第4話 ごあいさつ
「おかえりなさい! お姉様! お客様ですか?」
弟のカエルムが馬車の音を聞いて飛び出してきた。
ステラによく似た金髪が跳ねる。
オルティス公爵家に泊まっていくと早馬は出していたが、とても心配していたようで、弟はステラの顔を見てホッとしたような顔になる。
「カエルム、お客様にごあいさつなさい。殿下、こちら弟で跡取りのカエルムです。カエルム、こちら王太子ヘンリック殿下」
「えっ!」
カエルムが驚愕した。突然、朝帰りした姉が王太子を連れて帰ったとなれば、そうもなろう。
しかしそこは幼くとも貴族の教育を受けた弟だ。たちまち背筋を伸ばして、ヘンリックに向かい合った。
「初めまして、カエルムと申します」
「ああ、初めまして。ヘンリックだ。お父上は?」
「ええと、今日はまだ寝室です」
「父は体が弱いのです。ヨハン、父上に……ええと来客だと告げて支度をしていただいて」
カエルムといっしょに出てきた侍従ヨハンにステラはそう指示を出す。
ヨハンは黙って礼をした。
「……面会は寝室で構わないと添え伝えてくれ」
ヘンリックがヨハンにそう言い添える。
「……すみません」
ステラは頭を下げた。
「構わない。病人に無理はさせられない」
ヘンリックは特に変わりないつっけんどんな態度でそう言った。
「……殿下、わたくしも着替えてきてよろしいかしら?」
ステラはまだ昨日と同じ服を着ている。入浴したとは言えどうしても気持ち悪い。
「ああ、そうだな。着替えてこい」
「カエルム、ヘンリック殿下を客間にお通しして」
「はい!」
ステラは急いで二階の自室に向かった。
カエルムがそつなくヘンリックを客間にエスコートするのを階段から見下ろしながら、これから家族に伝えなければいけない事柄の大きさに、ステラはため息をついた。
ステラが支度を終える頃には父の支度も終わっていた。
それをヨハンから聞き、ステラ自ら客間にヘンリックを迎えに行く。
ノックをしてヘンリックの返答を待ち、客間に入る。お茶とお茶菓子が出されていたが、お茶菓子の皿がカエルムの前に二枚置かれている。
入ってきた姉にカエルムは体を硬直させ、手に持っていた食べかけのお茶菓子を気まずそうに握り締めた。
どうやらカエルムが食べているお茶菓子はヘンリックに出されたものだったらしい。
「……ええと」
ステラが困り顔で立ち尽くしていると、ヘンリックがこちらを向いた。
「甘い物はあまり好きではない」
「それは……失礼をしました」
「いや、お茶請けとして出してくれたのだろう。別に失礼には当たらない。こちらこそ出されたものに手を付けなくて申し訳ない」
「いえ……カエルム、殿下にお礼は言った?」
「はい!」
「そう……わたくしからもお礼を申し上げます」
「礼には及ばない。……おいしいか?」
「はい!」
カエルムはニコニコと笑った。
「それはよかった」
ヘンリックの顔がわずかに緩む。どうも甘い物が好きではないというのは方便ではないかという気がした。幼い子供にお菓子を譲るための、方便。
「…………」
(ルナ嬢に対してと言い……私以外にはずいぶんとお優しいのね……)
そう言いたくなるのをグッとこらえて、ステラはヘンリックに声をかけた。
「……父の支度が調いました」
「わかった。カエルム、ゆっくりお食べ」
「あ、ありがとうございます!」
カエルムがお茶菓子の残りの一欠片を食べ終えるのを、待って三人は客間を出た。
ステラ、ヘンリック、カエルム、揃って、父の寝室を訪ねる。
「お邪魔します、お父様」
「どうぞ」
父はベッドの上で上半身を起こしてステラ達を待っていた。
今日はいくらか顔色がいい。
ヘンリックが寝室に入るのを見るや、ステラの父は目を見開いた。
「……王族の、方ですか?」
ヘンリックの胸章に目を向けながら、父はそう言った。
「はい、お初にお目にかかります。第一王子ヘンリックです」
「今代の星見伯です。このような姿で申し訳ない」
レーヴェ星見伯は白髪交じりの頭を下げた。そしてベッドの横に引きずり出された、屋敷の中にあった一番いい椅子をヘンリックに勧める。
「いえいえ、人は誰しも病には勝てぬものです」
にこやかにそう言いながら、腰掛けるヘンリックは今までで一番外面がよかった。
「ええと、それで……王太子殿下がこのようなところに何の御用でしょうか……もしやうちの娘が何かご迷惑でも?」
