第9話 小部屋の秘密

 あの日、私は、サヴィーノ殿下の覚悟を受け取った。

 彼が、私のために、捨ててしまったものを思うと、その覚悟が愛しかった。

 それに見合うだけのものを返したかった。

 地位も財産も美しさも、全て手にしている彼に、唯一返せるもの。

 ――それは、私のこの想いだけだった。


 私は、あの日以来、彼に精一杯愛情を伝えるようにした。

 かなり勇気が必要だったが、好きだとも、伝えた。

 彼も、愛の言葉を返してくれる。無理をして告げてくれるそれは、彼の決意なのだと思う。だから、私は純粋に嬉しい。

 でも、彼は、以前より遠くなってしまったように感じる。


 私が幸せにするのだと、それが彼のためになるはずだと、ソニアを側におく時間を奪ってしまったのがいけなかった?

 もう少し、彼にソニアとの別れを惜しむ時間をあげるべきだった?

 狭量すぎた自分に嫌気がさす。

 でも、彼を独り占めすることが当たり前になってしまった今、私には彼にそんな時間をあげることなど考えられなかった。


 気のせいかもしれない。でも、遠くなった彼との距離を縮める方法が思いつかなくて、私は焦りを胸に抱きながら、その日――婚約披露パーティーを迎えた。


  ◇◇◇◇◇◇


 結局サヴィーノ殿下は、留学を夏までに変更し、留学中のここ、キルレアで婚約披露パーティーを行うこととなった。

 ティント王国からも、彼のお兄様である王太子殿下と第二王子殿下がいらっしゃって、私たちの婚約披露に華を添えて下さることになった。


「セラフィナ、いつにもまして今日はきれいだよ。人前に出したくないくらいだ」

 サヴィーノ殿下は、そう言って、私の手の甲にキスを落とした後、贈り物として下さった露草色のエメラルドの大粒のネックレスを、指でそっと撫でた。

「……サヴィーノ殿下も、とても素敵です。画に描きたいぐらい」

 サヴィーノ殿下の正装は、とても素敵で、私は見とれるしかなかった。


 パーティーも終盤に差し掛かり、身分の上下関係なく、歓談できる時間になった。

 やっと、親しい学院生とも直接話す時間が設けられる。

「セラフィナ!」

 ソニアが、ヘンリにエスコートされて、いや、ヘンリを引きずるようにして現れる。

 きっと、私たちに話しかける身分の高い方達がいなくなるのを今か今かと待っていたに違いない。ちらちらとこちらを見て順番を伺っていたのが先ほどから視界に入っていた。

「おめでとう! ほんとにきれい!! 私のセラフィナがお嫁にいっちゃうなんて! でも、私気づいたことがあるの。殿下が旦那様になるってことは、セラフィナの一番の親友は、私ってことよね。結局、この勝負は、私が勝ったってことなのよ!」

