慣れたレーヴェ星見伯の領地を馬車が抜けていく。ステラはぼんやりと窓の外を眺めた。
流れていく景色はよく見慣れたものなのに、現実感がなかった。
半年後には、王太子妃になる。そんなことは突拍子もないこととしか思えなかった。
王都に着いた途端に、ヘンリックからそんな約束はしていない、帰れ、と言われても不思議はないと思うほど、ステラはこの婚約を信じてはいなかった。
しかし馬車はあっという間に星見伯領を抜け、オルティス公爵領に入った。気は進まなかったが、馬車はステラの気持ちとは裏腹にオルティス公爵家に向かった。
「ご無沙汰しています……」
「ああ、ステラ様!」
ステラの来訪を、飛び跳ねるようにしてルナが出迎えてくれた。
「わたくしの部屋でお話しいたしましょう!」
「はい……」
ヘンリックから、オルティス公爵家に挨拶をするよう言われていた。何せ二人の出会いの場である。仲人のようなものと言ってもよい。挨拶をしないのは不義理であろう。
しかしルナ以外はステラを歓迎してはくれないだろう。
そう思っていたから、ルナが私室に誘ってくれたのはありがたかった。
ルナの私室に入ると、ルナがものすごい勢いで頭を下げてきた。
「申し訳ありません! ステラ様!」
「え?」
「ま、まさか、殿下が私の願いを叶えるために、あなたを巻き込むだなんて……」
「あ、ああ、いいのですよ。ルナ様」
(色々ありすぎて……そんなこと忘れてました……なんて言える雰囲気じゃないわね……)
「でも……ステラ様、殿下のことなんてこれっぽっちもお好きじゃないでしょう?」
ルナの気遣わしげな顔にステラは苦笑する。まさかルナにこれほど心配を掛けてしまっているとは。パーティー当日はああもはしゃいで見えたというのに、大した役者だ。彼女は年下だが、あらゆる意味で敵わない気がする。
「……手紙を出したのはほんの出来心だったのです。私……思い人とは両思いでもなんでもないし……。でも、お兄様に相談したら、殿下に手紙でも出せばいい、ヘンリック殿下はああ見えて、世話焼きなところがあるからって言うから……」
(世話焼き……?)
いまいちピンと来ないが、親しい仲の相手にはそうなのかもしれない。本当にピンと来ないが。
「藁にもすがる思いで……そうしたら、まさかステラ様にしわ寄せが行くだなんて……」
「……両思いでなくとも、あなたはそのお方のことがお好きなのでしょう?」
ステラは優しくルナにそう言った。
「は、はい」
顔を赤らめるルナにステラはマルタを思い出す。恋する少女。マルタが恋の話をするとき、彼女はとても楽しげだった。その話を聞いていると、ステラの心まで弾むようだった。
「なら、いいのです。その恋が成就しなくとも……今、好きな人がいるという思いは、大事にするべきだと私は思います。……恋なんて、私はしたことないからこそ、恋をしている方には、その恋を大事にしてほしい」
「……ステラ様」
ルナは目を潤ませた。
「あ、あの! 星見の知恵を……わ、私にも授けていただけませんか……?」
「……ルナ様は、星見を信じてらっしゃる? ……はずはないですよね。ルナ様が生まれた頃には、もうとっくにデタラメだと広まった頃ですもの」
「……はい。でも、これも、その、藁にもすがる思いのひとつ……なのです。図々しくてごめんなさい」
「いいえ、よろしいのです。では、生年月日を教えてくださいませ」
星見がまだこの国でデタラメだと断じられる前は、誰しもが自分の守護星について知っていた。しかし、ルナの世代はもう知らない。空を見上げてもどの星が自分の運命を示唆するか、知りはしない。
それをステラは寂しく思う。
ルナの生年月日を聞いて、ステラは天体観測ノートを開く。
ルナが生まれたとき、ステラは二歳。だからこれはステラが描いた星図ではない。死んだ母が父から教わって描いたものだ。