心外である。むしろ迷惑をかけられているのはこちらの方だ。
しかし、無闇に口を挟むわけにもいかず、ステラは不満を溜め込みながら黙り込む。
「とんでもない。ただごあいさつに参ったまでです。未来の義父に」
「は?」
王太子殿下相手に不敬にもレーヴェ星見伯は口をぽかんと開けた。
「お嬢さんと婚約しました。半年後には結婚したいと考えております」
「……はあ?」
レーヴェ星見伯の理解は追いつかない。
オルティス公爵家のパーティーに参加しただけの娘が何故か王太子を婚約者として連れてきた。
その突然の事態に理解が追いついていない。
「つきましてはお嬢さんにはぜひ、王都に来ていただき、王太子妃候補として見聞を広めていただきたいのです。今日はその許可をいただきに参りました」
「……なるほど?」
ちっとも理解できていない顔でレーヴェ星見伯はうなずいた。
「あー……ステラ、その……ええと、どういうことだ」
「殿下のおっしゃったとおりです。昨夜初めて出会ってすぐにわたくしたち恋に落ちました」
自分で言っていて顔が引きつるような嘘に、ステラは少し頭痛が覚えた。
「…………」
父が穿つような目でこちらを見てくる。嘘は簡単にバレるものだ。しかし、この状況においては、嘘をついているという事実そのものが大事なのだ。
王太子と娘が結託して何らかの嘘をついて何かを実現させようとしている。
それを邪魔することなど、たとえ娘を愛する父でも、できはしないだろう。
事実、父はステラの言葉に口を挟まない。
「その間、王都では伯母様の家でご厄介になれば良いと思っているのだけれど……どうかしら?」
「……わかった。イトワール伯爵には私から手紙を書こう」
父は察しがよい。こういうとき、どういう行動を取ればいいかわかっている。
ステラは申し訳なく思いながらも頭を下げた。
「ありがとうございます、お父様」
「……殿下」
そんな娘を見ながら、父はヘンリックに声をかける。
「はい、レーヴェ星見伯」
「ふつつかな娘ではございますが……どうぞよろしくお願いします」
「はい」
父は一切の反対をしなかった。
ただ頭を下げた。
「お嬢さんのことは必ずや私が幸せにします」
歯の浮くようなヘンリックの嘘に、呆れるようなめまいを感じながら、ステラは決まっていく婚約に何だか自分の体が自分のものでないような浮遊感を覚えていた。
その後、二、三の確認事項を交わすと一同は父の部屋から退室した。
ずっと我慢していたカエルムが口を開く。
「お姉様、結婚なさるのですか?」
その目は喜びにキラキラと輝いている。実家の窮状、決まらない姉の結婚。幼い弟なりに思うところはあったのだろう。
「半年後にね」
「おめでとうございます! ……でも、寂しくなりますね」
しょぼんとカエルムはうつむいた。
「一生会えないわけじゃないわ」
「はい……」
「カエルム」
ヘンリックの呼び掛けにカエルムは背筋を伸ばす。
「は、はい、殿下!」
「これからは気さくに兄と呼んでくれ。俺は一人っ子だからな。弟ができるのは純粋に喜ばしい」
「は、はい! 兄上様!」
「うん」
ヘンリックはカエルムの答えに満足そうにうなずいた。
(……この方、どこまで本気で言っているのかしら……)
ステラは冷めた目で、そんなヘンリックを見ていた。
ヘンリックの滞在は慌ただしく終わった。
「では、これから王都に戻る」
星見伯家の庭先で、ヘンリックはそう言った。
「いろいろ入り用になるだろう。だから、これは施すんじゃない。未来の妻への……うーん、まあ、投資だ。好きに使え」
そう言ってヘンリックはステラに布袋に入った金貨をごっそり手渡してきた。
物の相場がわかっていないのだろうかと思いたくなるほどの量だったが、王家への嫁入りとなれば、これだけあっても足りないかも知れないと、ステラはおとなしく受け取った。
「ありがとうございます……」
「ああ。……ん、あれはなんだ、ステラ」
ヘンリックは遠く丘の上にあるドーム型の建物を指さした。
「あちらは星見台です。あのドームが精巧なカラクリになっていまして、あそこから星を見ることが出来ます」
「へえ……気になるが、さすがに一泊すると言って出てきて二泊もしては、迷惑をかけるな。またいつか、見せてくれ」
そう言い残してヘンリックはレーヴェ星見伯家を去って行った。
「はー……」
ようやくヘンリックから解放され、ステラはため息をついた。
