第3話 打ち合わせ
ワインの残り香のせいだろうか、ステラはヘンリックに口付けをされる夢を見た。
満天の星の下、愛する人からされたのであればロマンチックなはずのそれを、ステラはげんなりした気分で再度味わっていた。
そして翌朝、浅い眠りから目を覚ましたステラの目に飛び込んできたのは上半身裸のヘンリックだった。
「いやー!?」
とっさにベッドに置かれていたクッションを投げつけたが、飛距離が足りない。ヘンリックより遥か手前でクッションは落ちた。
「おはよう」
ステラの乱心にも気に留めず、淡々とあいさつを告げると、ヘンリックはタオルで髪を拭いた。風呂上がりのようだ。
「は、は、はれんちです!」
ステラは顔を覆い隠しながら叫んだ。
「ふう……」
呆れたようにため息をつくと、ヘンリックはさっさとシャツを羽織った。
衣擦れの音に恐る恐る顔を覆った手を外したステラに、ヘンリックは非情に告げた。
「ステラ、今日はこの後、お前の屋敷に行くぞ」
「えっ」
「結婚のあいさつに行く。当然だろう」
「……えーっとえーっと……その国王陛下の許可を取ってからの方がよろしいのでは? これで陛下に許可をいただけなければわたくし赤っ恥もいいところですよ?」
「父は俺には好きにしろと言っている。それに今でこそ落ちぶれているが、星見伯の娘なら本来、王家に嫁ぐ身分としては問題ない」
「……それは、そうですが……」
星見伯は特殊な身分だ。200年ほど前には王妃も輩出していると聞く。
祖父の代の失態で王家との交流は断絶してしまったが、本来ならそれほどの地位を持つ。
「わ、我が家にも王太子殿下を迎え入れるのに準備というものが……」
「俺は気にしない。庭でもどこでも構わん」
「…………」
なんと気ままな王太子だろう。
ステラの言葉など十に一つも聞き入れてくれそうにない。
先が思いやられて、ステラは深いため息をついた。
「……さっさと着替えろ」
自身は軍服に身を包みながら、ヘンリックは部屋を出ていってしまった。
ステラは慌てて漆黒のドレスに着替えた。当然ながら着替えなど持ってきてはいなかった。
オルティス公爵家での朝食は気まずさに溢れていた。
ヘンリックは仏頂面。オルティス公爵は作り笑い。オルティス公爵の息子でルナの父親はそんな彼らに困り顔。彼の妻でルナの母親はツンとした顔でステラの方を見ようともしない。
ルナだけがにこにこと上機嫌で笑っていた。
ちなみにいずれはオルティス公爵家を継ぐ予定のルナの兄は、ステラと同じ年だが、見識を広めるために王都に遊学していて留守だった。
「ヘンリック殿下とステラ様の馴れ初めをお伺いしてもよろしいかしら?」
跳ねるような声でそう言ったのはルナだった。娘を諫めるように父がそちらを見るが、ヘンリックはどうということもないようにうなずいた。
「馴れ初めも何も昨夜が初対面だ」
淡々とヘンリックが返す。
「あらまあ! ヘンリック殿下から言い出されたのですか?」
「私の一目惚れだ」
ヘンリックは人前では一人称が私になるのだな、とステラはどうでも良いことを思いながら食事を口に運ぶ。
食卓に並んだ料理は朝から色とりどりで豪勢だったが、ステラは喉を通すのに努力を要した。あまりにもことがことで食が進まない。
「まあまあ! ロマンチックですわね……!」
しかしルナはどこまでヘンリックの言っていることを信用しているのだろうか?
元をたどればルナがヘンリックに自分と婚約話が持ち上がらないようにと頼んだことから事態は始まっているのだ。これが虚偽の婚約である可能性に思い至らないということもあるまい。
すべては彼女が蒔いた種だと思うと恨めしい気持ちにすらなってくる。
無邪気な少女の顔をじっと眺める。その顔には虚偽など混じっていないような朗らかさに満ちていた。
(……大した役者でらっしゃるわ……)
「ステラ様はヘンリック殿下のどこに惹かれたのですか?」
「えっ……」
急にそんなことを言われても返答に困る。
そもそも好きか嫌いかで言えば、今のところ嫌いの部類に入る相手である。
「…………」
必死にヘンリックの良さを探す。
「た、たくましさ?」
絞り出した一言はそんなそっけない言葉だった。
「たしかに!」
ルナは気にせず手を叩く。
「ヘンリック殿下は軍人でもいらっしゃるから、とてもたくましいですものね!」
「え、ええ……」
ステラはがんばって笑顔を作った。
味のしない朝食を終えると、間髪を入れず外に出た。
ずらりとヘンリックの護衛の軍人が並んでいて威圧感があった。
彼らを引き連れて家に戻るのかと思うと憂鬱だった。家族はどう思うだろう?