それをステラが受け継いだ。父や祖父が描いてきた代々のものはカエルムが受け継ぐ。
母の星図はお世辞にも綺麗とは言いがたかったけれども、それでもステラはその星図が愛おしかった。
弟を産むと同時に亡くなった、大切な母親の遺産。
「ええと……ルナ様の守護星は紺ですね。秋の夜空にひときわ輝く星です。ご覧になったことはあるかしら?」
ルナはうーんと考え込んだ。
「ぜひ秋になったら見上げてみてください。それで占いですが……紺の星には姉妹星がおりまして、青の星です。青の星は今、天空に輝いているので、青の星の動きで、紺の星の運勢も付随して見ることが出来ます」
「ふむふむ……」
「青の星は今、不動星に最も近付いています。不動星は国家の象徴なので、国家に近付いているということですね。国家に近しい人が、あなたのキーパーソンとなります」
「……あら、殿下かしら?」
ルナは首をかしげた。
「そうかもしれませんね。今、パッとお伝えできるのはそのくらいです……お相手の生年月日を教えてくだされば、もう少し占えますが……」
「……いえ、それは、ええと、知らないわけじゃないのですが……あの、今のところ、内緒で」
ルナはそう言いながら、頬を赤く染めた。可愛らしいとステラは素直に思った。
「ありがとうございます、ステラ様」
「良い出会いが秋の初めにあります。それから、紺の星の敵対星の黄色星が夏に来ますので、気を付けてください」
「……夏ですか」
「はい」
ルナは何だか心当たりがありそうな顔で顔をしかめた。
「……大丈夫ですか?」
「……たぶん」
ルナは強がるように笑った。
ステラは気になったが、しかしあまり長居しては王都に着くのが遅くなる。
ステラはオルティス公爵家を辞した。
馬車はまっすぐ王都へと走って行く。
知らない景色をくぐり抜けて、どんどんと緑が少なくなっていく。
王都の敷地に入った。建物と人の間をくぐり抜けるように馬車は進み、そしてとうとう王宮にたどり着いてしまった。
「はー……」
思いっきりため息をついて、ステラは馬車から降り立った。
王宮の門をくぐり抜けると、そこにはヘンリックが待っていた。
多くの兵士が彼を守るように配置についている。
「よく来たな、我が婚約者」
そう言うと、ヘンリックは大きく手を広げた。
「…………」
ステラは心中ため息をつくと、その腕の中に身を預けた。
ギュッと、たくましい腕で強く抱きしめられた。
恥ずかしさやら何やらでプルプルと小刻みに震えながら、ステラはヘンリックの抱擁を受け入れた。
「さて、お前にこいつをつけよう」
ヘンリックは一人の女を連れていた。
年頃は三十ほど、冷静な視線でこちらを見つめている。
控えめなデザインのドレスに身を包んでいた。
「侍女のユッタだ。母の侍女の娘で、昔から王宮に仕えている。パーティーに連れて行ける侍女の一人もいないなど、第一王子の婚約者として恥ずかしいからな。ユッタ、ステラを頼んだ」
「はい、ヘンリック殿下。よろしくおねがいします、ステラ様」
ユッタは折り目正しく礼をした。
「よ、よろしくおねがいします……」
ステラはおずおずと頭を下げた。
侍女としてユッタをつけてもらうことは手紙のやり取りで決まっていたし、伯母の家にも許可を取った。
しかしこうして顔を合わせてみると、冷徹そのもののユッタの顔に、どうしても怯んでしまう。
それに今日はステラの敵対星が天空の河に突入する日だ。その日に初対面の彼女が天敵になる可能性は十分にあり得た。
――もっとも、守護星が天空の河に突入した日に出会ったのがヘンリックでは、その占いも形無しであるが。
「ステラ、他に問題はあるか?」
ヘンリックが問いかけてくる。
「……いえ、今のところ大丈夫です」