「は、どういう頭の中してるんだよ。永遠に勝てなくなったの間違いだろ?」

 久しぶりに聞く気安い二人のやり取り――私が引き裂いた二人。

 ごめんね。でも、サヴィーノ殿下は、私が、幸せにするから。

「うるさいわね! もう少しで留学終わりなんでしょ。これから半年は、親友の私がセラフィナを独り占めするのよ。うらやましがっても譲ってあげないんだか……もごっ」

「おい、ソニア、いい加減にしろ。サヴィーノ殿下、セラフィナ殿下、おめでとう。実は、俺達からも、伝えたいことがあるんだ」

 大きな手でソニアの口を押えたヘンリが、ため息をつきながらお祝いの言葉をくれた。心なしか、珍しく頬が赤い。

「実は、俺達も、婚約することになった」

 ヘンリの手をどうにか押しのけたソニアが憤慨して叫ぶ。

「なんで言っちゃうのよ! まだ私はOKしてないんだから」

「もう、家どうしで婚約は結ばれた。いい加減あきらめろ」

 二人は、私たちの前で痴話げんかを始めてしまった。

 それは、微笑ましい光景のはずだった。サヴィーノ殿下が学園に来る前までは、いつかそうなったらいいと、私とトゥーラがこっそり見守って望んでいた光景だった。

 でも。

 ソニアの婚約を、サヴィーノ殿下は、どう思ったのだろうか。

 私は、殿下の顔を見るのが怖かった。

「二人とも、おめでとう」

 固い声で告げるサヴィーノ殿下の顔を見ることが、できない。

「おめでとう、ソニア」

「あ、ああありがとう。でも、私の一番はずっとセラフィナよ!」

 真っ赤な顔をしながらつげるソニアは、とても可愛らしかった。そして、今度は、ヘンリの方が、ソニアを引きずって去っていった。


 その後、パーティーが終わるまで、どうやり過ごしたのか覚えていない。

 サヴィーノ殿下は、パーティー会場から、私の手を取って、部屋まで送ってくださることになっていた。先日の件から、私達を二人きりにしないように、少し後ろに侍女と護衛騎士も付き従う。

 私たちは一言も発さず、会場を後にした。

 サヴィーノ殿下は、どんな顔をしているのだろう。怖くてどうしても顔をあげることができなかった。

 部屋の前で立ち止まると、殿下は部屋の扉に手をかけ、そこで動きを止めた。

「まだ、あいつのことを好きなのか?」

 何を問われたのか、わからなかった。

 サヴィーノ殿下は、扉に手をかけたまま、私の肩に頭をのせるように俯いて、小さな声で続ける。耳元で聞こえる声は、消え入るようだった。

「ごめん、セラフィナ、もう、放してやれないんだ。自分がこんなに汚い奴だと思わなかった。君が誰を好きでも、それも含めて見守ろうと思っていたのに。ゆっくり、君を待とうと思っていたのに。君が他の奴を見て他の奴に心を揺らすことが、こんなにもつらいなんて」

 ヘンリの事を誤解させたままだったのかと今更ながらに気づく。

 私は、あわてて顔をあげた。

「サヴィーノ殿下……違うの、ヘンリの事は……私は、殿下をお慕いしてるの」

 そう、ヘンリのことは違う。誤解なのだ。

「好きだよ。セラフィナ。君が誰を好きでも。もう、僕だけを見てよ」

 私は、こんなにも彼の事が好きなのに。何度も好きだと伝えているのに、私の言葉は彼のもとに届いていなかったことに初めて気づいた。

 けれど。

 ああ、私も同じ、なのだ。

 彼の「好き」という言葉が信じられない。


 私たちは、好きという言葉を繰り返した。

 真実に目を向けないまま、真実を覆い隠すように。


「ごめん。無理をいった」

 サヴィーノ殿下は、うつむいたまま、私の前を去ろうとする。

 このまま返してはいけない。

 私は、サヴィーノ殿下の手を取ると、部屋の扉をあけて、部屋の中へ彼を引き込んだ。

 そして、そのまま鍵を閉める。

「姫様!」

「王女殿下!」

「入ってこないで!」

 扉の外へ声をあげると、サヴィーノ殿下の手をとって、部屋の奥へと歩いていく。

「セラフィナ? どうして」


「お願い、全部見て。私の全部」

 これを見せることは、私の内面を全てさらけ出すこと。

 でも、今、これを見せないといけない気がしていた。

 私の「好き」だけでも信じて欲しい。

 言葉では伝わらない想いも、これを見たら、分かってくれるはず。


 私は、私室の一角にある、その小部屋に彼を連れて入った。

 掃除の侍女すらも入れない。

 私だけの秘密。

 私だけの、秘密の小部屋。


 部屋に灯りをつけると、布をかけられたキャンバスがいくつも浮かび上がった。


 私は、サヴィーノ殿下の方に向きなおると、一番近くにあったキャンバスの布をとって、床に落とした。

 かれは、目を見開く。

 ひとつ。またひとつ。

 私は、いくつもの布を落としていった。


「何だよ、これ」


 サヴィーノ殿下の目から、涙がこぼれた。

 その部屋にあったのは、景色の画ではない。


 ――ずっと、ずっと、見てたの。

 ずっと好きだったの。あなたの事が、好きだったの。


 言葉ではなく、その画が全てを語っていた。


「うぬぼれてもいい?」


 サヴィーノ殿下は、私の耳元でささやく。

 私は、頷いて、その胸に顔をうずめた。


 その部屋は、私が描き続けてきた、幼い頃からの、サヴィーノ殿下の肖像画で溢れていた。


  ◇◇◇◇◇◇


 殿下の帰国が迫ったその休日、初夏の日差しの中、私たちは、画の道具とピクニックの準備をして、学院の中庭にやってきた。

 その場所に敷布を広げ、サヴィーノ殿下は本を片手に寝そべり、私はその傍らで画を描く。

 学院の中庭には、見事な藤棚があるのだ。


「……み、見ないで欲しいのだけど。恥ずかしいから!」

 サヴィーノ殿下は、いつのまにか、本を読むのをやめて、頬杖を突きながら、なぜか私の顔を見ていた。

 なぜ、藤棚でも画でなく、私を見るのだろう!?

