第18話

「あの畑に落ちてた手首ね、この世界に取り込まれて、そのまま何かの理由で死んじゃった人なんじゃないかと思ってる」


あの人は、それで自由になったのかな。


「きっと、無理だったんだよ。ただ単純に。何がいいとか、悪いとかじゃなくて」


もし本当に世界が変わるなら、変わってしまえばいいと思った。


だけどいくら「世界」は変わっても、やっぱり「私」は変わらなくて、本当に自分は全くもってどうしようもない奴なんだなって。


こんなクソみたいな世界は、いっそ壊れてしまえばいいなんて……。


「ねぇ、あの手首の本体の人って、一体どうやって手首だけをこっちに送ってきたんだと思う?」


「手首の本体の人って、なんだよ」


「猫が来たって言ってなかった?」


「見てはないけど」


プレゼントのカラスやバッタは、どこから来た? 本当に猫? 


「ねぇ、菜園見に行こう」


教室を出る。薄暗い廊下を進み、静かすぎる階段を下りた。


いつも近くて遠くに感じていた学校の雑音たちは、今は聞こえない。


校庭にかかる空は、いつだって爽やかな快晴だ。


久しぶりに見下ろした菜園は、ここだけ時間が止まっていたようだった。


掘り返され、中途半端にならされた地面と、放置されたままの熊手箒、ジャガイモの袋もそのままだ。


そのうちの一つを手に取る。


日に焼けて、変色していなければならないはずの表面が、変わっていない。


気のせいなんかじゃない。やっぱりこの空はどこかおかしい。


それは柱に取り込まれたからなのか、それとも取り込まれたと思っている前から、本当はおかしかったのか……。


「あ、学校ホームページに返信がある!」


小さな画面を二人でのぞき込む。


学校を襲った光は、同時に大量の生徒たちを取り込んでいた。


千を超える書き込みが、タイムラインに並ぶ。


「あぁ、よかった。みんな無事なのね」


姿は見えなくても、微かに音は聞こえている。


それに間違いはなかったんだ。


画面に並ぶ文字を見ているだけなのに、何かがこみ上げてくる。


「え? ここで泣くんだ」


彼は呆れたように笑った。


私は握りしめた拳を軽く腕にぶつけて抗議する。


「だから、自分のスマホも見てみろって」


垂れ落ちそうな鼻水をすすって、スマホを取り出す。


ずっと通知を切っていた。なんにもならない自分のそれが怖かった。


誰かと常に繋がっているようで、誰とも繋がっていないという事実を、知らされるのが嫌だった。


久しぶりに開いたそれには、私を心配するメッセージがちゃんと届いている。


「……よかった」


「友達からも来てた?」


「うん」


いつも学校で、弁当を食べ昼休みという時間を潰すためだけの要員と思っていた。


そう思われていると思っていたから、自分もそうであるべきだと自分で思い込ませた。


私なんかより結構みんな、意外とちゃんと生きてる。


「帰らないと」


私は絶対に、あの手首のようにはならない。


「そうだね」


「ねぇ、『複素数の集合は体を成す』って、なに?」


「俺に聞くなよ」


「数列のピアノ?」


「は?」


「この世には、まだまだ知らない世界があるってことじゃない?」


「なにそれ」


私は首を横に振る。


こぼれた涙を自分で拭う。


「理数系が得意って、知らなかったよ」


彼はため息をついた。


見つめ合い、声を出して笑う。

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