「お嬢様」
侍従のヨハンがすっと横に立つ。
「はい……」
「旦那様がお呼びです」
「はい……」
(怒られるわ……確実に……)
どんよりとした気分を引きずりながら、ステラは父の部屋に戻った。
父はベッドに横たわっていた。
部屋に入ってきたステラをじっと見つめる。
「え、ええと……」
「ステラ、本当に殿下でいいのかい?」
「…………」
バレている。ステラがヘンリックに好印象を持っていないことがバレている。
ステラは返答に迷う。
「……たとえば、私に好きな方がいたら、こんな話は受けなかったけれど……別にいないから……」
「……それは、我が家が落ちぶれて、出会いがなかったからじゃないか?」
「……そう、ね」
出会いの機会があれば、違っただろうか。
誰かを愛し、愛されることもあったのだろうか。
「……でも、政略結婚なんてそう珍しいことでもないでしょう? 今の王妃様だって戦争の和平の証に我が国に嫁がれたのだもの……」
ヘンリックの母は、他でもないステラの祖父が予見できなかった戦争の相手国の姫君だ。
講和の際にこの国に嫁ぎ、そしてヘンリックが生まれた。
「……お前がいいのなら、いい。便箋を取ってくれ、姉に手紙を書く」
「はい……」
ステラは戸棚から便箋を取り出し父に差し出した。
「……寂しくなるな、我が家も」
父の寂しそうな言葉が、胸に突き刺さった。
その夜、ステラは星見台に来ていた。
メイドのマルタを連れている。
「お嬢様がまさか王太子殿下と結婚するだなんて!」
マルタはステラと同じ18歳だ。庭師のポールと婚約している。彼女はキラキラとした瞳でステラを見守っていた。
「ああ……なんてステキなことでしょう……!」
「…………そう、ね」
「……お寂しいですか、ステラお嬢様」
マルタはステラの元気のなさにすぐに気遣わしげな顔になる。
「……いえ、平気。それより、待たせてしまって悪かったわね、マルタ。これでいつでもポールと結婚できるわね」
マルタとポールが結婚していないのは未婚のステラに気を遣ってのことだとステラは気付いていた。
「いえいえ……。そんなことはどうでもいいのですよ」
マルタは心底そう言った。
落ちぶれた星見伯家にわざわざ残った使用人たちは皆、優しい心根をしている。
「それにしても、お嬢様の代わりに来るっていう家事の出来る方が怖い方じゃないと良いんですけど……きっと私達の上司になりますよね?」
「そうね……」
王太子の
そんな会話を交わしながら、ステラは望遠鏡をセッティングする。
いつもの方角に向けられたそれを見る。
「ああ、やっぱり……」
空の北に、動かない星がある。
その星のまたたきが年々弱まっているのだ。
それは国家の危機を示す。
「…………」
ステラがどうしても王家にパイプを作らなければいけなかったのは、それを進言するためだった。
しかし、落ちぶれた星見伯がそんなことを申し出ても、不敬と断罪されるかも知れない。不安を煽って国家を揺るがすつもりだと邪推されるかも知れない。だからこそ、信頼できる後ろ盾を得た上で行動に移さなければならなかった。
「……まさか、この国でもっとも国家に近いお方のひとりとつながるとは思ってなかったけどね……」
他の星の動きを紙に書き付けながら、ステラはため息をつく。
望遠鏡を王都に持っていくことは許してもらえるだろうか。
しかし持っていったところで王都で星が見えるのだろうか?
ステラの心は不安でいっぱいだった。
(そもそも、殿下は星見をどう思われてるのかしら?)
ステラはふとそこに思い至る。
(……あからさまに馬鹿にはされなかった。我が家が落ちぶれたことを揶揄はしても、星見そのものを馬鹿にはしなかった。でも、それだけ。……どうでもいいのかもしれない)
ステラの祖父母や両親と同世代の人間たちは、星見を悪し様に言う。戦争の爪痕は彼らの心に深く残っている。オルティス公爵の態度は素っ気ないものの、まだ紳士的な方なのだ。
しかしステラと同世代ともなると、戦争すら過去のものになりつつある。
ただ星見伯の汚名だけがステラたちにはのしかかっている。そしてそれはいずれ弟にも。
ステラはため息をついて、もう一度、望遠鏡を覗き込む。
ステラの緑色の守護星はまだ天空の河の中に佇んでいた。
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