第八章 吐露

 ・・・この数日、彼女に変わったところがあっただろうか。彼女はいつもこのバス停の前に立っていた。僕は彼女を見つけては心を弾ませ、それを描き続けた。それからどれだけ時間が経っても、僕は君を忘れられなくなった。そしていつの日か、君を描くことが、僕がここに存在するすべてになった。君を正確に描けば描くほど、僕は満たされた。それだけで良かったんだ。ほら見てくれよ、そのために僕は色鉛筆まで変えて・・・。


 そうだ、花だ。彼女はいつの日からか、あの群青色の花を持っていた。きっとあの花にはそれだけの意味が込められているのだ。そもそも、特定の花を一輪ずつ、誰もいない廃止直前のバス停に置いていくなんて常軌を逸した行動、意味が無いわけがない。だからこそ、その手に握られた一輪の花を見る度、僕はなにかを忘れているような気がしながらも、そんなことを意に介さないほど、それは彼女に相応しい存在だと実感させられたのだ。どうして僕はこんなことをさも当たり前かのように思っていたのだろう。彼女という存在を一体なんだと思っていたのだろう。しかし、僕はあの花が表す意味を知らない、そしてもう知ることもできない。そしてそれがなぜこの場所に置かれるのかも、結局は理解することができなかった。

 僕はベンチに腰掛けると、答えが返ってこないことを知りながら、ゆっくりと彼女に声をかけ始めた。

 ・・・最初はただただ不思議だったんだ。そんな目立っている君が、誰からも気づかれていないように思えたのが。それで君に近づいて、君という存在を描く度、僕は心が躍った、今までにない高揚感が胸を襲った、こんな気分になるのは初めてだったんだ。楽しいとかおもしろいとか、綺麗だとか不思議だとかそんなんじゃない。それはとても言葉では表せない何かで、きっとこの正体を僕は最後まで言い表すことはできない。でも、ここまで君に執着していたんだ。それはなんとなく伝わっているだろ?理屈や根拠に縛られないこの上ない高揚感、そんなものが本当に存在するのだと、僕は実感できたんだ。その気持ちを知って、きっと僕は変わることができたんだ。寝不足な目を擦ってなんとか登校して、けど友達に会ったらあれだけ行きたくないと思った学校に、今日も行ってよかったななんて思う自分がいて、そんな単純な自分にちょっと笑っちゃったりして。学校に着いたら、クラスメイトとのふざけ合いをまだ続けたいと思いながら、毎回のチャイムに一喜一憂して、授業が始まれば、つまらないねとか、これ勉強して意味あるの、とかくだらない会話をこそこそしたりしながら、時間過ぎるのを待ち詫びて。ようやく昼休みになったら、放課後なにして遊ぼうかなんて話しながら、美味しいご飯も嫌いなご飯も分け合って。

 ―― あ、そうだ。その時には毎日じゃんけんをして、負けた人はパンを奢らなきゃいけないっていうのもおもしろそうだ。

 午後の授業は、満腹感と綺麗なお日様に当てられて、ちょっとうたた寝とかしちゃうんだ。それで先生に怒られては、クラスメイトに笑われて、それにお前も一緒じゃんなんて言い返して。放課後は、決めた遊びを決めた通りにしようとするんだけど、いつも思いもつかなかったようなことが起きたり、そんなことを見つけたりするんだ。それで皆と笑ったり、ちょっぴり落ち込んだり、喧嘩したりして、でも最後には今日も楽しかったな、なんて思いながら、ちょっと寂しい気持ちを抱えながら、帰るんだ。それで、明日も学校めんどくさいなって思いながら、でもどこか期待を寄せて布団に入って、でもまだ寝たくないって思って夜更かして、その間に携帯で皆と恋愛の話なんかしたりして、けど気づけば寝ちゃってて、いろんな夢を見て。そんなただの高校生に、僕は、、、。

 気づけば僕の目からは涙が溢れていた。それは僕の足元に溜まり、日光に照らされ綺麗な青色に染まっていた。

 ・・・でも僕は、きっとそんな風にはなれない。けど君は、僕にそんな未来を予感させてくれた、君と一緒にいれば、そんな未来もあったんじゃないか、そう思うことができた。それだけで僕は充分だ。だから僕は君に伝えたいことがある。長話をしてしまって申し訳ない。けどこれで本当に最後だ。もう振り返らない、約束だ。だから聞いてくれるかい?


 ・・・ありがとう。 


 そこからはもう、言葉になっていなかった。僕の言葉は、泣き声は、誰にも届かないのかもしれない。でも、それでいい、誰かが僕を見ていたら、僕はこんなことを言葉にすることなんて無かった、泣くことなんて、出来なかった。だから、それでいい。


 ―― 僕の最後はきっと、違う色だ。


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