第九章 反故(終)

 僕はしばらくするとベンチを立って、来た道を引き返した。もう振り返らない、そう心に誓って。あの花壇に着くと、見覚えのあるバスがあのバス停に到着しようとしているのが見えた。僕は無意識のうちにそれを目で追っていた。しかしそれもそのうち視界から消えていった。僕ももう、振り返ろうとはしない。

 そのはずだった。


 ・・・止まった?


 バスがそのままバス停の前で停車する音が聞こえた。他の乗客がいたのか。いや、バスの運転手が君に気づいたのか。ということは、君はやっぱり、、、。

 ・・・どうやら本当に僕は弱い人間のようだ、たった一度の約束も守れないなんて。


 僕はちょうど花壇に着くと、そこに腰を下ろして、バス停の方を見つめた。バスはそこに止まっている。そして君は持っていた花をいつも通りベンチに置くと、バスに乗り込もうと歩みを進めた。その瞬間僕はあることに気がついた。


 ・・・。


 君がバスに乗り込むと、ドアはすぐに閉まり、気づけば見えなくなってしまった。



 花がよく似合う女性だった。県の中心部から少し離れた小さな町の、あるバス停のベンチの隣、いつもそこに君は立っていた。僕はそれを交差点の向こう側にある花壇に腰かけて眺めていたが、ここに来ると今でも君のことを思い出さずにはいられない。しかし、最近ではそんな君の顔も姿も、あの光景もぼやけてしまって、鮮明には思い出せない。時の流れは早いものだ。

 僕のスケッチブックには何枚も連続で同じ絵が描かれている。そこには、バスに乗り込もうとする女性を中心に、その足元には二つの青色の水たまり、すぐ近くのベンチの上には群青色の花束、女性の頭上には花びらを散らして青くなった桜の木が描写されている。

 この光景を見たのは随分前のことで、どうしてこの絵のタイトルがこういった名前になっているのかは、正確には思い出せない。だが、この光景を見た当時の僕はこう思ったに違いない。


―― これこそが、僕にとっての青春、青い春だったんだと。


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海の隅っこにある、水たまり。 白銀 来季 @hakuginraiki

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