「だって、しばらく会えなくなるんだよ。僕の可愛いフィナの顔をしっかり目に焼き付けておかないと」

 この人は、何でこんな恥ずかしいことを臆面もなく言うのだろう。


 もうすぐ、留学期間を終えて、サヴィーノ殿下は、ティント王国に帰国される。

 私たちの結婚は、学院卒業後となる予定だ。

 私たちは、あの日、お互いの誤解を解くことができた。

 殿下のソニアに対する思いも、私のヘンリに対する思いも、お互いに相手を思いやりすぎただけの誤解だった。私達は、言葉の大切さを知った。

 私達は、しばらく離れ離れになり、また手紙だけの関係なる。でも、これからの私たちの関係は「お互いを思いあう、結婚を控えた恋人で婚約者」だ。手紙に何を書こうか、考えるだけでドキドキする。


 私の傷については、婚約後に、ティント、キルレア両陛下の了解を頂いて、あえて公表した。傷があっても気に留めない男性がいる、幸せな結婚をする女性がいるということを社会に伝えていきたい。そして、私たちが範となることにより、社会に変化をもたらせたらいいなと思う。これで、傷を持つ女性に対しての扱いが変わることを期待したい。


「ねえ、フィナ、君の画姿を、僕にくれない? 君だけ僕の画をあんなに持ってるのはずるいんじゃないかな」

「……じゃあ、一枚だけ」

 毎晩抱いて寝るから、とかなんとか聞こえたような気がしたが聞かなかったことにした。

「ねえ、そういえば、君が藤色が好きな理由を聞いてもいい?」

「え? 言わなきゃダメ?」

「そういわれると聞きたくなる。絶対聞く。教えないと色々する」

 色々の言葉に、ほんとに色々思い出してしまって、かっと頬に血が上るのがわかった。この人は、あれ以来距離が近いというか、ほんとに色々遠慮がなくて、正直かなり困っている。私が嫌がっていないのがばれてしまって、アマリアが最近助けてくれないのだ。

 絶対引かれてしまうだろうから、一生隠し通しておこうと思っていたあの小部屋の存在を許容されているのだから、これもまあ許容範囲……だろう。

「えっと、あなたの瞳の色の……露草色と、私の瞳の色の薄紅色を混ぜるとね、……藤色になるでしょ」

 キャンバスの方を向いて、もそもそと呟くが、やっぱり恥ずかしくて真っ赤になってしまった。気持ち悪いと思われたらどうしよう……。

「……」

 反応がない。

 恐る恐る目線をサヴィーノ殿下の方へやると、彼の方が、私より真っ赤だった。

「反則だろ。それ」

「きゃっ。は、はは放してくれないと画がかけないの。それと、ここ、学院で……」

 突然後ろから抱きしめられた私は思わず声をあげる。殿下に切実に訴えかけるが、交換条件しか返ってこない。

「名前、呼んだら許してあげる」

「……サヴィーノ」

「呼び方、決めたでしょう? フィナ」

 私は、意を決して、私だけが呼ぶ、特別な彼の愛称を口にする。


「ヴィーノ」


 甘く爽やかな香りに満ちた藤棚の下で、恋人たちの影は、一つに重なる。





 そして。

 十数年後、藤色の瞳の少年は、国境を超えて、新しい恋を見つけるのだ。


(第二部  Fin)





-----------

あとがき

 ご覧いただきありがとうございました。

 第二部は、リクエスト頂きまして書いてみました。

 藤色の瞳の少年の出会いは、格差婚約シリーズで、遠くない未来にまた。


----------

 この作品は同じ世界観の格差婚約シリーズの作品です。

 よろしければそちらもご覧ください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最近、格差婚約が流行っている~格差婚約+強制執行、間に合わせ婚約者と幸せになる方法~ 瀬里 @seri_665

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