第5話 王都にて、ヘンリック

 公爵家のパーティーから数日後――。


「あっはっはっっは!」

 夜の王宮、ヘンリックの私室で馬鹿笑いする軍人がひとり。

 ヘンリックの従兄弟のアダムだった。

 国王の妹の子に当たり、ヘンリックとは同じ年の幼馴染。ともに軍に所属するなどその仲は深い。

 ヘンリックは特に不快になった様子もなく、赤ワインを口に含む。

 対するアダムはエールをゴクゴクと飲み干した。

「いやー、マジかよ、ヘンリック! お前もいつかは結婚するんだろうと思ってたが、そんな面白い経緯で婚約するとは思わなかったよ!」

「そりゃどうも」

 ヘンリックは肩をすくめた。

「楽しみだなあ、星見伯令嬢ステラ嬢か。そんなことになるなら、俺も護衛と称して一緒に行けばよかった。そんなに美人だったのか?」

「美人ではある」

 ヘンリックはステラの顔を思い出して素直にそう言った。

「あっさりしてるなあ。ってことは決め手は顔じゃないって事だな? 利害の一致とは言え……さすがに選んだ理由くらいあるだろう?」

「……俺に興味がなさそうだから、それが一番よかった」

「へえ?」

「変に好かれて失望されたり、嫉妬されたり、束縛されるのはごめんだ」

「悪い男の言うことだぜ、それ」

 そう言ってアダムはゲラゲラと笑った。

「まあ、利害の一致で婚約するんだ、ステラ嬢もきっとそれなりにしたたかな悪い女なんだろう」

「……そう、だな」

 ヘンリックはやや口ごもった。

「それで陛下に報告は?」

「まだだ」

「楽しみだ!」

 アダムは手を打って笑った。

「それはそれはめんどくさいことになるに違いない!」

「はあ……」

 ヘンリックもそれを思って思わずため息をついた。

 ステラを伴侶にと選んだ判断を後悔する気はないが、今後、予想される反発については少しばかり憂鬱だった。

「…………」

 アダムはそんなヘンリックをじっと見つめた。

「めんどうになるとわかっていて、星見伯の子を選ぶ……か。なんで?」

「ちょうどよかった」

「……ふうん。それだけかなあ」

 アダムはじっとヘンリックの顔を見たが、ヘンリックはお前は何を言っているのだといわんばかりの仏頂面だった。

 アダム自身は慣れたものだったが、はたして星見伯のお嬢さんはこれをどう思ったのやら。アダムは内心苦笑する。

「それでだ、アダム。お前に使いを頼みたい」

「お、なんだ?」

「星見伯の家の家事の一部をステラがやっているらしくてな」

「そんなに困窮しているのかよ……」

 アダムは少し引いた。高位貴族の子であるアダムにとって家事など、軍人になるまでは見えないところで誰かがやってくれているものだった。

「人手が足りなくなるからとメイドの手配を頼まれた。私費で雇おうと思う。軍事宿舎に勤めていたミセス・レインが適任だと思う。彼女の仕事はいつも丁寧だったし、身元もハッキリしている。手紙を書くから持っていってくれるか?」