「それではオルティス公爵、皆々様、お世話になりました」
見送りに来ていたオルティス公爵一家に折り目正しく頭を下げると、ヘンリックはステラを自分の馬車へと導いた。
「あ、あの、自分の家の馬車がありますから……」
ステラは馬車の側で待つ御者に駆け寄ろうとしたが、ヘンリックに腰をがっつり掴まれていた。
幼い頃から慣れ親しんだ壮年の御者はほろりと涙を流している。どうやらステラに婚約者ができたことが嬉しいらしい。助け船を出してくれる様子はない。
「そちらにはうちの侍従を乗せてもらいたい。君とはいろいろと確認しておきたいことがある」
侍従がうやうやしく礼をする。御者がどうぞどうぞと侍従へ馬車の扉を開く。
「う、うう……」
ようやくヘンリックと顔を突き合わせ続ける時間から解放されると思っていたステラはうなだれた。そんなステラをヘンリックはそのまま引きずると、抱き上げて、馬車に乗せた。
「…………っ」
たくましい腕に抱え上げられ、不本意にも胸が高鳴る。色事に慣れていない己が恨めしい。
馬車の中に二人が乗り込むと、御者が鞭を振るい、馬車は発車した。
見送りに来ていたルナが無邪気に手を振っていたので、ステラも手を振り返す他なかった。
「……それで、確認したいこととは?」
なかなかに広い馬車の中、ステラはぎりりとヘンリックを睨みつけながら、そう言った。
「まず、この婚約だが……君は王家とのつながりを作りたい。俺は面倒な結婚相手探しから解放されたい。それはいいな?」
「ええ」
「……では、どちらかに、またはお互いにもっと良い相手が見つかった場合どうするか、だ」
「……その条件に限りますと、私には、ヘンリック殿下以上に条件に合致するような方がいるとも思えませんが……」
「まあな。そして俺もまあ今更好意で女性を選ぼうとも思わない。ルナは身分としては申し分ない相手だったが、当の本人が嫌がっていたしな」
「……ええ」
「では、この婚約及び結婚は半永久的なものとしていいか?」
「…………はい」
「とても不満そうだな」
ヘンリックは少し楽しそうに笑った。
「そしてこの婚約及び結婚が打算的なものであることは、誰にも言わない」
「……はい」
「さらに俺はせっかく婚約者ができたのだから、一刻も早く君をご令嬢避けに使いたい。パーティーなどで飾りとして隣に立っていてほしい」
「……サイテー」
ステラはポツリと呟いた。ヘンリックはあっさり無視した。
「というわけで、君には婚約期間の間にも王都に来てもらいたい」
「……王都、ですか……」
「その間の宿だが、さすがに婚姻前に王宮というわけにもいかない。宛てがなければこちらで用意するが……」
「ああ、いえ、王都になら伯母が嫁いでいるので……おそらく王家への嫁入りとなれば、そのお宅が喜んで迎えてくださるかと」
「そうか、どこの家だ?」
「イトワール伯爵家です」
「聞き覚えはあるな。聞き覚えがある程度だが。……では、来てくれるか、王都に」
「…………」
住み慣れたレーヴェ星見伯領を離れるのは耐えがたく、病弱の父と幼い弟を置き去りにするのも忍びがたい。
それでも、やるべきことのために、ステラはここが身を投げ打つべき場所だと知っていた。
「私がいなくなると、レーヴェ星見伯家は……その、とても困ります。だから……使用人を手配していただけますか? 税収など領地経営の計算が出来る者、それから家事が出来る者、そう言った人材が望ましいです」
「……君は領地経営の計算と家事をやっていたのか……」
ヘンリックは素直に驚いた。
「人手が足りませんし……計算は元々得意ですので……その、これでも星見伯の娘なので」
ちらりと窓越しに空を見上げて、ステラはそう言った。
空は太陽が晴れ渡り、星など見えない。それでもステラはその向こうにあるはずの星の姿を思い浮かべることができた。
星々の運行を予測するには計算は不可欠だった。
「なるほど」
ヘンリックはステラにつられて外を見る。
当然ながらヘンリックには星など見えない。
「…………」
ヘンリックはしばらく空を見ていたが、そこから何も得られるものはなかったらしい。顔を戻す。
「わかった。君が王都に来るまでに人員は見繕っておこう。家事はどうとでもなるだろうし……領地経営についても心当たりがいる」
「助かります」
「他に決めておきたいことはあるか?」
「…………」
ステラは考え込む。
「私が目的を果たしてしまったらどうします? 星見伯家の復権さえ叶えば私にはあなたと契る理由がなくなりますが……」
「その頃には理由が出来ているかも知れない」
「はい?」
「君が俺を好きにならない可能性がないでもないだろう」
「…………そうですか」
どこから来る自信なのか気になったが、ステラはそれ以上言及することを諦めた。
「そういえば、殿下は王都に戻られたら、軍事施設にお戻りですか?」
ヘンリックの軍服を見ながら、ステラは話を変えた。
「いや、二年の訓練も終えたし、もう軍事に従事することはおそらくない。名誉軍人という扱いだな」
「そうですか」
「代わりに公務が増える。だからこそ、王太子妃は必要だった」
「…………」
公務をこなすヘンリック。その横で王太子妃として振る舞う自分。まったく想像がつかない。
そうしている間に、馬車が川にさしかかった。
川を越えてもしばらくはオルティス公爵領が続く。
「あ……」
ステラは思わず、その川を眺めた。
「どうした?」
「……いえ、星見伯家が失権するまで、この川から先が星見伯家の領地だったらしいので、つい」
「……そうか」
祖父の代で戦争に負けたウィルトス国は、領地が
そのしわ寄せは星見伯家に来た。星見伯家の領土は取り上げられ、今はこうしてオルティス公爵領になっている。
「……取り戻したいか?」
「……取り戻したところで、維持できる力がもう我が家にはありませんから」
「そうか」
しばらくふたりは無言で外を眺めていた。
のどかな田園風景が広がっていた。
そこから少し小高い丘を行けば、とうとうレーヴェ星見伯家の屋敷が見えてきた。
古くからの屋敷なので、公爵家には及ばないものの大きさだけは一人前に大きい。外観からしてずいぶんと古ぼけてしまったが。
ステラは小さくため息をついた。
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