第12話
放課後の校舎からは、ピアノの音は聞こえない。
園芸部倉庫の横に並んだジャガイモのざるは、完全に無傷のままで残されていた。
大きな芋の一つを手に取る。
見た目は立派でも中身はどうなっているのか、切ってみるまで分からない。
表面が最初っから割れているのなら分かりやすい。
だけど実際には、そんなものは多くない。
大きさに反して余りにも軽いものは、中が空洞だったりする。
形がいびつ過ぎるのは、皮を剥くときに切り捨てる部分が多くなるけど、食べる分には問題ない。
サイズが小さ過ぎるのも同じだ。
皮を剥く手間を考えれば、捨ててしまってもいい。
一番困るのは、見た目に全く問題はないのに、切れば中身が真っ黒に変色しているもの。
誰かにあげたはいいけど、そんな芋ばかりだったら、私はどうすればいいんだろう。
なんて言い訳をする?
それで「そんなこと気にしてないよ」「いいよ」って言われたって、本当に「いいよ」なんて、絶対に相手は思っていないんだ。
だったらやっぱり、誰かにあげるなんてのは、リスクでしかないような気がする。
嫌な思いをさせるくらいなら、自分一人が嫌な奴のままでいい。
「おー。早いな」
その男は、脳天気ににこにことしてやって来た。
手には今朝と同じ紙袋を持っている。
「な、分けようぜ」
「中身の品質保証は出来ないからね」
「はいはい」
去年の秋頃から始まったピンクの柱現象に、食糧危機を考えたのは本当のこと。
ジャガイモを作ったのは今回が初めてで、私だって自分で作ったジャガイモを自分で食べたことはない。
勉強はした。
それなりに調べて、それなりにやってみた。
だけど、見えないし分からないものは、どうしようもないじゃないか。
「彼女に怒られた」
「彼女?」
一番大きな芋をつかんで、紙袋に放り投げる。
「勝手にいちゃついてんじゃねーよって、言われた」
「誰?」
「あんたの彼女!」
綺麗そうなジャガイモ、出来の良さそうなジャガイモ、形のよいジャガイモ。
それは全部あなたのもの。
「だから、誰!」
「なに? そんなことも分かんないの?」
大きくてきれいなジャガイモは全部入れてしまったから、もうこの話も終わり。
「嘘。なんでもない。変なこと言ってゴメン」
小さいジャガイモを全て、ざるから自分の袋に流し込む。
ボコボコの畑を元に戻して、次の栽培の準備をしないと。
袋をその場に放り投げ、大きな熊手箒を取り出す。
「なぁ」
「じゃ、もういいよ。終わったでしょ、帰って。ピアノの練習しなくていいの?」
彼は持っていた袋を、ゴトンと地面に置いた。
「やっぱいらねぇわ、コレ」
背を向けた制服の白いシャツが、校舎の角に消えてゆく。
私は竹箒を握りしめる。
大丈夫。
これでいい。
それになんの迷いや不安があるのか。
そんなことを考えている自分の方がバカだ。
真っ黒だったはずの畑の土は、所々が乾いて白っぽくなっている。
それは触れると砂の牙城のように崩れ落ちた。
穴だらけで、ボコボコのままになっている地面を見つめているそれが、突然真っ赤になった。
ピンク色の光のラインが、校庭を走る。
「え、嘘?」
空を見上げる。
まだ青いはずの空が、紫がかったピンク色に染まっている。
全身の毛穴が開くような、そんな不思議な高揚感に包まれて、心臓は大きく波打った。
「ちょ、待って……」
走り出す。
光のラインの移動速度は驚くほど早くて、全力で走っても全然追いつきそうにない。
その境界線は、あっという間に遠ざかってしまった。
視界が、世界が、全てがピンクに染まる。
「え、やだ、マジで?」
皮膚が、体が、地面が、全てが浮かび上がった。
呼吸が出来ない。
上空にはぽっかりと黒い影が渦巻いていて、何もかもが吸い込まれていく。
それはぐんぐん近づいて、やがて私は意識を失った。
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