第19話

ネットに出回る魔方陣を書けだとか、特定のものを周囲に並べろだとか、磁場を発生させろとか、そんなものは信じない。


菜園を整備し直し、近くのホームセンターからもらってきたカンパニュラの花の種を植える。


「ねぇ、弾いてよ」


心地よい音色に耳を傾ける。


この世界にも終わりが近づいていた。


食料を調達しようと立ち寄ったコンビニのケーキにカビが生えている。


スーパーの肉や野菜も悪臭を放ち始めた。


どうして自分がこんなところにいるのか、本当に分からない。


なにがどうして自分がこんなところにいることになって、今をこうしているのか、不思議でしかたがない。


それでも自分を保っていられるのは、一人じゃなかったからだ。


どうして私がこの人と一緒なのか、それすらも分からないのに……。


ふいにピアノの音が途切れた。彼の視線は一点を見つめている。


「どうしたの?」


「ヤバい……。ヤバいのが来る!」


 突然立ち上がり、私を抱きかかえた。


「え、なに?」


「聞こえない?」


「聞こえない」


ぐっと手首をつかまれる。


「逃げよう!」


走り出す。


廊下へ飛び出し、外に出た。


私にはなんてことのないいつもの平和な校庭が、彼にはとんでもない風景として目に映っているらしい。


ただでさえ真っ白な顔をさらに蒼白にして立ちすくむ。


「見えるの?」


「見える」


突然「うわっ!」と叫び、その場にうずくまった。


風さえも吹かないこの爽やかな空の下で、この人は酷くおびえ肩をふるわせている。


「大丈夫?」


その背に触れようとして、やめた。


「怖い、よね。私には分からないけど」


泣いている男の子の顔を、初めてみたような気がする。


「ねぇ、触ってもいい?」


彼はうなずいた。そっと伸ばした指先で、その頬に触れる。


「もっと、近くに行っても?」


「いいよ」


私は自分の額を、彼の腕にあずけた。


「ゴメンね。怖いのは、私だけじゃなかった。忘れてた」


結局、世界が滅ぶとか、人類が滅亡するかもとか、そんなことよりも、今こうして隣にいる人が、何を思っているのかということの方が、きっと大切なんだろうな。


「まだ足元で、すんげー渦が巻いてる」


「見えない方が便利なことも、あるんだね」


ようやく彼は微笑んで、私たちは自然と手をつないだ。


「昔のことを思い出した。俺が変なものが見えるって騒いで、気持ち悪いって嫌がられてたこと」


突風が校庭を駆け抜ける。


「ほら、そこ。聞こえないかもしれないけど、何かの音の渦が……」


大きな地震かと思うほど、空気が揺れた。


水槽の中の水を大きく揺り動かしたかのような、抵抗しがたい空気の揺れだ。


「俺だってね、同じことずっと思ってたよ」


「なに?」


「もっと自分がマシだったらよかったって!」


彼の腕が、私の体を抱きしめた。


ピンクの光に包まれる。


足元から湧き上がるように吹き上がったそれは、みるみる辺りを飲み込む。


一瞬にして奪われた視界が元に戻った時には、いつもの学校でいつもの菜園前に立っていた。

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