「そうか。今後、俺に送る手紙はユッタに預けてくれ」
「あ、はい」
何故だろうと思いつつもステラは素直にうなずいた。
「婚約発表のパーティーは一ヶ月後だ。その間にいろいろと慣れておけ。サポートはする」
「ありがとうございます」
「では、また」
ヘンリックはもう一度ステラを軽く抱きしめると、そのまま去って行った。
ステラは形式的にその背を見送ったが、彼は一度も振り返らなかった。
「ふう……」
ステラはため息をついた。
伯母の家、イトワール伯爵家に向かう間、ステラとユッタは同じ馬車に乗っていた。
しかし道中は無言であった。
本来の身分は知らないが、今のユッタはステラに仕えているのだ。ステラから話を振り、指示や質問をするべきだ。
しかしステラの胸には何も浮かんでこなかった。
話すべきことが見つからないまま、気まずい沈黙とともにステラは馬車の中にいた。
ステラは気まずかったが、すらりと背筋を伸ばしたユッタの方は顔色一つ変えなかった。
イトワール伯爵家に到着すると、伯母とイトワール伯爵が出迎えてくれた。
「いやあ、おめでとうございます、ステラ嬢」
星見伯の娘を好き好んで娶った変わり者のイトワール伯爵はにこにこと笑いながら、ステラを迎え入れてくれた。
「半年のこととはいえ、我が家だと思ってくつろいでくださいませ。そちらが侍女のユッタ嬢ですね、どうぞ、よろしく」
ステラの手を握り、次いでユッタとも握手を交す。
次いで伯母がにっこりと微笑みながらステラを抱きしめた。
「大きくなったわねえ、ステラ」
「お久しぶりです、伯母様」
「そうよねえ、もう結婚してもおかしくない年齢だものねえ。まさか相手がヘンリック殿下だとは思わなかったけれど」
しみじみとつぶやく伯母に、イトワール伯爵が声をかける。
「ははは、君に似て、美人だもの、ステラ嬢は。そりゃ殿下も見初めるさ」
「あらあら」
伯母が頬を薔薇色に染める。
結婚して二十年近く経つというのに、この夫婦は相変わらずノロケがすごかった。
仲睦まじいことは良いことだ。
でもステラとヘンリックとこんな夫婦には、ならないのだろう、ステラはどこか自嘲的にそう思った。
「はー……」
与えられた部屋のベッドに黒衣のドレスのまま倒れ込む。
どうせ普段着だ。シワになることは気にならない。
「ステラ様」
そんなステラにユッタは初めて声をかけた。
「はい!」
あまりのだらしなさに叱られるのだろうかと、慌ててステラは身を起こす。
しかしユッタは淡々と続けた。
「一ヶ月後のお披露目パーティーに合わせてドレスを仕立ててもらいたく思います。こちらのお宅に仕立の者を呼んでもよろしいでしょうか」
「構いません。ああ、こちらの家に誰か呼ぶときは、伯母様にも話は通すようにしておきましょう。……今後のスケジュールの管理はユッタに任せても良いかしら」
「はい、もちろんでございます。それも侍女の役目です」
「ああ、そうだ、一ヶ月後のお披露目って厳密には何月何日って決まってるかしら?」
「はい、決まっております」
ユッタから日付を聞いて、星図を頭に思い浮かべる。
ステラの天敵星の赤い星がちょうど天空の河から抜ける辺りだ。
運気が上向いてくるはずの頃だった。
そこまで考えて、ステラはヘンリックの生年月日と守護星を知らないことに気付いた。
もちろん国の王子である。公表はされているはずだが、記憶していなかった。婚約者の、誕生日。王の誕生日なら、国家の行く末を見守る星見に必要だからときちんと覚えているのに。
「…………はあ」
なんだか妙に疲れてしまって、ステラは目を閉じた。
そんな主人の様子に、ユッタは黙って一礼すると寝室から退室した。
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