「はいはい。自由の少ない王子様」

 アダムは笑ってうなずいた。

「それから税収の計算ができる者も探しているんだが……」

「そんなことまでステラ嬢はやってるのか……」

 アダムは今度はさすがに感心した。

「その内、国庫が握られたりしてな」

 冗談めかして笑うアダムにヘンリックは肩をすくめた。

「そちらについては、財務大臣に相談してみようと思う」

「ああ、それはいい」

 財務大臣は国の大臣の中では年若で、話のわかる部類に入る。きっと力になってくれるだろう。

「以上か?」

「今のところは」

「そうか。まあ何だ。飲もうぜ飲もうぜ! ちょっと早い独身さよならパーティーってやつだ」

「ふん」

 くだらない、と言わんばかりに鼻を鳴らしながらも、ヘンリックはワインを傾ける手を止めなかった。


 数時間後、アダムはすっかりソファでいびきをかいていた。

 ヘンリックは毛布を投げてやってから、バルコニーに出た。

 夜空には星が瞬いていた。

 天の河がひときわ美しく輝いている。

 星見の人間、ステラはこの星模様から何を見出すのだろう? 少し考え込んで、ヘンリックは苦笑いをした。

 どうでも良いことだ。彼女が星見伯の娘であることはその地位以外に価値はない。

 星見などデタラメだと祖父の代で断じられたのだから。

 夜空を彩る星の名前も知らず、ヘンリックはそれらに背を向けて、私室に戻った。


 翌朝、ヘンリックとアダムが、ヘンリック用の食堂で朝食をとっていると第一侍従が冷や汗まみれでやって来た。

「陛下が、お呼びです」

 どうやらオルティス公爵家での婚約宣言が父の耳に入ったらしい。

「食事を終えたら行く」

「はっ」

 第一侍従がそのまま父に返事を伝えに行く。

「くくっ」

 アダムがハムエッグの黄身をつぶしながら笑う。

「付き添いましょうか? 殿下」

「楽しい見物がしたいだけだろう、お前」

 ヘンリックは淡々と返した。

「さっさと朝食をとったら軍人宿舎に戻るんだな……朝帰りは朝帰りでも俺の元からなどシャレにもならん」

「はいはい」

 アダムは肩をすくめると、ハムエッグを食い尽くした。

 そんなアダムをぼんやり眺めながら、ヘンリックは口を開いた。

「……そういえば、お前は婚約者とは上手くいっているのか?」

「おや、珍しい」

 アダムは少しおどけて見せた。

「上手くも何も、産まれたときからの婚約者ですからね、もう腐れ縁ですよ」

「……ステラの王都デビューを彼女に補佐してもらえるよう頼めないだろうか」

「ああ、はいはい。ステラ嬢、こちらには伝手がほとんどないんでしたっけ」

「伯母夫婦がいるだけだな。その家についても調べたが、息子しかいないようだから、女友達を用意してやりたい。たとえ表面上でも、必要だろう。社交界を渡っていくのに友達は」

「まあ、俺の愛しい彼女は心優しくて気弱ですからね、殿下の頼みとあれば聞くでしょう」

「だから、お前越しに頼んでいる。少しでも嫌そうだったら、撤回してくれ」

「お心遣いどうも」

 アダムは爽やかに笑った。ヘンリックは笑わなかった。


 アダムが去って行くのを見送ってから、ヘンリックは父が待つであろう応接間に向かった。

 父は椅子に深く腰掛けながら、ヘンリックをじっと見た。

 ヘンリックは形ばかりのあいさつを述べると、沈黙した。

 しばしの沈黙の後、父がようやく口を開く。

「……お前が婚約したという噂を聞いたが?」

 誰からだろうとヘンリックはボンヤリ思う。

 あの夜、ヘンリックとステラはオルティス公爵家に泊まったが、まっすぐ王都に戻った貴族もいたはずだ。

 その中で父の耳に届くような人物……と少し考えてやめた。

 それを探したところで、目の前の問題の解決にはならない。

「はい、レーヴェ星見伯の令嬢ステラ嬢と婚約しました」

「私の許しもなしにか」

「お言葉ですが、陛下は隣国の姫君との縁談が破談になった時点で伴侶選びは私の好きにしていいとおっしゃったはずです」

「それは言った。言ったが……まさか星見伯の子を選ぶとは思わんだろう。……素直に公爵のところの娘と落ち着いてくれれば……」

 父は苦渋の表情で呻くようにそう言った。後半は独り言だった。

「……星見なんてものはデタラメだ、と断じたのはまだ最近のことだ。事の正誤は歴史の中でいつだって入れ替わる。いずれ星見伯が復権することがあるかもしれないが、私の代では……早すぎる」

「では、陛下は私にご令嬢との約束を違えろと?」

「…………」

 父は心底嫌そうに顔をしかめた。

「お前がこうも短絡的に女を選ぶとは思わなかった」

「……お言葉ですが」

 ヘンリックはいささか不機嫌に口を開いた。

「私の決断が短絡的かどうかは、ステラ嬢を見ていただいてから判断してもらいたい」

「……そこまで、惚れ込んだか、たった一夜で」

 国王の不安は拭われることはなかった。むしろ疑念が募った。

 普段は冷静な王太子をここまで熱狂させるステラという令嬢が、毒婦か何かのようにすら思えたが、それを口にはしなかった。

「……はい」

 ヘンリックはさらりと嘘をついたが、父王はそれに気付かなかった。


 その後、今後の予定をすりあわせ、ヘンリックは父の元を立ち去った。

 その脳裏に何故かステラの顔が浮かんだが、その顔は怒っているか、呆気にとられているか、作り笑いをしているかだった。

 彼女の笑顔を知らない。ヘンリックはふとそれに気付いた。

 その思いを振り切るように頭を振ると、ヘンリックは次に財務大臣の元へ向かった。


 ステラを王都に迎え入れる準備をヘンリックは着実に進めていた。

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