第13話

気がつくとそこには、見慣れた景色が広がっていた。


いつもの学校、いつもの校舎、いつもと同じ色の空。


私は取り込まれた場所と同じ校庭に倒れていた。


辺りを見渡す。


肩に掛けられていたバスタオルが滑り落ちた。


誰がこれをかけてくれたんだろう。


どれくらい時間は経ったのか。


校舎の時計は3時20分を指している。


光に飲み込まれた時間と、ほぼ同時刻だ。


周囲からはいつもと変わらない喧噪が聞こえる。


エンジン音、クラクション、街特有のざわめき……。


なんだ。


あの光に飲み込まれたからって、何にも変わらないじゃないか。


まだ同じ場所に座り込んでいる。


体がだるくて重くて、動く気にはなれない。


自分の中にあるであろう自分の違和感を探した。


体にも気分にも、痛みや不快はない。


特にそれが見当たらないのであれば、たぶん、大丈夫。


乾ききった爽やかすぎる風が吹く。


日は少し傾き始めている。


私は何をしようとしていたんだっけ。


早く終わらせて帰ろう。


掛けられていたバスタオルには、油性ペンで大きく「保健室」と書いてあった。


それを残して行くのも申し訳ないような気がして、菜園まで持ってきてしまった。


ジャガイモを掘り起こした後の畑はボコボコで、置き去りにされた紙袋もそのままだ。


持ち上げた袋は重たくて、すぐに底が抜けてしまいそう。


それをタオルと一緒に倉庫横に並べると、土をならし始めた。


何にも変わってない。


昼間の出来事を思い出す。


ジャガイモが嫌いって、嘘だよね。


アレ絶対、私のことだよね。


彼氏だっていうことぐらい知ってるし、邪魔しようとか奪い取るとか、そんなつもりは全然ないし、大体向こうから勝手にやって来たのを、どうやって断れっていうのよ。


私が誘ったワケじゃないのに、嫌なんだったら、自分でなんとかすればいいじゃない。


彼女なんでしょ? そんなことも出来ないの?


土をならす手に力が入る。


何でもないことなのに、涙があふれる。


誰も見ていないのをいいことに、こぼれるままにしておく。


だからなんだっていうんだ。


そんなこと自分には、全く関係ないじゃない……。


遠くを走る電車の音が聞こえた。


時間の経過とともに喧噪の種類は変わる。


下校を知らせるチャイムの音。


廊下に響く足音……。


分かってる。


音は聞こえているのに、人の姿がどこにも見えない。


この世界にいま、私は一人きりだ。


完全に日は落ちた。


いつもなら用務員のおじさんが校内を回り、残っている生徒を追い出す時間なのに、誰もやってこない。


車は置いてあるのに動かない。


街の灯りはついているのに、人影はない。


教室の窓もところどころが、わずかに開いたままだ。


自分はこのまま、ずっと一人で生きていくんだし、誰とも一緒になんてならなくていいと思っていた。


だけど私の望んだ「一人」とは、こんな一人じゃなかった。


家に帰りたいとは思うけど、今のところ安全だと思われるこの校内から外に出ることが怖かった。


教室から見渡す景色は、普段と何も変わらない。


だけど、どこまでも続くこの世界の向こうには本当に何にもなくって、自分一人しかいなくて、そんな世界って、実は前と変わっていないんじゃなくて、もう終わってるんじゃないかとか、このまま本当に一人でずっといるのかとか、だとしたら自分がいまここにいる意味はなんだろうとか、そんなことがなにもかも曖昧になってくる。


どうすればいいんだろう。


あのピンクの光の柱の中って、こんなふうになってたんだ。


知らなかった。


誰も教えてくれなかった。


これは天災なの? それとも事故? 


こんなことになるくらいなら、もっとちゃんと考えておけばよかった。


なにが食料危機だ。


あんなジャガイモが少しばかりあったくらいで、何の役にも立たないじゃない。


ため息をつく。


とりあえず自分に出来ることを考えてみる。私


に出来ること? 


芋の重さが分かるくらいで、何が出来るんだろう。


あまりの無力さに、腹が立つよりも笑いがこみ上げる。


そうか、ここで死ぬのか。


どうしようもなさに、芋はあっても食欲はない。


今日はどこで寝ようかな。


保健室のベッド? 


そう考えると、学校って色々と便利に出来てるな。


見慣れているはずの、面白くもない街の夜景を眺めている。


教室の灯りはつけていないから、真っ暗なままだ。夜がこんなに長いなんて、知らなかった。


夜がこんなに寂しいだなんて、初めて思った。


夜をこんなに辛いと感じるのは、どうしてなんだろう。


どこにぶつけていいのかも分からない怒りがこみ上げてくる。


もっとちゃんとしておけばよかったとか、今を大切になんて、そんなこと言われたって分かんない。


ずっと一人で平気だろうと思っていたけど、本当に一人になるだなんて、聞いてない。


自分が何をしたいかなんて、なんにもしたいことなんか、ないって思ってたけど、本当に何をしていいのか分からないから、ずっとそう思ってただけなんだ。


今さらどうでもいいことだけど、どうでもよくなかった。


意味のないことだけど、意味はあった。


知らないことだけど、もっと前に知っとけばよかった……。


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